”秋山なお”の美粒ブログ

”秋山なお”の美粒ブログ

音楽、ナノテク、微粒化、日々の思いをつづっています。
微粒は、美流でつくられ、美粒となります。その思いをつづっています。

 私が昔、勤めていた会社の息子(オーナー会社の息子)が、数年前になくなった。家に帰る途中、心筋梗塞で倒れ、そのまま、病院に運ばれ、なくなった。私と同じ年齢だから、よく覚えている。還暦まえになくなった。あっけない人生の幕切れである。亡くなる朝、家を出たはずである。たぶん、普通に散らかした状態だったはずである。単身赴任だったようであるから、寝床も起きたままの状態だったかもしれない。そうして、その日の夕方、会社のデスクもいつもの仕事の終わりの状態、資料も机の横においたまま、パソコンの横には、筆記具が乱雑においてあったかもしれない。そして、数時間後、倒れた。それで、エンドである。そのまま、生きていたら、それなりの名声も得ただろう。彼の死後、その会社は、大きくかわった。合併、合併をして、彼の父がつくった会社は登記上も消滅し、その会社の名前だけがのこった。その会社のあったところには、近代的なビルがたち、そうそうたる会社に変貌した。実質、のっとりである。彼は、その全貌を知ることなくなくなった。彼もオーナー家のあととりで、その会社の役員だったし、株も保有していたはずである。彼が生きていたら、ある程度は遠慮したであろう。亡くなれば、彼が保有した株も会社で買い取ったはずである。登記上、彼の父が作り上げた会社は消滅し、株をかった企業が100%株式を保有する会社となった。大企業が100%株式を保有する完全子会社となった。信長、秀吉、家康と同じである。秀吉が天下をとれば、信長の親族は、追いやられた。家康が天下をとれば、秀吉の親族は滅亡させられた。世の中は、前任者がやったことを、後任者は、まず、否定から入る。それが、後任者のエゴである。うまくいけばいいが、大体、失敗する。

 

 

 世の中とは、そんなものだ。だから、企業、オーナーがいれば、後を子供や身内につがしても、まず、うまくいかない。今は情報の進化が激しいから、昔は100年もっても、今なら10年ももたない、10年もったものなら、今は数年でアウトになる。財産をのこしても、相続税があるから、親の財産を食いつぶしたら、お終いである。

 

 

 私は、それを見てきている。だから、私が作り上げた会社や技術は、私が死んだら、だれかが受け継ぐとおもっている。しかし、たぶん、エゴがあるから、滅茶苦茶にするはずである。秀吉が死ぬとき、家康に、あと、秀頼をよろしく、頼むといった。しかし、現実はどうなったか、家康は、用意周到、頭がよかった。自分が死んだあと、この政権は、滅茶苦茶になる。そうならないように、決まりをつくった。将軍されも、自己を律する決まりを作った。反旗を翻せないような権力をもった。それで、15代、徳川政権が成立した。だから、自分が死んだら、滅茶苦茶になると思っている。頭のいい人が、受け継げばいいが、大抵は、ぼんくらだから、滅茶苦茶にする。それが、人生であり、それが、世の流れなのである。歴史上、それを一番、わかっていたのが、藤原道長、鎌倉幕府後、北条執権をつくった北条義時、それに、徳川家康である。

 

 

 これから、日本は少子高齢化、温暖化も進み、30年後、50年後、人口は、半減する。人口が半分になれば、社会活動も半減する。今、成立しているビジネスも、30年後には成立していない。今のオーナーが70歳前後であれば、もし、こどもがいれば、40歳前後で、後を継がせるなら、取締役にしている。そこまで、もっても、後がもたない。よほど、特殊な技術や発明がない限り、勝負にならない。もし、その人が技能をもっているなら、会社をたたんで、自分ひとりで技能を磨ける職人へと変貌することである。人口がへる。温暖化がすすむ。いずれ、この国は、シュリンクする。自分の人生もそれに合わせるべきなのである。

今、あるのは、オーナーの力である。オーナーが努力して、築き上げたものである。それは基本、一代限り、もし、二代目まで、もっているなら、それは、まだ、経済活動がもっているからである。これからは、もたなくなる。今のオーナーが死んだら、たぶん、どこも、厳しい。なぜなら、シュリンクする経験がないのと、親の看板で守られて生きてきた人には、失敗の経験がないから、まず、踏ん張る力がない。自分の才覚で、生きた経験がないからである。

 

 

 いつの世でも、自分を助けるのは、芸、技能、技巧、職人的な感性なのである。そこに付加価値がなければ、いずれ、年をとれば、衰退する。定年後も、働ける人は、みんなその技巧を持っている人だけだ。今がよくても、5年後、10年後、それが成立しているとは限らない。昔、栄えていた商店街、今は、どうなっているのか、ついこの間まであったラーメン店、閉鎖され、建物も壊されて、新地になっている。人生はあっという間に過ぎる。今までの論理がこれからも通用するとは限らない。

 

 

 若者に足りないもの、それは、経験。たとえば、40歳の人が20歳の人に、なにかを言うとき、そこにあるのは、自分が20歳の時の経験がベースとなる。しかし、40歳の人は、これから、自分の人生がどうなるのか、分からない。20歳の人も同じである。40歳の人が、仮に、30歳前後に結婚して、子供がいたとすれば、子供が思春期にかかるころ、仕事があれば、管理職についているだろう、今は、周りの社会環境も、激変している。昔ながらのやりかたが通用するとは限らない。だから、商売でも、これから、事業がこのまま、なりたつのかと思う頃合いであり、子供がいれば、自我を持ち始め、昔のように、自分のいうことが利かなくなる。自分のわがままを押し付けることができなくなる。

 

 

 今は、子供が思春期の中にいれば、だれでも、いじめの加害者、または、被害者側にも立つことにもなる。なにか、事件を起こせば、今は、ネットでたたかれる。ネット民は、これでもかというほどに、正義を振りかざす。いろいろなところに気を使わなければならないが、自分も含め、すべてが、自我をもっているから、それぞれが、みんなわがままということになる。夫婦であろうと、両親であろうと、子供であろうと、誰でもが、主体となるのは、自分である。対岸の火事であればいいが、当事者であれば、だれでも、自分の主観で物事を判断する。これはどうにもならない。

 

 

 家族をもっていれば、一番の不安要素は、子供である。小学生であれば、5-6年ぐらいから自我がでてくる。そうして、中学校から高校、子供が親離れする時期、18歳―19歳、高校を卒業するまでは、だれでも、不安定時期を過ごす。飛行機でいえば、上昇加速中である。一番、危ない所である。そこで、何を学び、何を経験し、何を感じたかで、その人のそれからの長い人生の航路が決まると言ってもいい。その人が30歳になったとする。それまでの人生は理解するだろう。それは未来でなく、過去の事柄だからである。しかし、それ以降、自分がどうなるのか、どう生きていけるのか、分からない。恋人がいたとしても、ふたりでどうやって生きていくのか、わからない。40歳になっても、同じこと、50歳になってもおなじこと。しかし、50歳をすぎてくると、自分の限界が見えてくる。いままで、人生の可能性は無限大と感じることができるのは、50歳ぐらいまでである。人生は上り道のように見えるからである。しかし、生きていれば、どこかで、あれと、思う。上っていたと思っていた道が、下降していることに気づく時がくる。人生の分水嶺を越えたのである。そこで感じるのは、自分の人生には終わりがあることである。いままで、感覚としては理解していたことが、現実的に実感するようになる。存在の消滅は恐怖だが、分水嶺を越えたなら、それは、受け入れざるをえない事象となる。

 

 

 そうなると、可能性は無限大ではない。どこかで、終わりがくることを是認した境地とならざるをえない。また、そこから、最後の人生の分岐が始まる。うまくいく人とうまくいかない人の差がでてくる。終わりを感じた時から、人生の始まりがある。諦めるか、諦めないか、である。人生には終わりがある。やっても同じ、このまま、楽に生きた方がいい、そうおもったら、そこで人生は終わる。だめと、思った時が、だめとなるときである。

 

 

