万葉集 1-48
47に続いての短歌なので人麿作なのかなと思わされます。
しかし作者名は書いていないのです。
万葉集は記紀のストーリーを裏付けるようなシナリオ展開なので草壁皇子が亡くなりそれを息子が嘆く歌が続いています。
しかし歌の内容には固有名詞がないので説明と雰囲気でストーリーの流れを作っているようです。
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東 野炎 立所見而 反見爲者 月西渡
東の野に炎(かぎろひ)の立つ見えて返り見すれば
月傾きぬ
〈大意〉
東方の野には曙の光のさしそめるのが見えて、西を振り返ると月が傾いてあわい光をたたえている。
『東 野炎』
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どうして『東野炎』としなかったのか?
スペースは何かを意味しているのだと思います。
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〈宮古訳〉
東 野炎=あづまのえん=東瀛
中国から見て東にある嬴(秦始皇帝嬴政)の親族のいる吾妻の国々(東日本)。
嬴政の「嬴」が海を超えてやってきたので東瀛の「瀛」は海を表す氵(さんずい) がつく。
立所見而=りっしょけし= 龍且家=楚の武将
反見爲者=たげいは=たけいは=健磐(楚竹の篠子)スサノオの息子の子孫。
月西渡=かせいと=加勢した
楚の将軍の龍且が吾妻(東日本)に逃げてきて親族である健磐が助けた。
龍且(紀元前203〜)の話がどうしてここに出てくるのか不思議です。
これから訳していく歌に関連が出てくるかもしれません。
龍且は三国志の楚の項羽の家来です。
項羽によく似た性格でクールな切れ者らしいです。
楚は中国の国のなかでは特異な国で中国の習慣のない国でした。
中国の習慣と言っても歴史上の中国の国は殆どが別人種なので習慣自体が謎ですけどね。
北宋や明はユダヤ人の国なので最もない方でしょう。
なぜか日本の神職の履く沓(くつ)のルーツです。
平安の男性貴族は履いていたみたいです。
それでは。
はじめての本です。よろしくお願いします。