【前回】

 

 先へ進むと、高齢の男女が立っているのを見つける。同じマンションに住む夫婦だとは思うが、名前は知らない。この団地も人が減っているのに、この夫婦は、まだ住んでいたんだな、と思う。気にせず通り過ぎようとしたが、もしかしたら、これが最後の機会になるかもしれない気がして、「何をしてるんですか?」と話しかけた。二人は木を見上げている。

 

 「ああ、森山さんのとこのか」と、一瞥を投じたおじさんが言う。「四階の森山さん」と相方のおばさんに、奥さんだろうが、小声で説明した。そして、「五〇五号室の笹倉です」と言った。そこで僕は気づいて「ああ」と声を洩らした。十年前に息子が自殺している家だ。今とは違って、当時は団地で若い人間が死ぬことは珍しかった。それが珍しくなくなっている今は異常だ。

 

 興味が湧き、僕は彼らに近寄り、彼らと同じ角度で首を傾けた。落葉し丸裸になった欅が妙に艶っぽく感じられたが、細く伸びる複数の枝は、肌に浮かび上がる血管のようでグロテスクでもあった。欅の近くには、粗大ごみが捨てられている。片付ける管理人も、もういない。