※カテゴリは「Jackson vibe」だけどなんてこたーないうざい一人語りです。もっちゃんへの愛。
その頃のヒライナツメというのは大学受験真っ只中で、反抗期の真っ最中で
親が嫌いで家が嫌いで親友と呼べる人もいなくて、進路の問題にぶちあたって
「こりゃ本命の大学以外は人生お先真っ暗だぞ」なんて思っても実際はE判定。
おそらく生きてて一番の暗黒時代だったような気がする。
サッカーはシーズンオフ。音楽雑誌買うお小遣いで買うのは赤本。
真夜中のラジオと夜のTVKの音楽番組のビデオクリップだけが楽しみで、笑うことも少なかった。
そんな感じで年が明けて1999年1月。
30分だけと決めて観ていたTVKで流れたクリップ。
「くだらなくて笑えない ハマリの文字がはまらない」
ネームバリューのある大学を、と自分が学生だった当時の知識とイメージだけで
魅力のかけらも感じられない大学に入れようとする母親が死ぬほど嫌いで
恋人よりも夢をとって進路を決めて、でもE判定で
腹を割って話せる友人もいなくて、自分で壁を作ってた自分のことをまんま歌ってた歌が、そこにあった。
クールなビデオクリップだった。尖って、突っ張って、ギラギラしてた。
カッコイイと思った。とても、かっこいいと。
「くだらなくて笑えない」
激情をぶつけるように音を放つ彼等のCDを聴きながら、周りの全てに刃を向けるような
キチガイじみた毒や悪意を持って本命の大学にだけ受かって、家を出た。
家を出たとたんに反抗期は終わって、己の世界を少しずつ愛しく思えるようになった。
実家を大好きになって、親友ができた。高校時代の友人が、腹を割って話せる親友になった。
寮で出会った友人が、兄弟のような親友になった。
「嫌だと嘆くのは簡単だから、目の前のものを楽しむだけ。嫌いになりたくないから。」
失って泣くことさえもできないくらい大きな傷をくれた恋人が言っていた言葉の意味を知った。
夢を追いかけるという欲求だけをギラギラさせて、笑顔が増えて丸くなっていった私は変わらずに
彼等の音楽を聴いていた。変わらずに胸に突き刺さる激情が、激しさが、好きだった。
彼等がくれる痛みは私に色々なものを忘れずにいさせてくれた。
たった一度だけ観に行ったライブはよく覚えていない。
ただ、彼等はCDと同じようにかっこよくて、激しくて、そして痛みをくれた。
私が人生で初めて観たライブはオザケンで。横浜アリーナの1万人が満遍なく笑顔だった。
あんな幸せな空間は今までのライブ人生でも非常に少ない、今でも稀有だと思うけれど
それとは本当に対照的に、シリアスで、厳しくて、張り詰めていた様な気がする。
客はとても楽しそうだった。「ケンシ」「チャンシー」「もっちゃん」そんな風に名前を呼んで
彼等の放つ激情に煽られるように大暴れして。
だけど、今記憶を必死に呼び起こして気づく。誰よりも笑っているべき存在が笑っていなかった。
当時は気づかなかった。そういうスタンスなんだって、そういうバンドなんだって思ってた。
だって、確かに彼等はかっこよかったから。
その後ドラマのタイアップ取ったりMステ出たり、着実に上へ上へ向かっていった彼等が不意に消えた。
午後2時の太陽が突然消えるように、だ。
あまりにも突然すぎてわけがわからなかった。
ただ、私の好きだったサウンドは永久に失われてしまった。
そのあと、胸に突き刺さる激しさを持ったドラムを叩いていた「もっちゃん」が新しいバンドを始めたと知った。
その頃私は一時的に音楽よりも楽しいことを見つけていたからそれほど追っていなかった。
「ケンシ」が表立った活動をしてないことだけ知ってた。唄うことと生きることが同義の人だと思ってたのに
唄っていないことが不思議だったけど、そんなことの意味も考えなかった。
私にとって彼等は好きなバンドでしかなかったから。
気がつけば社会人になっていた。微妙に夢から離れた場所で、毎日楽しかった。
穏やかに過不足なく流れていく日々で、私は幸せな歌を好み、甘いR&Bを沢山聴いていた。
この世界を大好きだと迷いなく言い切れる自分には、あの激しさをくれたバンドのことを忘れかけてた。
そんなときに、真っ直ぐな強さを持つ、陽性のロックバンドに出会った。
彼等はとても普通で、悩んだりつまづいたり、そうやってとても普通に生きていて、
そしてそんな中でこの世界に絶望することなく、ただ音楽が好きで、そうやって潔く音楽を紡いでいた。
私は彼等の音楽や声や言葉をいっぺんで好きになって、そしてひたちなかでミラクルが起きた。
