前ブログを書いていた時に思いついたことがあったので書きます。
私が育った世代は子供に対してとても厳しかったのです。
親が体罰が当たり前だった時代に育ちましたからしょうがないかもしれません。
私自身もあまり褒められた記憶がありません。
子供にも大人と同じことを求められていたと思います。
子供だからできないことは当たり前なのに、それを甘やかしと捉えられました。
母親も子供を庇うことが困難な時代でした。
この背景には優生思想が横たわっています。
優れている者だけが認められる思想です。
極端に言えば劣った者は生きる資格がないと言えことです。
子供の頃よく耳にしたこんな言葉があります。
穀潰しめが→「お前はなんの役にも立たない穀潰しだ」と言う意味です。
大人達は頻繁に笑いながら口にしていました。
少し仕事のできない人を馬鹿にする軽い冗談です。
今、こんなことを年中言われたら鬱になるでしょうね。
実際、鬱=キチガイでしたから周囲からは白い目でみられました。
そちらはもっと切実です。
私の少女時代はできないと叱られ、できても当たり前と言われる厳しい環境でした。
それは我が家だけではなかったと思います。
学校教育においてもそうでした。
だからとても気の強い人格が形成されました。
同級生は皆、自立心がある気の強い人ばかりでした。
自分にとって気の強さが必要だったので結果的には良い方に繋がりました。
当時はできないことを数えていく減点スタイルです。
すると、生まれたばかりの子供は0点になります。
これって何かを思い出しませんか?
キリスト教の原罪の考え方です。
「人間は生まれながらに罪を背負っている。」
私は原罪について不思議に思っていました。
優生思想の減点スタイルに当てはまるとわかりやすいです。
赤子は何もできずお世話をしてもらうだけなので、
『穀潰し』なのです。
誰にも赤子の時代があるので原罪があるという思考になります。
しかしこれだと生まれてきたことを否定することにつながるので自然の摂理から言えば間違った考え方です。
優生思想は続きがあります。
選民思想
神に選ばれた民は減点されないのです。
選民思想と言えばユダヤ教ですね。
ユダヤ教に限らず明治以降の信仰宗教には選民思想が流れています。
色んな宗教の信者さんに会いましたが、無意識に皆さんが口々にいう誘い文句があります。
『この信仰をすれば救済されます』
逆を言えば信仰しなければ救済されないのです。
その質問をすると、
『だから一緒にやりましょう』と畳み掛けてきます。
『信仰しなければ救済されない』は脅迫です。
気をつけましょうね。
仏教にも減点スタイルがあります。
因縁因果の法則のネガティブ版
仏教には輪廻転生の考え方があります。
因縁因果の法則が輪廻転生そのものねのです。
因縁因果→原因と結果と言う意味です。
悪いことがおこると前世で何か罪を犯したからという極端な思考に走りがちです。
前世の罪=減点スタイルからいえば生きている人間はマイナスから始まっています。
一見、キリスト教より酷いじゃないですか?
しかし、因縁因果と言うのは原因と結果という意味しかないので「前世の罪」とはなんの関係も無いのです。
「因縁因果の法則」は仏教用語を悪用しを怖がらせ従わせる手法です。
やはり脅迫ですね。
キリスト教や仏教の元になったのはミトラの教えだと考えでいます。
ミトラの教えはおそらくこうです。
個人の自由を尊重すること。
分かり合えるまで時間をかけて話し合うこと。
分かり合えないことは実行しないこと。
無理強いはしないこと。
相手の嫌がることはしない、迷惑はかけないなどは個人の自由の中に含まれていると思います。
自然法=ミトラの教えでしょうね。
しかし、自然法の中では生きていけない人達が地球上に半分いることを覚えておきましょう。
亜熱帯産の仙草です。
シソ科の薬草で、熱冷まし、糖尿病、のぼせ、などに効能があるそうです。
日本では栽培されていないみたいです。
栽培されてほしいですね。
日本は明治維新から西洋医学の洗礼を受けました。
なのでそれまで活躍していた漢方薬は隅に追いやられてしまいました。
今は、残念でなりません。