またできなかった。
なにがって子どもが。
子どもが欲しいね。
ということになってから3ヶ月。
夫がこんなにも早く子どもを欲しいというとは思っていなかったから
この変化だけでも歓迎すべきこと。
こんなにも早く、というのはあくまで個人的にということである。一般的なことではない。
私自身は子どもがいたらいいな、という程度から、
めちゃくちゃ欲しいな、までのこころの波が、何年かに一度訪れてきた。
20代の私は子どもを意識したことはほとんどなかった。結婚はいつでもしたかったけれども子どものことは考えなかった。
30歳を超えてすぐの数年間はすごく子どもが欲しかった。結婚できなくても(あるいはしなくても)子どもが欲しいと思っていた。この変化に、おお、私も動物としての女だったんだな!と思ったものだ。
そうして30代後半になった私はやっぱり子どもが欲しいと思う。
しかし先日会った高校の同級生にいわせると
「子ども欲しいんだ?やっぱりねえ、ナオは高校のときから“お母さんになるのが夢だ”っていってたもんね」とのこと。
本人よりまわりのほうが記憶力がいい。
ただ夫と出会い、結婚し、というここ6年間の過程で
もしかしたら子どもは無理かもしれないな、と思うようになっていた。
というのも夫はまず自分の仕事、ということに重きをおくから。
結婚も子どもも、タイミングはいつも「仕事が落ち着いてから」「ゆくゆくは」。
ゆくゆくっていったいいつなのさ。仕事が落ち着くっていう基準はなんなのさ。
そう思っても問いただせない。私の夫には弱い性格。
第一関門の結婚はクリアした。第二関門の子どもはきっとずっと先だろう。
ああその頃に私のからだはまだ元気かな?そう思っていた。
そんな夫が、
いったいどうして子どもがほしくなったの?私はあなたはあまり子どもに興味がないんだと思っていたよ?
と、ある日たずねると、
やっぱり結婚したからには子どもがいたらいいなと思ったし、
それにアニキんところの子どもがやっぱりめっちゃかわいいから、というこたえがかえってきた。なるほど。確かに「アニキんところの子ども」はそれはそれはかわいいのだ。
加えて夫の母親や夫の兄の奥さん(桂の姉)が、夫を叱って、あるいは諭してくれたことも大きかったように思う。
おまえはナオさんの気持ちを考えたことがあるのか?ナオさんは子ども欲しがってんねんで。
仕事が落ち着いたらなんてこと言ってたらあかんで。
そういって夫を叱ってくれたという。
私には「子どもはまだ?」というようなことを一切言わないのに。そんなオモニと姉が私は大好きだ。
というわけでいざということになってから3ヶ月。
桂の姉にすすめられたヨウ酸を飲みはじめた。
マカも飲んだしルイボスティーだって飲んでいる。
(そうしてマカでアレルギーが発症した・・・)
朝にはヨガをして、体力づくりと体幹に筋肉をつけるためにジムにだって通っている。
そう全部がこのためなのだ。
最初の月は見事にタイミングに失敗した。
というかタイミングを完全に間違えていた。
勉強不足である。
ただ、失敗したからめちゃくちゃ勉強した。
いまではいっぱしの知識はある。
私が怖いのは私の年齢だ。
36歳、初産。
果たして私は妊娠できるのか?