 地位や年齢がある人でも、20歳の人とあえば、20歳の人の視点にあわせるべきでなのである。体力が許せば、いっしょに、イェーイェーと叫び、その輪の中に入り、彼らの心に溶け込んであげることである。30歳の人といれば、その視点、40歳の人といれば、その視点にあわせるべきである。男女関係はない。もちろん、40歳の人には、それまでの経験しかない。分水嶺を越えるまで何が起こりうるのかも分からない。同じ視点で、その人の未来を見てあげることである。その人の立場になれば、自分が経験した立場から、その人の未来が予見できるかもしれない。このまま、いってもいいのか、ここは立ち止まって、迂回したほうがいいのか、もちろん、最後は、本人次第であるが、その人の視点にたてば、頑張れとはげますことができる。

 

 

 20歳の人、30歳の人、40歳の人、だれでも、大上段に振りかざして、自分こそ正義だと、いう人の意見など聞かない。聞くようにみせるのは、そこに利害関係があるのみである。しかし、終わりを知った人が、それでも、一生懸命諦めずに、生きていれば、後ろを歩くひとは、その言葉を否定などしない。最後まで、現役でやり通すひとの言葉こそ、真理を含んでいると感じる。

 

 

 人生はあっという間である。30歳前後で子供をもち、育てる。独身であっても、子供がいなくても、仕事があれば、50歳ぐらいまで、あっという間である。そうして、人生の分水嶺を越える。子供は、大きくなる。離婚して、新たな人生を選ぶ人もいるし。そこから、あらたに、結婚する人もいる。どうするかは、本人次第である。人生、誰でもあきらめてはいけない。

 

 

 むかし、ジーンズの後ろポケットに、ノートをまるめていれ、そこに、詩を書いている人がいた。ギターをもって、路上で、歌を歌う人がいた。自作の詩で自作のメロディで、自分の声で自分の思いを語っていた。私は、それをかっこいいと思った。その人は、きっと、どこかで、それをあきらめ、社会人となったことだろう。その人が、もう生きているかわからない。たぶん、そのまま、老人となり、再度、ギターを取り出して、歌う事はしなかったはずである。もし、定年後の人生、自分の人生を、総括して、ふたたび、その思いを詩にたくし、ギターで、路上ライブを開いたなら、その人は、どれだけ、最後に自分の人生を輝かしたかと思う。いまなら、インスタ、TIKTOK、いろいろと発表する場所がある。たぶん、十代や二十代の若者は、それをかっこいいと、思うはずである。なぜなら、そこに、偽らない人生という真理が、折りこまれているからである。

 人間は、いつでも、確率の中で生きている。無限に近い精子と卵子が結合して、母体の中でひとつの命が育まれる。それが、生の始まりである。そして、自然分娩、帝王切開、なんらかの形で母体から、この世にでる。ひとつの小宇宙の誕生である。そして、だんだんと、自己組織化で、自分という個体が形成される。ばくぜんと、自分というものを意識しだす。しかし、まだ、記憶が漠然としているから、自分が何であるのか分からない。データがない状態のAIと同じである。そうして、周りにいる人の存在を認識して、自分が備えている五感やセプターを駆使して、自分の周りにある情報を収集する。目的は、生存のためである。生存競争を勝ち抜いて、この世に生まれ落ちた個体、それが自分である。だれでもが、生きるために、生まれた来たので、ある程度まで成長すれば、そのための防御、自己免疫機能をもつ。そして、外界と自分との境に、自我を形成する。それで、自分が自分であるための、記憶を定着させる。自分の名前、自分の家族、自分を守るものはだれか、自分の生存を守ってくれる人はだれか、そうして、人はひとつの孤立した自我をもって、この世を生きることになる。

 

 

 人間は、永遠には生きられない。人間もこの宇宙の中の一部の存在にすぎない。人間という種がもっているポテンシャルエネルギー量は、限られている。ほぼほぼ、生まれてから100年ぐらいで、消滅する。200年、500年、1000年は、生きられない。物事には、初めがあれば、かならず、終わりがくる。人によっては、生まれた瞬間に終わりという人もいる。5歳で、10歳で、20歳で、30歳で、どこで終わりが来るのか、わからない。運がよければ、90歳、95歳、100歳まで生きられるかもしれない。それはすべて結果論でしかない。20歳で、病で亡くなる人もいる。事故や災害で亡くなる人もいる。自分で自分の命を葬る人もいる。それも、すべて、結果論、結果、どのくらいの命で終焉したかである。つい、80年前まで、学徒出陣で、若い命が散っていったし、朝、ピカドンで、一瞬で、終わった人もいた。3月11日、大地震がおき、それで助かったとおもったら、大津波がきて、それにさらわれて亡くなった人もいた。だれでもが、いつものように、3月11日の朝を迎えた。それが、最後の朝になるとは、考えていない。8月6日の朝、数時間後、ピカドンで、一瞬のうちに、自分の命が強制終了になるとは、誰も考えていない。

 

 

 

 10年前の今日、2014年8月22日という日があった。その日、生きていた人で、10年後、自分がこの世にもういないだろうとは、誰も考えていない。昨日があり、今日があり、明日は、昨日が今日になったように、今日が明日になると考える。しかし、この24時間以内に、この世で、だれかは死んでいる。それが自分でないという保証はない。

 

 

 人間はいつでも、確率の中に生きている。明後日の朝を迎えられるのは、あくまでも、確率の中の世界である。そうして、年よりほど、明日、生きられる可能性が少なくなる。私は、若い時、三度、この世の終わりを感じた。一度目は、病気である。むくみが肺まできて、息苦しかった。今でも、その時の感覚は覚えている。夜中、苦しくて、目覚めた。カーテンをあけて、窓から外をみた。月がみえた。その瞬間、自分は死ぬんだと感じた。その次の日から、なぜか、ステロイドが効き始めた。ものすごい量の尿がでた。むくみが取れていったと同時に、尿から漏れていた蛋白がみるみる減少していった。15歳の秋であった。

 

 

 二年後、なぜかしらないが、横断歩道を走っていた。たぶん、赤だったのだろう。私の視界に、車が近づいてくるのがわかった。その瞬間、意識は消えた。透明な何かが現れた。自分は、死ぬんだと一瞬感じた。そうして、車は面前でとまった。その瞬間、意識がもどった。いつもの時間、いつもの世界がもどった。私は、その人にあやまって、たし去った。いまでも、その感覚は覚えている。

 

 

 それから、二年後、私は、小笠原の海岸にいた。友と、小笠原にいった。シュノーケルをつけて、海をみながら泳いでいた。浅瀬を泳いでいたが、急に、波にもまれた。その瞬間、これは、やばいと思った。なにかに、引き戻される感覚があった。おぼれたのである。その一瞬、これは死ぬなと感じた。そのまま、気を失ったら死んでいたであろう。その時、息を止めた。そして、バタ足で、海岸のほうまで、泳いだ。息がくるしかったが、肉眼で、浅瀬になったとわかった。バタ足をやめて、足を底についた。自力で立ち上がることができた。たすかったと思った。

 

 

 人間、明日、どうなるか、誰も分からない。朝、目をさます。15時間後の内に、なくなるかもしれない。寝ている間に、地震がおきて、なくなる人もいる。発作がおきて、就眠中、亡くなる人もいる。人間、だれでも、最後は、意識を失うように眠って死ぬ。たぶん、最後に感じる感覚は、私が、過去、三度、死の淵で感じたものと同じものだろう。

 

 

 一日が一つの命と思って生きた方がいい。朝、目が覚めて、自分が誰であるのか、分かった瞬間、命がつながったと思った方がいい。そうして、今日、一日を頑張って生きたらいい。当たり前だと思う事が、本来は当たり前ではない。今日という今が、本来はあり得ない奇跡の上に成立している。だから、一度の人生、これこれと決めつけないで、がんばったほうがいい。朝、目覚めたら、それは、毎日、違う自分だとおもったらいい。自分が自分だと認識できるのは、記憶がつながっているからである。死んだら、記憶もリセットされる。昨日、嫌なことがあっても、今日は、それに引きずられることもない。

