「変性意識」ってご存知でしょうか?

変性意識は霊感の扉のような意識です。


瞑想🧘‍♀️🧘

ヨガ🧘🧘‍♂️

座禅

上記が変性意識常態に持っていくやり方です。


まずは、1人になれる静かな環境で楽に座ります。


目を閉じて心に浮かび上がってくるモノを心静かに凝視しましょう。


浮かび上がってきましたか?


それとも何も浮かんできませんか?


時間が過ぎて行きます。


さて、この辺りまで出来ました。


次はどうするのでしょうか?


わからない??


そうです、わからない状態で終わります。


これは瞑想が失敗したのでしょうか?


失敗では無いですが…


そもそも瞑想や坐禅は変性意識になることができる人にしか出来ないのですよ。


ハッキリ言って覚者しかできません。


で、重ねて言うと覚者は瞑想しなくても変性意識に瞬時になれます。


変性意識とは眠る寸前の意識や脳からα波が出でいる状態を言います。


無意識層にいながら意識のある状態ですね。


わかりやすく言います。


黙々と同じことをし続けていると変性意識になることができます。

最後にギフト(喜び、感動)があった方が盛り上がります。


マラソンハイや登山ハイなどです。

走りながらゴールを切った瞬間は最高にアドレナリンが出まくりでしょう。


登山の高揚感はなんと言っても頂上に着いた時は表現できない感動に包まれます。


なので先人は修験道などで心身を鍛錬したのだと思います。


実はそんな体力のいることをしなくても良い方法もあります。


例えばいつ終わるとも知らない落ち葉をはき続けるとか、長い廊下を延々雑巾掛けをするとか。


これはお寺のお坊さんの仕事(修行)でした。

修行の一貫として延々と同じことをし続け脳波がα波になることに慣れる為です。

どちらも終わるとスッキリします。


変性意識常態ってかなり気持ち良いんです。

だからマラソンや登山を趣味にする方が多いのだと思います。


釣りなんかもそうでしょうね。


人工的に変性意識状態になることもあります。

人工的と言えばおわかりでしょう。

こちらはやめて下さい。


家庭でやるなら時間のかかる煮込み料理とかキャベツの千切りとかがおススメです。


キャベツの千切りは無心になれます。  

料理自体が無心になれる手法ですね。

しかも、あとで美味しくいただけます。


畑を耕したり植物を育てたりするのもそうかもしれません。


変性意識になるには無心に何ををやりながら最後にギフトを貰います。


瞑想するよりやりやすいです。


変性意識の感覚を知らなければ瞑想しても判断がつかないでしょうね。


変性意識の感覚を覚えたらそれを日常にどう生かすかを覚えなければなりません。


それには、自分の心はどんな常態なのかを知らなければ使えないのです。


今まで書いてきたことは、私が経験し確かめてきたことでどこかの本に書いてあることではないです。


なぜ、わざわざそのことを言うのかと言うと…


長い間スピ系の本を読んで実行もしましたが、何かピンときませんでした。


スピ系の本に書かれていることが理想的すぎて初心者には実行してもたいした結果が得られないのです。


例えば小林正観さんが提唱した「ありがとう」と何回も繰り返して言えば心が落ち着くとかいう例のアレです。


実際ほんとうなのでしょうか?

心が苦しい時にそんなことをして効果があるのか疑問です。


「南無妙法蓮華法」

「南無阿弥陀仏」

と唱えれば悟りが得られるとか成仏するとか言うことと変わりがない気がします。


「南無妙法蓮華経」は、仏典のタイトルです。

仏典のタイトルを唱えているだけなら読むべきですね。

ありがたいお経だから大丈夫?

タイトルだけでそんな効果があるわけないじゃないですか。


「南無阿弥陀仏」は阿弥陀様と何回も連呼するだけです。

連呼するだけで何が伝わるのでしょうか?


スピリチュアル系の本は多かれ少なれ宗教思考が根底にあります。


翻訳スピ系の本にはキリスト教が根底にあります。


宗教の教義は優しい言い方をしていますが仏陀のように、キリストのように生きろと説いています。


ものすごい覚者をお手本にして生きろと言っているのです。


だから信者はすぐに挫折します。


宗教は理想的生き方を提唱しているのに、どうしたらそうなれるのかは具体的に教えてくれません。


できないのは自分の修行が足らないからだと帰結します。


スピリチュアル系の本にも同じことが言えます。


宗教やスピリチュアル系の本も同じ感じですね。

肝心なことは書いてないし教えてもくれませんね〜


少し長くなりました。

ではまた👋


黙々といちじくのコンポートを作ってみました。