4ヶ月つけ続けている基礎体温はきっちり低温と高温にわかれる健康体。
低温と高温の温度差も高温の期間も理想的。
子宮頸癌は患ったけれどもこの程度は妊娠になんの関係もありません。というお墨付き。
おまけに手術のときから半年に一度続けている検査で、卵巣は元気だし排卵もちゃんとしてますね、といわれている。
それなのにどうしてできないのだ。不安な毎日。
といってまだ実質2ヶ月だけなんだけど。
子どもって欲しいと思ってすぐできるものじゃないんだな。
なんて高校生みたいなことをため息まじりに思ってみたりする。
大変なんだな。奇跡なんだな。
実際に30代で子どもが欲しいと思って、
3ヶ月以内に子どもができるのは5%未満。
半年程度かかるのが8%程度。半年~1年が20%。
3年以上かかる場合も15%程度ある。
そう。それくらいなかなかどうして大変なものなのだ。
毎日計る基礎体温。
上がっていると喜んで、下がってくるともっと上がれと念じてみる。
夏ばてで気持ちが悪くなっただけなのにすわ悪阻では?とぬか喜び。
ちょっとしたからだの変化をくんくんとかぎまわり目をさらのようにして見つけ出し
「これはもしや?」といろめきたってはがっかりする。その繰り返し。
まわりに何人かいる苦しんでいた友だち、苦しんでいる友だち。
みんなの気持ちが私はようやく少しだけわかったよ。
なんでも体験してみないとわからない。ってほんとうだ。
前回から排卵検査液なるものの存在を知り、それも使ってきちんと検査した。
でもできなかった。
というかたぶん検査日がずれていた。検査開始日を間違えたのだ。今月。
あああ、貴重な1ヶ月を不意にしてしまった。
桂の姉は「あああ」ではなくて「夫婦ふたりだけの時間が少しのびた」っていうふうに考えたほうがいいよ、とメールをくれる。
そうかそういう考え方もあるのか。
姉は5年間、不妊治療をしていた。
往復4時間の場所に週2回も鍼治療に通ったりしていたと聞く。
いまは二人の天使の素敵なお母さん。
姉の言葉にはやさしい説得力がある。
世の中では、健康な夫婦が毎月健康的に避妊せずに性交して2年間妊娠しない場合を「不妊」と呼ぶらしい。
もちろんいまから2年先なんてそんな悠長なことをいっていられなく、目安のひとつである「6ヶ月妊娠しない場合」をはるかに前倒して、やっぱり病院に行ってみることにした。
これには夫も賛成だ。悪いところがあるならば早く見つけてなおしたほうがいいという。
効率的であることは夫も私も好きなことだ。
うれしいことは夫がとても協力的なこと。
話も聞いてくれるし自分でも調べてくれる。
夫自身が子どもが欲しいという思いもあるだろうし
せっかくなら早く欲しい(年齢的な意味でと、あとはつまり子どもができるかな?どうかな?という期間が短いほどいいという意味で)ということもあるだろう。
私にしたらどちらでも同じことだ。協力してくれることがうれしい。
そうでないとたぶんとてもつらい。
夫のやさしさもずいぶんと感じる。
私が傷つかないようにいろいろなことを考える夫。
そんな夫にこのまえずいぶんとひどいことをいってしまった。
いろいろ積み重なってしまって
つらかったからということもあるが
それにしたってひどかったと思う。
そんなこといわんといて、と珍しく夫がいった。ごめんね。そのとおりだ。
だからもういわない。
かなしいことはやっぱり今月もできなかったこと。
いちいち気にしてたらあかんで!といつだって前向きな夫はそういうけれども
やっぱり気にしてしまうなあ。今月もだめだった私。
でもそうね、前向きにならないといけない。
だってふたりで頑張っていくのだ。そうなのだ。
これらの話を日記には書かないでおこうと思っていた。
毎日のように日々のことをつづっているこの日記ではあるけれど
当然、日々の「すべてのこと」をつづっているわけではない。
毎日はもっとスペクタクルでピースフルだ。
気をつけているのは、たいせつだなと思ったことは書きとめておこうということ。
あるいは毎日のなかでただ流れていくなにかについても。
しばらく前からいまの私のこころの半分くらいをしめているのはこのことだ。
私にとってのたいせつなこと。
だからこのことを書いておかないと私の日記はすかすかになってしまうことに気がついた。
日記がすかすかになるということはこころがすかすかになるということだ。
だからこれからはちゃんと書いていこう。書きたいと思ったときには。
悩んだことも迷ったことも泣いたことも笑ったことも。
それにしても子づくりって大変だ。
赤ちゃんって本当に。奇跡なんだね。