 人生の出口が見えてくると、人生という因果がどんなものなのか見えてくる。何事も運命だと、割り切る人がいるが、それは、結果から見れば、今と過去をつなぐ線は一つになるから、それが運命だったと言われれば、それまでである。誰でも、いつか、死を迎える。その時、その人の人生は、一つに収縮される。死んだ時点で、その人にとって、すべてが運命だったと言える。では、未来は、決まっているのか、たった一つ決まっているのは、いつの日か、死ぬという事だけである。いつ、どのように、どのような状態で、どのような環境下で死ぬなど、決まっていない。だれでも、どのような人でも決まっているのは、いつの日か、死を迎えるという事だけで、後は、何も決まっていない。未来は何も決まっていないのである。それは、すべて、確率の世界で、存在しているに過ぎない。

 

 

 今は、すべて、過去の因果によって縛られている。それは、決定している事実であるから、どうにもならない。どこの家にうまれ、どのような環境で育ち、どのような学歴や病歴があって、どうなったか、その結果が今である。だから、過去をデリートして、再度、過去を生き直すことはできない。過去は否定できない事実なのである。どんなにみじめであったろうが、どんなに不快であろうと、どんなに劣等感にさいなまれても、過去は消せないし、それは、事実として残ることである。問題は今なのである。今が、その人にとって良ければ、それでいいし、未来がさらに良ければそれでいいのである。

 

 

 人は、過去の因果を背負って生きている。過去に失敗した人は、次も失敗するだろうと未来を恐れる。過去の因果が未来を作ることになる。それは、どんなものにも慣性が働くからである。過去の行動が今の行動となり、未来の行動となる。それは、おなじように、生きるのが、惰性となり、それを変えるのに、何かしらのアクションが必要になるからである。だめなら、つぎもだめ、つぎもだめ、人間の行動にも慣性が働くから、そこの因果から抜け出ることができない。

 

 

 未来は何も決まっていない。決まっていなくても、慣性がはたらくから、過去と今を結ぶ延長線上に未来はあるように、思ってしまう。ついていない人は、ついていない人生のまま、何もしなければ、さらに、悪化していく。決まっていない人生をまた、だめだと勝手に思い込む。そうして、時間だけが無為に過ぎて、人生のチャンスを逃していく。それを、運がわるい、それが運命だったといって、自己容認する。勝手に、自分でそう思い込んでいるに過ぎない。

 

 

 未来がどうなるかは、今の行動、今のあり様次第である。今は、決まっている。自分の置かれている環境、状況、そのものである。過去は変えられない。何かしら病気をもっているなら、そういう状態、借金をもっているなら、そういう状態、学力、学歴、知識、経験、人脈、すべて、今、その人のもっている属性、すべてが今となる。もちろん、今という時代もある。戦国時代の世でもなく、戦争中の世でもなく、戦後、昭和、平成の世でもない。今日なら、2024年8月3日という今、自分のあるがままの状態が、自分にとっての今である。自分ひとりでいけているわけではない、家族、友人、恋人、社会的な相対的関係での自分がいる。今は、過去によってつくられている。しかし、それが、未来を決定づけるものではない。すべては、確率の中にあり、明日、どうなるかなど、決まっていない。なにもしなければ、慣性のまま、生きていれば、昨日と今日との関係が今日と明日との関係になるだけである。もちろん、人は永遠に生きられるわけではないから、50過ぎからは、下降していく。人生の分水嶺を追えれば、後は、下っていくだけとなる。それが、下りの慣性である。しかし、本来は、それも決まっているわけではない。

 

 

 人間が他と違うのは、意思を持っている点である。すべては、今である。そう、すべては、一瞬、この一瞬、何をしたらいいかは、その今の一瞬の意思次第なのである。それが行動を生むし、次の行動を誘発させる。重要なのは、未来は、なにも決まっていない、きまっているのは、ただひとつ、いつの日か、MAXの今の年齢からみる余命期間内に、自分の命が消滅するという事だけである。それも、いつ、どこで、どのように、死ぬかなど、誰もわからない。もちろん、明日、大地震が起こり、自分もそこに巻き込まれてぽっくりいくかもしれない。もし、それで亡くなれば、それが、運命だったと、その時言えるのである。すべての人は、死んだら、すべての可能性が0となり、それでその人の人生がひとつに収縮されて、この世から消滅する。生きている限り、意思が存在する。それがある限りは、どんな人でも、未来は存在する。

 

 

 私は過去に7回、ネフローゼ症候群を再発させている。原因は不明だが、尿に蛋白がでてくる病気である。ある程度、蛋白が出だしたなら、その尿中にでる蛋白がとまることはない。もちろん、ほっとけば、尿毒症となり、死ぬ。しかし、私の場合、ステロイドが効く。飲めば、尿中蛋白が陰性となる。後は、ステロイドの量を落とせばいいだけである。なぜか、私の中にその病気を生む因果がある。最初に発病したのが、15歳の時である。17歳、20歳と、再発を繰り返した。当時から、尿蛋白検査紙があって、それを尿につけると、蛋白がでると、黄色から緑色に変色する。なにか、調子がおかしいと、それをつけてみる。黄色なら、正常である。今は、特に問題はないが、もし、それが、緑にすこしでも変色したら、再発ということである。

 

 

 なったら、なったまでである。行きつけの医院にいって、処方できるMAXのステロイドをもらう。一週間ぐらいで、陰性にもどる。それは、それでつらいが、それを否定しても、どうにもならない。それを受け入れて、症状を緩和して、立て直すことしかできない。根性で治るなら、そうするが、私の場合、ステロイドでしか元にもどらない。私の場合には、ステロイドにうまく対応するが、そうでない人もいるのも事実である。もちろん、私よりも若くして、がんや他の病で亡くなった人もいた。人の未来など、分からないものである。

 

 

 人は、不幸なことが重なると、落ち込んでしまう。未来を作るのをあきらめる。今がよくない状況なら、それをまず、改善すべきである。病気なら、それを直すこと、経済的に問題なら、それを改善できるように頑張ることである。そうして、未来を作り変える。過去にどんなに偉大なことをやっても、今、ろくでもなければ、話にならない。過去の業績や栄光で今を生きれる人などいない。それは、過去の遺産を食いつぶしているにすぎない。いずれ、それもなくなり、相手にされなくなる。頭が働くまで、体が動くまで、手足が機能するまで、頑張るべきである。そうして、何か疲れたといって、そのまま、横になり、ぽっくりといく。人生の最後はそれが一番、綺麗である。職場こそ、仕事場こそ、寝室でこそ、そのまま、ぽっくりといく。後は、勝手にしてくれである。それが、最後の最高のわがままとなる。

 どんなものにも、飽和する時が来る。物の始まりは、どんな時でも、指数関数的に伸び、どこかで、その成長が鈍化し、対数的な動きとなって、飽和し、そして、下降していく。その下降が一気に落ちるか、ゆっくりと落ちるか、指数的に落ちていくのか、対数的に落ちていくのか、それも、重要である。そして、物事には、始まりがあれば、どこかで、終焉がある。その最たる例が人の一生である。

 

 

 どんなものでも、そこに、新規性と需要性があれば、成長する。しかし、それにも飽和がある。永遠に膨張し拡散することなどあり得ない。もちろん、宇宙全体からみれば、膨張拡散しているようだが、人間を主体と考えれば、どこかで、それも終わりがくる。人類の終わりが予想でき、このまま時間が続いていけば、生命が存続できる環境がこの宇宙にはなくなるからである。商売でも、結局は、物量作戦に負ける。戦前の大本営的な考えは、ありえない。その最たる例が、日本の家電メーカーである。最初は、指数関数的に売り上げがのび、世界に販路が拡大した。しかし、家電は家電である。冷蔵庫は、冷蔵庫で、車ではない。テレビもテレビで、電子レンジではない。家電の製品がいきわたれば、後は、価格勝負、技術は、ものとして、外にでたら、かならず、その内部情報はもれる。技術は同じ、つくるプロセスも同じ、原料も同じ、機能もほぼおなじ、差別化できる要素は微々たるもの。それをカバーできる費用対効果がなければ、必然的に、安く、たくさん作れるところ、物量が豊富なところが勝つことになる。日本が、戦争で、アメリカに負けたのは当然であった。戦艦大和もゼロ戦も、敗戦間際には、全滅、そして、最後は、一億総玉砕、竹やりでB29を落とせという精神論と、原子爆弾という人類破壊兵器との闘いへとなった。トラトラトラと、真珠湾奇襲の勢いは、数年のうちに、失墜し、最後は日本を焼け野原にした。栄枯盛衰である。唯一、歴史上、その理を理解して、長期安寧の世をつくったのが、徳川家康であった。徳川政権、時代の流れを人の野望さえも制御した。最後は、無血江戸開城である。江戸を明治政府に明け渡した最後の将軍、徳川慶喜、蟄居して、最後まで暴動をあおらなかった。武士の世を終わらせた最後の将軍であった。戦っても、意味がないと悟ったのだろう。

