「ネイティブのする英会話レッスンや英会話カフェで受験勉強をする」は正しいか? | 南洲翁塾

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●それって本当?「英会話に行っているから、受験勉強は安泰」

 昔からネイティブ講師による英会話レッスンは人気があり、最近ではお子さんが小さいうちから通わせるご家庭も増えてきているようです。こどものうちから英会話にふれていると、確かに英語慣れするのでとてもいい趣味だと思います。

 

 一方で、私は、受験期間にあるお子さんを持つ保護者の方から「受験を想定して英会話レッスン・英会話カフェに行かせているのだけど、どう思うか」と聞かれることが多いです。そんな時に私は、「いい場合もあるが、よくない場合もある」と回答しています。

 

●ネイティブは受験についてほとんど知らない

 英会話で出てくるネイティブ講師は日本の受験制度について、ほとんど、あるいはまったく知らないことが多いです。一般的に英会話レッスンでは、「スピーキングの際には間違いを恐れず、どんどんしゃべれ」と言われることが多いです。「教養として日常会話くらいは」と思っている場合はそれでいいかもしれないですが、減点主義で正しい文法で運用することを求められている日本の受験においては、文法の学習が必須です。

 

 ところが、日本人のほとんどが日本語の文法的な知識を説明できないのと同様、ネイティブ講師もうまく説明できないことがかなりあり、できても英語で英文法について話すということになってしまいます。英会話レッスンを受験勉強に役立てたい場合は、別途自分でしっかり英文法を学習しないと合格には至らなそうです。

 

●母国語ではない英語を習得するには膨大な時間が必要

 一方で、母国語ではない言語を習得するには膨大な時間が必要です。たとえば、私はフィリピンに自分の出身高校の姉妹校があり、OB会の仕事で訪問したことがありますが、フィリピンでは一部のエリートだけでなく、90%以上の人々が英語をしゃべれます。これは、フィリピンの教育制度が、母国語と社会以外のほとんどの科目をすべて英語で受けているからです。

 

このことは、発展途上国であるフィリピンでは、自国内で経済が完結できる仕組みができていないので、生存のための外貨を稼ぐために英語教育をしていることが理由です。(現在、フィリピンはコーリングセンター業務や「観光産業」で外貨を稼いでいる。)週に二、三回英会話レッスンに通った程度では、別途勉強時間を必死にとらないとなかなか効果は見込めないので、やはり英会話レッスンは趣味と教養の自分磨きのためにやる、というくらいの気持ちでいたほうがよさそうです。

 

 

●高額な英会話に対して、低額でできる英会話カフェはどうか?

 英会話カフェとは、お茶や軽食を楽しみながらネイティブと英会話ができるカフェのことです。これは、有料の英会話カフェが非常に高額のことが多いので、その代替として利用する人が多いようです。こちらの場合も、英会話レッスンと同様に、文法の学習をすることはないですが、趣味としてやるのでは十分そうです。

 

●ただより怖いものはない 

 一方で、少し注意してほしいのは、日本に来ている外国人の中には自身の信仰する宗教の「布教」が目的の場合もあります。「お茶代以外は無償で提供する英会話カフェ」の中にはそのような外国人が運用するケースもありますので、英会話カフェの利用を検討している場合は、運営者の信仰がカルトではないか、目的は何か、をしっかり確認してから参加するようにしたほうが安心でしょう。

 

●低額に多くの時間をやる、ならオンライン英会話の選択肢もある

 英会話は基本的に高額ですが、最近では、オンライン英会話の講座もあり、たとえば、

「英語を公用語として使うフィリピン人を講師とした英会話オンライン講座」もあります。その場合はかなり低額でできるので、費用対効果をみるならば、そのようなサービスを利用するなどよろしいでしょう。

 

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【本日の名言】

天の道をおこなう者は、天下こぞってそしっても屈しない。その名を天下こぞって褒めても驕らない。

(世のすべての人からけなされても落ち込まず、 すべての人から褒められてもうぬぼれるな。)