そのバンドはJackson vibeと言って、物凄く音楽を楽しんでて、
そして沢山の人を笑顔にする強さと優しさを持ったバンドだった。
ひたちなかのステージで奏でられた「八月」に、胸の痛みを覚えた。
厚くてあったかくて激しいドラムとベース。こんなドラムは初めて聴いた、と思った。
そして私はライブレポでいつも書いているように、リズム隊の大ファンになった。
あったかいベースとドラムが大好きなのだ。
ある日、HPの日記の過去ログに「こんなに馴染めたバンドは初めてで、楽しい」という表記をみつけた。
このバンドでやる音楽が楽しい、と4人が4人とも異句同音に言うバンド。
それがJackson vibeで、それが私が彼等を好きな理由でもあるけれど、そんな言葉を書いた彼の過去を
ほんの出来心(笑)で検索した。Yahoo!は便利だなあ、なんて思いながら。
過去はすぐに暴かれた。冬の匂いがした。冴え冴えとした空気が頬に触れた気がした。
大学受験の年と同じ空気を感じた。
なんてことはない。私が好きだった「もっちゃん」だったのだ。
唇をきゅっと結んで顎を少し引いて叩くスタイルはあの頃と変わらない。
だけど、こんなあたたかい音を私は知らないし、こんなに柔らかい笑顔も私は知らない。
記憶をどう探っても、今もまだ手元にあるビデオを観ても彼の笑顔は見つからない。
それに気づいた時に私は漸く解散の理由を憶測することができた。
そしてそれと同時に「今」を、流れた時間を、酷くいとおしく思った。
心のそこから嬉しいと思った。彼が今を楽しいと思ってくれていることも、音楽を続けていてくれることも。
そして、こんな風にあったかい音を放ってくれるこのバンドを、ドラムを大好きだと改めて思った。
そんなJackson vibeが新しいアルバムを作った。
4人の口から異口同音に最高だとか、楽しいとか、バンドがいい感じだとかそんな風にポジティブな言葉を
聴くことができる。それはファンにとっては嬉しいもので、そして昨日のライブ。
レポは近日中に纏めるけれども、本当にハッピーな空間がそこにあった。
変わらずに、いや、更にあたたかさと厚みを増したドラムがそこにあった。
そして、そのドラムが奏でる「八月」を聴いた時に胸の痛みがデジャヴした。
胸に突き刺さる激しさ。それは失われてはいなかった。
彼は過去を捨てたわけでもなんでもなく、彼のプレイに優しさやあたたかさや厚みが加わったのだ。
マイナスじゃない、全部足し算だった。
それが嬉しかった。心の底からありがとうと思った。
今でも私は時々あのバンドの音楽を聴くから。変わらずに好きだから。
それを否定しないで今を生きていてくれることが嬉しかった。
実は、ライブの前に手紙を書いていた。
一昨日の夜に彼等のビデオを観ながら思ったこと。昨日の明け方に見た夢。
7年分を伝えたいと思った。漸く、伝えられると思った。今なら。
手紙はライブ終了後に渡した。「6年分(←間違えてる)なので腐ってます」って茶化しながら。
「お疲れ様でした」という言葉に開口一番「ちっちゃいね」なんて返した彼は
私が彼の過去を知っているということに驚いていたけれど、今はもう大丈夫って言いながら
少しだけあの頃のことを教えてくれて。それを聴いて心の底から「『くそにー』め」なんて思ったけれど
だけど無くなっただけで壊れたわけでも失ったわけでもないことがわかって、漸く自分の中で
LOOP THE LOOPというバンドに対するものが昇華された気がした。
私の『ありがとう』は音楽を続けていてくれることや、過去を否定しないでいてくれることや
とにかく、彼自身が今ここで笑ってドラム叩いてくれること全てに対してで、
気づくのも知るのも少し遅かったけど、巡り巡って再会できて本当によかった。
どうかあの腐った手紙でそれが伝わってくれればいいと思う。
幸せでいて欲しいと心の底から願う。
私を幸せにしてくれる音を奏でる人は全員幸せじゃないと嫌だと思う。
観てくれててありがとうって、これからも観ててねって。
それは私にとって最高で最上の言葉だった。
「fed up!」を聴いて少し泣けたことに意味はきっとないけれど、
時々は彼を「もっちゃん」って呼びたいなあと思った。三十路のおにーさんだから「須川さん」と呼べって
そう苦笑いするだろうか。「いじられキャラはあの頃と変わってないなー」なんて笑ってたけど。
そんな彼は今は「すがっち」。あの頃と変わらずに沢山の人に愛される音楽をやってる。