 

 

 時代の流れからみれば、トヨタも危なかった。トヨタが生き延びられたのは、車載用電池が、EV車に対応できるまで普及しなかったからである。エンジンをなくして、モーターだけで走るだけの車載用電池の開発がうまくいかなかったからである。そのネックは、正極の導電助剤の導電性が、うまくUPできていないからである。EV車の価値は、一回の充填で、長く走ること、しかも、繰り返しても、バッテリー性能が落ちない事である。車を重くすれば、効率はわるくなる。だから、限られた容量で、電気密度を上げざるをえない。そのエネルギー源は、正極の活物質である。それを増やすには、導電助剤の量をへらし空間をあけなければならない。そうなれば、導電助剤の導電性を上げることしかできない。それが、うまくいかない。それほど、アップしない。だから、EVは失墜し、HVが生き残った。日本の自動車メーカーが生き残れたのは、その車載用の電池技術が、上手くいっていないからである。

 

 導電助剤の導電性がUPすれば、必然的に、充電時間も短くなる。そうなれば、EVが増えてくるのは、必定、エンジンが命の日本の自動車会社も、家電メーカーといずれ、同じ道を歩むことになるはずである。しかし、充電インフラがそろわないから、しばらくは、HV車が優勢であるのは確かである。しかし、どこかで、ガダルカナル、ミッドウエー海戦のような転換点がくる。それを予測し、次の時代への開発・投資をしないと、どの企業も大本営的な敗北となる。

 

 

 何事も、キーとなるのは創造性、同じものならコピー、そこに、対価は支払われない。小学生の画と有名画家の画、市場価値がちがう。どちらも、同じ絵である。マンガ家とそのアシスタント、アニメ映画では膨大な原紙が使われる。それを描く人とオリジナルなマンガ家、絵という観点からでは、プロダクションのライターの方が上かもしれない。その社会的、金銭的な差異は何か、創造性だけである。そのキャラクターを作ったか、それを模写する人かである。写生、複製画がある。とんでもなく、リアルに描く人がいる。そこに市場性があるのは、その技法等に、なにかしら、他とはちがう独創性(創造性)があるからである。ゲームでも、儲かるゲームはそのキャラクター性にある。そのキャラクターに対する創造性こそ、価値がある。プログラムをつくるプログラムがある。AIが、プログラムをつくるだろう。そうなれば、創造性にかけるプログラマーは、いずれ、失墜する。

 

 

 創造性とは、見る人によって異なる。結果が、市場が要求するものでなければ、そこに市場性はでてこない。創造性したものが需要されなければ、その創造性の価値はでてこない。たとえ、いいものでも、時代が要求しないものなら、売れない。評価されないことになる。もちろん、その評価も匙加減、ひとつで変わることもある。大御所が、これはいいと、いえば、文芸、絵画など、価値は一変する。ろくでもない人でも、大きな賞をひとつもらえば、この人はすごい人という事になる。しかし、物事は、創造性だけがよくても、上手くいかない。そこで重要になるのは、人間性である。創造性があって、人間性がよければ、最後は、上手く可能性がある。似たような技量であれば、人間性がいいほうを誰でも選ぶのは当然である。

 

 

 創造性が乏しくても人間性がよければ、それなりの人生をやはり歩む。こつこつと物事をやり通せば、人間的な信頼がつく。この人に任せたら安心と思わせたら、それなりの人生を歩むことができる。やはり、いい人は、いい。世の中には、いい人もいれば、悪い人もいる。己の利益を優先して、詐欺まがいのことをする人がやはり、一定数いる。だますよりも、騙される方が悪いと思っている人達である。だいたい、人の弱みに付け込んで、己の利益を上げようとする人々である。基本はWIN-WINであるが、そういう人は、最低でも、70:30は、己優先でものごとを考える。創造性もなければ、人間性もない人間、刃傷沙汰がなければ、大体、詐欺師と言われる。そこに不法行為がからめば、横領、詐欺として、刑事事件に発展する。そこに、脅迫やおどしが、入れば、脅迫罪、人を傷つければ、暴行・傷害罪になる。

 

 

 昔は、ものすごい計算ができて、何かしらの数字をひねり出せる人はすごいと思われていた。今は、エキセルがあって、だれでも、ものすごい計算で色々な予測を導き出せる。PCがはったつし、ネット環境がそろえば、内容を理解できなくても、高校生でも、大学教授と同様な事象を作り出すことができる。むかし、世界の情報をにぎっていた総合商社のネットワークも、今は、PCの中で、構築することができる。ネットを検索すれば、高校生でもそれなりの情報は取り出せる。そうなると、価値がでてくるのは、それをどのように生かして、新しい価値を創出できるか、その創造性にかかっている。情報は、正しいものも間違ったものも、ごっちゃごちゃになって飽和している。

 

 

 重要なのは、創造性である。そして、人間性である。創造性豊かに、ペテンをして、人から財産をかすめとっても、ペテン師はペテン師、最後は、そのつけが回ってくる。企業もおなじ、下請けいじめ、設備メーカーの技術をぱくり、内製化する。そういう情報は、大体、設備メーカーで共有されている。今は、いいが、いずれ、その技術も飽和する時が来る。その時、新しい技術がほしいとおもっても、どの設備メーカーもその企業には協力しないはずである。基本は、WIN-WIN,そのバランスが多少前後しても、60:40までである。

 なにげなく、さよなら、またな、といって、それが永遠の別れとなることもあるし、そういって、50年の月日がながれることも、そうして、居所がわからなくなり、あいつ、どうしているだろうか、あの人、どうしているだろうかと、思うことになる。

 

 

 十年近く、部品の担当だった人が、その会社を定年退社した。数か月前から、そのことは知らされていた。最後に電話で話した時も、いつものように、電話を切った。そうして、最近、電話をしたら、その人は退社したと、携帯電話を教えてくれといったが、個人情報だからとNGされた。当たり前である。最後の出社日を聞かされていた。メールでも、連絡してこいとうった。電話がかかってくるかなと、思ったが、午後三時までなかった。夕方、ばたばたして、こちらから電話をかけるのを、忘れていた。気が付いた、6時を過ぎていた。電話はかかってこなかった。メールも来なかった。これで、その人と、会う事もないだろうと、おもった。個人的なつながりはない、ただ、仕事だけで、ずいぶん、その会社から部品をかった。相手からしても、電話してもしょうがない。自分は、会社を定年で退社する。もう関わることはない。私の声を聞けば、未練が出てくるのかもしれない。それも、あいつ、らしいと思った。たぶん、10年ぐらいは、つづいたいただろう、一週間の間でも、その人の声を聴かなかったことはない。そいつのとぼけた顔を思い出すが、私が今いえるのは、元気でやれ、というだけである。

 

 

 人生は、一方通行、ひたすら、歳月の谷間を下りていくだけである。朝、自宅から会社まで、徒歩か自転車でいく。かならず、朝、登校へいく中学生たちとあう。学校の門には、先生たちがたって、はやくこい、おくれるぞ、と叫んでいる。先生たちも、周期がある。もう、十年近く、それを繰り返している。10年前、中学一年の子なら、23歳か24歳になっている。今年入学してきた子も、もう一学期がおわる。成長がはやい。一年生と三年生なら、すぐ違いが分かる。男も女も思春期での成長がはやい。二人で仲良く歩く女子もいれば、3人組もいる。ひとりで歩いている女子もいる。男はやぼったいが、女子には、華がある。雰囲気で、この子は将来、綺麗な人になる、可憐な人になると分かる。この子は、あぶないかなと、その雰囲気でわかる。

