終活の準備とは | ”秋山なお”の美粒ブログ

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音楽、ナノテク、微粒化、日々の思いをつづっています。
微粒は、美流でつくられ、美粒となります。その思いをつづっています。

 先生、あれから、何年たつのでしょうか。先生のお姿が見えなくなって、先生と話すことが当たり前だったこと、それが、突然、なくなって、そうして、先生がいない日常が始まる。新しい日常になれたと思ったら、また、何かを失う。そうして、また、新しい出会いが生まれる。人生とはその繰り返しです。両親、親戚、兄弟、妻子、友人、いつかは、かならず、別離が来ます。そうして、自分も、この世とさよならを迎える日が来ます。私がいなくなったら、寂しいと思ってくれる人がいるでしょうか、ひとりかふたりはいてくれるでしょうが、私がいなくなれば、それを感じる自分がいません。あの世があって、この世を俯瞰できる自分がいればいいのですが、それは、わかりません。死んだ後、どうなるか、それは死んだ後のことです。

 

 

 昔、働いていた会社、大阪の中小企業の典型的なパターンでした。けったいな人達の集団でした。まだ、先代は生きているようですが、子供は、還暦前に死んで、その後、その会社も名前だけ残って、後は、すっかり、別な会社になりました。もう、私が働いていた時の人はほとんどいません。定年退職した人から、その後の顛末を聞きました。すでに、亡くなった人もいます。ほんとうに、けったいな人達のけったいな人生の航路だと思います。わたしもけったいな人の中のひとりかもしれませんが、それ以上に、けったいな人達だったと思います。

 

 

 人生は、上り道、一度、上り始めたら、引き返すことはできません。一本道を上っているようです。眼下は、崖です。足を踏み外したら、落ちるだけです。奈落です。振り返っても、そこにあるのは、記憶だけです。取り壊された家は、もうありません。ビデオに写っているものは、もうありません。学校も、駅も、新しくなれば、それが、新たな現実です。とりこわされれば、昔の面影はありません。誰もが、前に行くしかありません。何気ない日常は、変化しないようで、変化しています。10年すぎれば、10年の変化があります。20年前、20歳の人も、今は40歳、そして、同じ二十年がすぎれば、60歳です。あっという間に、過ぎてしまいます。100年前は、100年前にありました。そこで生きていた人はもうほとんど、いません。人生で、一番重要なのは、使命感、やることがあることです。一番つらいのは、やることがないことです。やることがない人が病にかかる。病を治すことが、今のやることになります。しかし、病が治ったら、何をするのか、病を治す目的がなくなります。

 

 

 人生、最後まで、自分らしくいきるには、自分しかできないものを持つことです。しかも、それが、みんなから、求められているもの、です。つまり、利他を実践できるものがあることです。だれからも、求められていなければ、寂しいことです。生きてほしいとのぞまれていなければ、生きる気力がでてきません。周りを和やかにしてくれる人、みんなから愛される存在、その人がいなければ、周りが寂しくなる。そういう存在でもいいのです。その人がいてくれるだけで、まわりが、おなじように、がんばろうと思える存在でいいのです。その人がいなければ、だめと、多くの人がそう思える存在であれば、それが、その人にとっての利他の実践ということです。

 

 

 年をとれば、生産能力もさがり、邪魔者扱いされます。だれもが、そうなります。偉い経営者も学者も政治家も、年をとれば、ぼけて、介護が必要になるかもしれません。それが当たり前なのです。しかし、人生は最後まで上り坂、人生に下りはありません。やめたいとおもったら、そこが、終点です。人生、最後まで、創造です。世のため、人のため、がなければ、偏屈爺、意地汚い爺、婆、欲どおしい爺・婆となります。

 

 

 人生の分水嶺は47歳前後です。50歳など、あっという間です。今は、いい。しかし、だんだんと、世界が閉塞していきます。終活の準備をしたほうがいいということです。終活、最後まで、自分が利他の実践ができるものがあるのか、なければ、時間をかけて、みつけたほうがいい。それが、終活の準備です。

 

 

 今日やることがあればいい、明日、やることがあればいい。一年後、3年後、5年後、やることがあればいい。それが想像できて、それを創造しうるものが自分の中にあればいい。大阪には、腕のいい職人がいた。旋盤一つで、何でも作ってくれた。年をとっても、仕事があった。大変だろうが、周りから慕われていた。体がしんどいといって、廃業してしまった。旋盤を売り払った。たぶん、そのおじいちゃん、長くはいきていけない。旋盤があれば、あれこれ、どういう風に加工しようと、頭が働いたはずである。その職人のおじいさん、つらくても、やめるべきでなかった。たぶん、今は、ぼけて、いつ亡くなってもいい状態のはずである。