あえて古い話ですが、記憶を遡り、赤裸々に書いています。読者の方の生き方の参考にでもなれば、嬉しい限りです。。。

 

1992年秋ぐらいに、学位を取って、年末くらいに日本に帰国することになりました。。。正直言って、アメリカで仕事を見つけて、そのまま、アメリカで暮らしたかった夢は、叶わない夢で終わりました。

 

日本に帰国してから、転職会社を数社訪問しましたが、日本株が暴落する中、証券会社やそれに関連する業界への求人は、ほとんどなく、がっくりしていた記憶があります。以前、経験した外為のカスタマーディーラーの仕事はありましたが、もう、後へ戻りたくないのと、その世界で生き残るのは、無理と分かっているので、なんとか30代前半で、安定した興味のある資産運用の世界に入りたいと思っていました。。。

 

1992年の夏ごろ、デンバーのにある大手書店へ暇つぶしに行きました。。。平積の本が沢山、置いてありました。そうです。。。あのフェデェリティーの伝説のファンドマネージャーが書いた、資産運用の指南書のような本です。今でも有名ですが、『One up on the wall street』という本を買って読み始めました。。。この本は、ピーターリンチが、業界のアナリストから注目されない、中小型株や、成長株を、企業訪問して、ファンドに組み入れ、それが、5倍、10倍と数年で、大化けしたストーリーで、それによって、彼は、資産運用業界の伝説のファンドマネージャーになりました。。。ちょうど彼がマゼランファンドの運用を交代し、そのタイミングで、彼が書いた初めての株式投資に関する本です。

 

この本を読んで、ああ、自分がやりたい仕事はまさしく、ファンドマネージャーのうような株式投資のマネージメントだと、初めて、自覚した次第です。。。当時の日本で、業界の人でも、ピーターリンチがこのような本を書いたとは、まだ、知られてなかったと思います。今でも、この本に書かれていたエッセンスは、私の株式投資の基本、背骨となっています。。。すくなくとも、30代でこの本に出合ったことは、自分にとっては、大きな財産となりました。

 

さて、人生は、不思議ですが、複雑骨折した転職歴の私にも、人生の転記が偶然にも訪れます。朝日新聞の求人広告を見ていたら、ファンドマネージャー募集というのがありました。某準大手の投資信託会社が、社員を募集してました。。。普通のこういう職種を限定した人材募集では、経験者の人材が採用されるわけですが、とにかく、履歴書を出しました。

 

すると、しばらくして、筆記試験を行うので、〇月〇日に、来社してほしいと💌が来ました。そのタイミングで、筆記試験対策として、事前に、SPI試験の本を買って、練習したことから、そのような筆記試験がずばり出てきたので、割とすらすらと対応できた気がしました。。。そして、運よくその筆記試験を通って、次は、面接となります。その前に、筆記試験とは別に、『あなたの仕事観について』自由に書く作文があったので、それには、あの伝説のファンドマネージャーのピーター・リンチのようなマネージャーを目指して、頑張りたい。。。と書いた記憶があります。。。

 

さて、面接となり、3人目は、役員と社長面接と言われました。当時のその投資信託会社の社長のT社長。。。親会社の証券会社の副社長を経て子会社の運用会社の社長になった方で、NY支店での勤務経験もあり、国際派の一人だったそうです。本当にラッキーだったのが、このT社長、当然、アメリカの投資信託会社の王者、フェデリティーのピーター・リンチの大ファンだったそうで、面接時に、『そうか、そんなに、ピーターリンチのことが好きか???』と、半分冗談気味に笑われました。。。

 

さて、恐らく、書類選考、筆記試験、最後の役員面接を経て、4名の応募者が採用されました。4名の内、2名は、東大卒で、すでに大手生保、大手銀行で、運用経験のある人、もう一人は、上智大卒、そして、私が、デンバー大学MBAとうことで、初めて、自分がつかんだ、幸運でした。。。

 

人生、不思議なことで、もし、デンバーの書店で、ピーターリンチの本と出合わなかったならば。。。もし、投資信託会社の社長が、国際派で、NY勤務の経験がなかったなら。。。多分、未経験で、ファンドマネージャー職に、中途採用は、されなかったかと思います。

 

ちっと、不思議な話を。。。大阪の母方の祖母が、ぽつりと言ったそうですが、私が、入った銀行が、太陽神戸銀行、中途で入った投資信託の会社が、太陽投資信託、 明治生まれの祖父が、大阪の長屋の家で、始めた貿易の会社が、太陽貿易。。。という名前だったそうです。。。不思議にも、太陽という名前の会社にご縁があったみたいですね。。。

 

3歩進んで2歩下がるのような20代、30代でしたが、ようやく、憧れの仕事に付けるということで、大きな人生の転機となったのが、33歳での転職が、天職となったときでした。。。

 

私みたいな複雑骨折して転職経験者でも、人生で、節目では、運が転がってくるというか、不思議にうまく行って、幸運にも、希望している職種、業界に入れたわけで、人生、捨てたもんではないなあと、今、振り返って思うこのごろです。。。普通の社会人よりも、10年遅れの社会人になったような気持ちでした。。。