 

 

 その子らと一緒に歩いていると、中学生だった自分と自分の周りにいた人を思い出す。何十年たっても、変わらない。中学生は、中学生のままだろう。知り合いの会社の人の息子さんが、中学1年ということ、きっと、同じような雰囲気であるいているのだろうと思った。昔、写真を見せられたことがある。背が高い端正な顔立ちだから、もてるだろうと、思った。

女の子から、アプローチされるだろうと、そうして、ひとつ、ひとつ、大人の階段をのぼっていく。いつしか、キスをして、いつしか、体をだきしめて、いつしか、異性と交わう日がくるだろう。そうして、親から巣立っていく。ひとりの男としてそだち、いつしか、家庭をもち、子供をつくるかもしれない。

 

 

 こどもは親になり、親や祖父母になり、そうして、ジジババは、あの世へといく。それがこの世の順番である。偉そうなことをいっても、だれも、それを止めることはできない。過去は、消えていき、未来が今、現在もやってくる。過去を述懐しても、何も生まれない。何かの縁が生まれるのは、未来にとって、それが必然だったからである。

 

 

 私の父は、広島の旧制高等学校をでて、九州の大学にいき、そして、戦争にいった。復員して、母と結婚して、そのうちの一人として私が生まれた。私は、父から、父の過去をきいたことがない。何も話さなかった。父から、戦争のことなど、一言も聞いたことがない。父は、原爆投下前の広島をしっている。旧姓高等学校で野球をやっていたそうである。だから、バンカラだったろう。戦後、父は広島をみたはずである。同窓会にも出ていたと記憶にある。原爆でなにがあったのか、父が青春時代にさまよった広島、たぶん、知り合いもいたはずである。広島市街にいた人は、みんな死んでいっただろう。そうして、満州に引っ張り出された。戦争終結時、どのようなことが起きたのか、父は、どうやって、日本に戻ったのか、父は、何一つ、話さなかった。父は、化学専門の技術者だった。父がしんで、もう長い年月がたつ。私は、父と母のことはなにもしらない。知っているのは、私がもの心ついて、そばにいる父と母の姿だけである。過去どのようにいきたかなど、一度も聞いたことがない。

 

 

 時代は、いつでも、今、何ができるのか、今の価値を見ている。過去にできても、今できなければ意味がない。何かの都合で今、できなくなっても、今、それを、だれかに伝え、その人ができるなら、その人の価値はある。しかし、すべては、流転している。テレックスの専門家、電卓の専門家だとしても、今、その技術に対しての需要はない。昔、偉い人でも、その今ある力で今を変えられるなら、価値はある。しかし、昔の名前ででても、その人が自力で何かをできるならいいが、他力本願でしかないのなら、もう意味はない。

 

 

 おなじ材料、同じ設備、同じプロセス、同じやり方で物を作っても、もはや、日本に勝ち目はない。中国でもインドでも、どこでも同じ品質なら、コストがやすいほうがいい。成熟した市場、飽和した市場、そこをねらっても、意味がない。新しいもの、違うもの、できなかったものを作るしかない。汗をかいた人だけが、勝利をえる。棚から牡丹餅は起きない。それを画策しても、どこかで、その下心はかならず露見するものである。

 

 

 40歳、あっという間に、10年は過ぎる。そして、50歳となる。それも、あっという間に、10年が過ぎる。そうして、人生のエンドが近づいてくる。自力で何かできるものがないと、だんだんとすたれていく。人生において、一番、つらいのが、やることがないことである。定年で会社を辞める。大抵は、自分に余力があると思うから、次を考える。しかし、一度、組織を離れたら、よほどのものがないと、次はない。勤め人は、労働法、会社法で、雇用が守られている。だから、最後まで、組織のぬるま湯につかってしまう。外部の世界を、個人の力で生きたことのない人には、そこで生きるだけの耐性がない。一人で生きていける力がないし、経験がない。個人事業主、会社経営、簡単なことではない。そうなると、頼れるのは、自分の知力しかない。市場価値を生むものを創出して、金を稼ぎだし、いきていくことしかない。他人のふんどしで商売をすれば、かならず、どこかで詐欺と言われる。自分のものでないものを、自分のものだと言わなければならない状況に追い込まれるからである。

 

 

 一年後は、一年後にくる。一年前に生きていた人も、一年後を迎えることなく亡くなった人もいる。それはだれにも分からない。結果からみれば、それが必然だったいうことになる。未来は分からない。しかし、どうも、未来は決まっているように思える。ただ、我々にはそれが見えないだけである。

 組織の中に組み込まれると、人は、その組織のひとつの歯車として動かされる。もちろん、その組織も、ひとり、ひとりの集合体であり、その組織の動きを決めるのは、ひとりのカリスマで動くような組織でなければ、その組織の雰囲気、その場を支配するような人々の気持ちである。それが、不合理であっても、それが、客観的にみて、おかしいとわかっていても、全体の流れができてしまえれば、それに誰もが従うようになる。勝てるとは思っていなくても、太平洋戦争に突入した日本、大本営がその例である。広島、長崎に原爆が落とされ、無条件降伏を受け入れなければ、東京に原爆が落とされる。そうなれば、国体もあったものではない。聖都は、焼け野原、一億総玉砕と叫んでも、玉砕する人もいなくなる。そのぐらいにならないと、戦争は終結しなかった。一度、動いたものは、なかなか、止まらない。慣性の法則が働いた。それから、まだ79年しかたっていない。

 

 

 仮に、組織のトップになっても、いつか、終わりがくる。定年を迎える。組織の決まり事がある。そうなれば、次のトップがでてくる。組織にはいり、組織で守られ、そして、組織から卒業を迎える。その時に、その人に何が残っているのか? 組織の看板がなければ、何もできないのでは、しょうがない。仮に、組織の中にいれば、すべてが他力本願、他力本願どおしで、共通の組織の利益という共同幻想の上に、自分の人生が成立している。65歳で、組織からでる。これは約束事。その後、何年、生きているのか、少子高齢化、これは現実、だから、だんだんと、年金は先細りする。年金は、現役世代が、高齢者を支えるという仕組みである。その現役世代がへっているのだから、高齢者に分配するお金も、だんだんと減っていく。だから、年金受給年齢を引き上げる。老後資金も自分で稼げということになる。少子高齢化は事実であるから、かならず、そうなる。それか、移民を増やし、この国に、税金をはらってもらい、公的年金資金の原資にするしかない。そして、高収入の人から、税金をとる。累進課税を昔以上に、強化しなければ、いずれ、破綻する。

 

 

 いずれ、誰もが、組織から、追われる日を迎える。他力本願で生きてきたから、自力で何かすることができない。商売をするなら、すべて、自己完結性がなければ、どうにもならない。自分に技術があっても、それを具現化するには、だれか、特殊な人の支えがいるなら、それは自己完結性とはいえない。その特殊の人のサポートが途切れたら、その事業も終わりになるからである。もちろん、自分ひとりでは、自己完結性はできない。しかし、部品は、汎用性、後の加工は、どこでもできる。つまり、資金さえあれば、自己完結性が成立するならば、それでいい。だれか、特定の人に急所を握られていたら、その人が、さよならをいったら、それで、その事業はおわる。組織であれば、代わりの人がいるから大丈夫だが、零細企業であれば、命とりである。よく、ベンチャー企業である話は、2人で起業した、しかし、意見があわず、ひとりが、離職する。大体、技術系の人が辞めるだろう。そうなれば、残った人では立ち行かない。大体、破綻する。

 

 

 自己完結性のループに、誰か他人の行為(意思)が入っていたら、そこでそのループは壊れていることになる。最初は、一緒にやっていこう、と大抵はいう。しかし、十人中八人は、自己本位である。そのうち、なんで、こいつのために、俺がやらなければならないのか、という気持ちがでてくる。そうなれば、必ず、別れる。そうなれば、そのビジネスは、終わる。その他人がいなくなっても、自分だけでも、自己完結性が保たれるようにしないと、これからは生きていけない。利害がでてくれば、必ず、人間のエゴがでてくる。自分でできるように、たとえ、自分ひとりになっても、事業が存続できるように、しておかなければならない。これが鉄則である。それができなければ、独立など、してはいけない。

 

 

 私の本業は、微粒化装置の開発である。今でいえば、CNTやグラフェン製造である。圧力も100Mpaをかけて、CNTを壊さず解繊する技術である。これは、全部、自分でつくりあげ、商品化し、メンテまでしている。これから、注目を集めるはずである。すべて、自己完結性のループの中にある。人を入れる必要もない。技術の中枢は、特許で保護されている。もちろん、すべての発明者は自分だけである。当然に、ビズリーチされて、技術流出する懸念もない。必要な部品等は、汎用品だから、発注すれば事が足りる。特殊な部品等は、自分で図面を引き、加工してもらう。ポンプは、アメリカから仕入れたらお終い。必要があれば、自分で部品を設計して、加工屋にだせばいい。専属の所はない、高ければ、安いところに発注しなおせばいい。そこに特殊、専門性はない。つまり、どこにも、急所を握られるところはない。

 

 

 最近、泡レスDMRという装置をつくった。これもまたおなじ、すべて、汎用部品、後は、自分で設計して、これを作ればいい。組み立ては、自分でもできるものである。プラモデルを作る感覚だから、それはそれで楽しい。そして、実験も自分でやる。自分で作った装置、自分で考案したものの評価を、CNTというものをつかってやる。SWCNTもあれば、MWCNTもある、いろいろある。最近は、黒鉛を同時に剥離して、CNTとグラフェンの複合材もトライしている。それを、自分で評価する。それを、スライド化して、自分の会社のHPにUPする。色んな人がそれを見ている。自分で作ったツールをつかって自分で実験する。見えなかったことが分かってくる。それがまた、ひとつの知見となる。大学や産総研でもみえない、分からない因果関係が見えてくる。必要があれば、あらたな部品をつくる。世界のトップの技術となっている。それを、全部、自分でやって、自分で実験して、自分の手を汚して、そして、ツールを改良する。それが、自己完結性の本質である。だから、新しいものが生まれる。ひとつでも、他力本願が入ったら、そこでビジネスは止まる。

 

 

 半導体や液晶等の技術が流出したのは、技術を習得した人が、お金と待遇の条件にのって転職したからである。これは、どうにもならない。当然に、技術を転職先で教えても、いずれ、そこでも、用なしとなる。外様はいつまでも外様である。転職した人は、いずれ、いい条件がでれば、また、転職していく。分かり切った道理である。だから、そういう技術者は、渡り職人となり、企業を転々とする。技術革新がうまれて、いずれ完全に用なしとなる。その渡り職人も、その事業がなければ、その技術は不要、お払い箱になるのは、必定となる。

 

 

 むかし、とあるところから、はしごを外され、ぼろぼろにされたが、それ以前は、化粧品工場ももっていた。自前でつくった装置で化粧品を作っていた。いまでも、その処方等は残っているから、再興しようとおもえば、いつでもできる、しかし、今は、そこまでやる気力はない。そこで、とあるところから、音楽とのコラボレーションとの話があった。曲をつくって、女性二人に歌わせるというものだった。実際に、曲をつくりCD化までやった。大々的にやる直後、体を壊して、延期状態、その後、とあるところから、とんでもないことをやられ、化粧品も中止せざるを得なかった。うまくいっていたら、化粧品もよかったし、そこ女性シンガーも可愛くて歌がうまかったから、時流にのれたかもしれない。これも、ほぼ、自己完結性であった。装置から製造、容器充填、販売、プロモーションまで自前でやった。化粧品製造許可、販売許可も、取得して、やった。だから、化粧品のことは、最初から最後まで、全部理解している。どのくらいの原価なのか、その中身もわかっている。化粧品は面白かったが、これは宗教団体の勧誘とおなじだから、それなりの組織がいる。自己完結性がないと、いかがわしい人たちに、騙される。

 

 

 そんな関係で、音楽との関わりがあった。当然に趣味の一環だが、そうなると自己完結性の癖が出てくる。曲は作れるとなれば、今度は、自分で、弾き語りで歌いたくなる。ギターを習得することになる。もちろん、曲をつくれば、編曲も必要、DTMを学ぶことになる。音楽の協和理論と、本業の分散理論とが重なった。それをやっていると、YOUTUBEにUPしたくなった。歌を録音する。今は、パソコンがあれば、基材は安いものである。時間ができれば、復活してやりたいと思っている。これも、すべて、自己完結性である。だれか、他の人に頼む必要もない。すべて、自分ができる範囲の中で物事を遂行する。

 

 

 世の中で失敗する人の例は、大体、こんなはずではなかったということである。他人任せにすると、ひどい目にあう。大体、最初は、下手にでて、甘い言葉で誘い込む。そうして、罠にはまって、取り込む。釣った魚にエサをやらない、そうして、そこから、利益がでないとわかると、ぽいすてする。のたれ死しようが、どうなろうか、知ったことではないという態度をとる。もちろん、そうならないケースもある。仮に、どうなろうと、自己完結性のもの、それに市場価値があるものなら、やり直しは可能である。世の中、だました奴も、また、だれかに騙されて、ひどい目にあう。

 

 

 むかし、はしごをはずされ、どん底に落とした会社、最後にその関係を清算するときに、その会社にいった。その会社の役員が、私にいった。本音をいったのだろう、“選んだ相手がわるかったね”である。これが、世の中である。企業人として、最低の言葉である。たぶん、それが、本音、それは、その人自身にも当てはまる。自分が選んだ会社、それがどんなことをしたのか、好きでやったわけではない、自己弁済の言葉でもあった。当然に、過去、私と関わった人は、全員、数年以内にその会社から去った。黒歴史を抹殺したのである。

 

 

 AI、高速情報化時代、パソコンがあれば、ネットに広がった情報は誰でも取れる。パソコンにオフィスがあれば、高度な計算もできる。分析もできる。数式さえ、打ち込めば、どんな計算もできる。ネット環境があれば、ほとんどの汎用性のあるものは、入手できる。ものは作れるのである。超一流大学の博士も、その肩書だけでは、もう食べていけない。超一流大学の名誉教授が作ったもの、特許もとった。物もできた。それで、膨大な資金も得た。もちろん、量産機が出来なければ意味がない。そういう話は、いくらでもある。大抵は、失敗に終わる。量産ができないからである。実験機レベル、少量スケールなら、できる。しかし、量産になると、だめになる。なぜなら、その大学の名誉教授が全部、自分がつくったものではないからである。自己完結性がないからである。装置など自分ではつくれない。業者まかせ、何かの変数で物が変わっても、その原因がわからない。自己完結性がないから、そこで話が途切れる。本当にいいもので、それができるものなら、もう、できているし、それが一つの常識となっている。それがないのは、できないからである。つまり。まゆつば、ということである。もちろん、だれも、それを、できないとは言わない。それをいったら、詐欺になり、金を返せということになるからである。本当に、世の中を変えるものは、せんみつ、千の中にみっつもあればいいということ。今は、数千万の内に一つあるかどうかである。

 先生、あれから、何年たつのでしょうか。先生のお姿が見えなくなって、先生と話すことが当たり前だったこと、それが、突然、なくなって、そうして、先生がいない日常が始まる。新しい日常になれたと思ったら、また、何かを失う。そうして、また、新しい出会いが生まれる。人生とはその繰り返しです。両親、親戚、兄弟、妻子、友人、いつかは、かならず、別離が来ます。そうして、自分も、この世とさよならを迎える日が来ます。私がいなくなったら、寂しいと思ってくれる人がいるでしょうか、ひとりかふたりはいてくれるでしょうが、私がいなくなれば、それを感じる自分がいません。あの世があって、この世を俯瞰できる自分がいればいいのですが、それは、わかりません。死んだ後、どうなるか、それは死んだ後のことです。

 

 

 昔、働いていた会社、大阪の中小企業の典型的なパターンでした。けったいな人達の集団でした。まだ、先代は生きているようですが、子供は、還暦前に死んで、その後、その会社も名前だけ残って、後は、すっかり、別な会社になりました。もう、私が働いていた時の人はほとんどいません。定年退職した人から、その後の顛末を聞きました。すでに、亡くなった人もいます。ほんとうに、けったいな人達のけったいな人生の航路だと思います。わたしもけったいな人の中のひとりかもしれませんが、それ以上に、けったいな人達だったと思います。

 

 

 人生は、上り道、一度、上り始めたら、引き返すことはできません。一本道を上っているようです。眼下は、崖です。足を踏み外したら、落ちるだけです。奈落です。振り返っても、そこにあるのは、記憶だけです。取り壊された家は、もうありません。ビデオに写っているものは、もうありません。学校も、駅も、新しくなれば、それが、新たな現実です。とりこわされれば、昔の面影はありません。誰もが、前に行くしかありません。何気ない日常は、変化しないようで、変化しています。10年すぎれば、10年の変化があります。20年前、20歳の人も、今は40歳、そして、同じ二十年がすぎれば、60歳です。あっという間に、過ぎてしまいます。100年前は、100年前にありました。そこで生きていた人はもうほとんど、いません。人生で、一番重要なのは、使命感、やることがあることです。一番つらいのは、やることがないことです。やることがない人が病にかかる。病を治すことが、今のやることになります。しかし、病が治ったら、何をするのか、病を治す目的がなくなります。

 

 

 人生、最後まで、自分らしくいきるには、自分しかできないものを持つことです。しかも、それが、みんなから、求められているもの、です。つまり、利他を実践できるものがあることです。だれからも、求められていなければ、寂しいことです。生きてほしいとのぞまれていなければ、生きる気力がでてきません。周りを和やかにしてくれる人、みんなから愛される存在、その人がいなければ、周りが寂しくなる。そういう存在でもいいのです。その人がいてくれるだけで、まわりが、おなじように、がんばろうと思える存在でいいのです。その人がいなければ、だめと、多くの人がそう思える存在であれば、それが、その人にとっての利他の実践ということです。

 

 

 年をとれば、生産能力もさがり、邪魔者扱いされます。だれもが、そうなります。偉い経営者も学者も政治家も、年をとれば、ぼけて、介護が必要になるかもしれません。それが当たり前なのです。しかし、人生は最後まで上り坂、人生に下りはありません。やめたいとおもったら、そこが、終点です。人生、最後まで、創造です。世のため、人のため、がなければ、偏屈爺、意地汚い爺、婆、欲どおしい爺・婆となります。

 

 

 人生の分水嶺は47歳前後です。50歳など、あっという間です。今は、いい。しかし、だんだんと、世界が閉塞していきます。終活の準備をしたほうがいいということです。終活、最後まで、自分が利他の実践ができるものがあるのか、なければ、時間をかけて、みつけたほうがいい。それが、終活の準備です。

 

 

 今日やることがあればいい、明日、やることがあればいい。一年後、3年後、5年後、やることがあればいい。それが想像できて、それを創造しうるものが自分の中にあればいい。大阪には、腕のいい職人がいた。旋盤一つで、何でも作ってくれた。年をとっても、仕事があった。大変だろうが、周りから慕われていた。体がしんどいといって、廃業してしまった。旋盤を売り払った。たぶん、そのおじいちゃん、長くはいきていけない。旋盤があれば、あれこれ、どういう風に加工しようと、頭が働いたはずである。その職人のおじいさん、つらくても、やめるべきでなかった。たぶん、今は、ぼけて、いつ亡くなってもいい状態のはずである。

 

 よどめが、物事は腐る。乱れれば、壊れる。ゆらぎとは、その中間にある心地よさを与えるものである。この宇宙は、加速膨張をしている。この宇宙空間が、風船の内部のように閉塞空間なら、どこかで反転するかもしれない。それは、わからないが、どうも、違うような気がしている。エネルギーが一気に解放されたらどうなるか、爆発である。核分裂を無秩序に連鎖させたら何がおきるか、原子爆弾である。それを暴走しないように制御すれば、どうなるか、エネルギーを一定的にとりだせ、水蒸気をつくり、タービンをまわす、原子力発電である。当然に、核分裂を誘発させなければ、何もおきない。

 

 

 今現在、宇宙は壊れていない。加速膨張を続けている。そして、エネルギー密度が一定になるように、エネルギーがどこからから注がれている。まるで、原子力発電の核分裂を制御しているかのようである。この世の論理を越えた何かの因果がそうさせているとしかいいようがない。そして、その膨張の加速度は一定のようである。それはこの宇宙には、なにか境目があって、向こうから、加速度が一定になるような、力が、この宇宙にかかっているようである。バックプレッシャーである。だから、この宇宙の内部は、ある秩序に保たれているようだ。すくなくとも、人類が今まで生きていられる状況が保たれる何かが、この世にはあるということである。

 

 

 宇宙は膨張している。そして、エネルギー密度が一定になるようにどこからか、エネルギーが注がれている。そして、乱れることなく、この宇宙の広がりはある調和を保っている。どんどん空間域が広がる。当然に温度は下がっていく。物質は、微細化となっていく。この宇宙の境目にどこからかバックプレッシャーがかかっているなら、それもよわまっていく。川の流れが、大海に注がれていくようなイメージとなる。そして、すべてが、均一な状態へと遷移していく。

 

 

 このイメージは、私が作り上げた美粒モジュールの分散原理と、非常に酷似している。ポンプでエネルギーを上げる、何も変わらない。エネルギーをあげただけでは、力の作用はない。ただ、100Mpaというポテンシャルエネルギーをあげただけで、ある。それは、1000mの上空に物があるという状態とほぼ同じである。それをそこから、下におとす。当然に、質量と加速度Gが加わる。何かにあたらなければ、力は作用しない。人がビルからコンクリートの固い面におちる。落ちている間は、エネルギーは変わらない。高さがもつエネルギーが、速度に変換されただけである。コンクリートにぶつかるまで、気を失うことがあっても死んでいない。しかし、コンクリートに、ぶつかった瞬間に力が発生し、コンクリートへかかった力の半分が自分にかかる。即死である。しかし、そこがコンクリートでなく、防御ネットなら、人は死なない。なぜなら、力が分散されるからである。力は、一定の時間の中で、どれだけ速度変化が起きたかで、変わる。コンクリートなら、一瞬で、速度が0になる。しかし、防御ネットなら、ゆっくりと速度が0になる。だから、ひとは力を受けずに、助かる。

 

 

 それと同じで、ポンプで圧力を100MPaにしても、ものは変化していない。そして、美粒モジュールを通す、そこが、一瞬でおわるなら、そこに、ものすごい流速の流体が発生する。洗浄器とおなじ、ノズルから、ものすごい流速の水が流れるのは、その原理である、圧力が流速に変換しただけである。それがものにあたる。そこで力が生まれる。汚れがふっとぶ、そして、その水は、知面におちて、そこにとどまる。美粒モジュールは、そういう原理をとらない。その流体が乱れないように、冷却と背圧を制御して、川が大海にそそがれるようにしている。よどむことなく、みだれることなく、泡を発生することなく、ポンプで作り上げたエネルギーをうまく使いこなしている。まるで、この宇宙がそうであるように、この美粒モジュールも、そういう風にしている。昔、その表面の音を録音した、その音をFFT分析にかけた。その波形は、1/f揺らぎの波形と重なった。

 

 

 音楽でいう、一オクターブは12音階である。周波数でいえば、倍音である。音楽でいうラの音、これは220Hzである。110Hzも、440Hzも、660Hzもラである。ラと一番共鳴する音は、ミの音である。ドを基準にすれば、ソである。なぜか、2:3の割合いで、音が重なるからである。協和するということ。それは心地よい響きである。逆に一番協和しないのは、ラなら、ラ#、ドならド#、ミならファの音である。いくらやっても重ならないからである。かりに、ミとファの音を音量をあげて、強く連打したら、普通の人は頭が痛くなる。なぜか、それが乱れだからである。それを一日中聞かされたら、頭がおかしくなる。破壊される。

 

 

 歳をとる。代謝がわるくなる。水分の保湿が効かなくなる。若さとはエネルギー、水分を皮膚の内部に閉じ込め、活性化させる力でもある。しかし、人生の分水嶺をこえて、人生の黄昏を見出せば、エネルギーもだんだんと失せてくる。そして、記憶を保持する力もなくなる。だんだんと、よどんでくる。ぶた猫とおなじである。よどんでくれば、そこに慣性が効いてくる。無理をして起き上がり、がんばらないと、そのまま、自分が誰であるのかも忘れて、あの世へと持っていかれる。若さはエネルギー、だから、ちょっと、むちゃをすればすぐに乱れる。しかし、歳をかさねれば、それも、でてこない。乱れることもなくなる。働けるなら、働いた方がいい。外の光をあびて、動いた方がいい。外にでることなく、一日中、テレビを見だしたら、要注意である。

 

 1950年、ステロイド開発に関わった3人(ヘンチ、ケンダル、ライヒシュタイン)に対して、ノーベル賞が受賞されている。私にとって、ステロイド開発がなければ、15歳の時、間違いなく、死んでいた。私の体の中に今でも潜伏している病気の素、ネフローゼ症候群である。何かの因子が体に入り、何かを刺激して、それに、自己免疫が反応する。それが、ある閾値をこえると、何かのスイッチが入り、体の一部が反応する。正常に動いていたものが、正常に機能しなくなる。それが、塑性域まで、いくから、症状は継続する。それが、病気である。ネフローゼ症候群は、血中の蛋白が、尿中に漏れ出す病状である。塑性域(復元できない領域)までいけば、何も効かない。根性でも、祈祷でも、他の薬でも治らない。なぜ、その症状がでてくるのか、因果関係は、今でも不明である。原因不明な病気には、スクリーニングというやり方で、ステロイドを投与する。ネフローゼ症候群の患者には、かなりの確率で、効果があると認められた。だから、15歳の時、当時の臨床処方事例に戻づいて、投与された。すこし、時間がかかったが、元に戻った。私の症状は、劇的に、ステロイドが、効くタイプだった。それから、再発を繰り返したが、同じように、元に戻った。年をとって、また、同じ症状がでた。ステロイドを飲むと、元に戻った。この歳まで、何とか、生きていられる。だから、昔から、尿中たんぱく検査紙は、もっている。なにか、調子がおかしいとおもったら、尿をとって、自分で検査している。黄色であれば、問題ないし、すこし、緑ぽくなったら、再発というシグナルである。かつて、そうなった。

 

 

 だから、それが、運命だとおもった。じたばたしても仕方がない。かかりつけの医者にいって、検査する。同じ症状である。かかりつけの医院でだせる上限のステロイドをもらう。1週間もせずに、蛋白は陰性になる。それから、ステロイドの減量である。嘗て、そのようなことを数回くりかえした。今は、ステロイドを飲んで飲まなくても関係ない最低量を予防のために飲んでいる。微量でも、飲んでいた方が、再発を繰り返す人にとっては、有効だとの臨床データがでているのだろう。当然に、私の臨床データも、ネフローゼ症候群の治療のひとつに使われているはずである。

 

 

 色んな意味で、人生は諦めた時、そこで終わる。最大のあきらめは、人生を自ら閉じることである。自殺である。この世には、生きたくても生きられなかった人がいる。若い時、そういう人々をたくさん見た。戦争中、国家のばかげた戦略で、特攻機にのせて、自滅させた事例がある。だから、戦後、生き残った人は、死んでいった人のために、日本を復興させた。その思いがこの国の成長を支えた。しかし、すべてのものには、光と影がある。人間の欲望がまさり、支配欲がつよくなれば、どんなものにも、偏りが起きて、乱れがうまれ、崩壊していく。戻れる範囲ならいい、それが弾性域である。乱れも収縮していく。しかし、それ以上になれば、戻れない範囲になる。それが塑性域である。その境の降伏点が、ひとつのポイントである。陰陽師の京都、一条戻り橋である。この世とあの世の境、橋の間なら、戻ってこれる。しかし、向こうへいったら、戻ってこない。よほど、強い力をあたえ、その橋をジャンプできる内部エネルギーを与えないと、だめになる。

 

 

 病気であれば、一条戻り橋の間であれば、元に戻れる。しかし、一条戻り橋を越えたら、もどれない。塑性域である。だから、ステロイドがいる。内部エネルギーを与えて、橋をジャンプできる遷移エネルギーを与える。その根底にあるのは、元に戻りたい、まだ生きていたいという意思があるからである。もし、もう、いいや、生きるのをやめた、そう諦めたら、いくら薬を投与しても、あの世へと下っていく。もちろん、人間の命は有限、どこかでかならず、エンドがくる。そのエンドは、人によって異なるから、それはどうにもならない。

 

 

 なぜか、この世がある。そして、宇宙は膨張して、どこからか、この世のエネルギー密度が均一になるように、エネルギーがどこかしこから、出ている。膨張している宇宙に対しては、エネルギー保存の法則は、効いていない。あくまでも孤立系だけの話だけのようだ。だから、加速しているから、かならず、バラつき、時空間のエネルギー密度の偏りが生まれる。それが状態の変化をうむ。よどみ、ゆらぎ、乱れの状態の三様態である。よどめば、腐る。乱れれば壊れる。ゆらげば、そこに美しい秩序が生まれる。高エネルギー場、何もしなければ、かならず乱れる。しかし、この世には何かしらの力が作用している。それが、ゆらぎを生んでいる。この世があり、自然があり、人がいる。人類が生きていられるのは、最低51%の人がいい人だからである。ゆらぎの中で、生まれ、成長し、そして、ゆらぎの中に消えていく。それが、この世のあるがままの状態である。

 

 

 人生をみていると、利他を語って、自利を追求する人がいる。世の中は、WIN-WINが原則である。利他が結局、自利となる。利他を抗弁につかって、自利を追求しても。結局、墓穴を掘るだけである。

 

 

 私は、美粒システムというツールを作り上げた。昨今は、泡レスDMR,美粒システムDMR,高純度CNTプロセスという3形態のプロセスで、いままで使えなかったCNTを使えるようにした。触媒レス、高アスペクト比、欠損レス、高純度CNT解繊である。色んなことが、できるようになる。熱可塑性樹脂に対しても、混ざるようになる。CNT強化プラスチックができると思っている。

 

 

 私は、いつか、この世から去る。しかし、私が生んだシステムは、たぶん、この世にのこるだろう。私がこの世からいなくなった後、だれかが、いい薬をつくるかもしれない。このシステムはリポゾームやリポ化注射製剤用途にも使える。だから、いい薬が作り出されるかもしれない。この世には、人間のシステム系を凌駕した何かの因果が作用していると感じている。だから、人生は諦めた時、そこで終わる。状況を受け入れ、未来を信じて、生きることが重要である。将来、私が作り上げたツールを利用して、いいものが生まれ、滅んでいく人が、生きられるようになれば、それはそれでいいことである。なにも、それは薬とはかぎらない、防触塗料、軽量強化プラスチック、軽量強化コンクリート、新しいバッテリー、蓄電池、太陽光パネル等、仮に、巨大地震がおきても、崩れない素材ができれば、それで救われる命もある。

 

 

 気の遠くなる過去、そして、気の遠くなる未来、人間が生きれれる時間など、ちっぽけなもの、そして、森羅万象は、もっと奥になにかがある。この世のあり様、この時間軸で動いている様態は、なにかしらの、この世をこえた何かの因果の力が作用していると思われる。年をとって生きられる時間が限られてくると、それを強く感じる。たぶん、生きているのでなく、何かに生かされているのだと感じる。何かの縁があれば、私が作り出した技術が、未来につながる。私がステロイドで生きられたように、この技術で、失われる命が救われたらいいと思う。30年後、50年後、100年後、私は、その未来を見ることはないだろうが、きっと、この技術が役に立っているはずである。