万葉集1−45

軽皇子が安騎の野に宿りましし時に柿本人麿の作った歌。

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八隅知之 吾大王 高照 日之皇子 神長柄 神佐備世須等 太敷爲 京乎置而

 

隱口乃 泊瀬山者 眞木立 荒山道乎 石根 禁樹押靡 坂鳥乃 朝越座而 玉限

 

夕去來者 三雪落 阿騎乃大野尒 旗須爲寸 四能乎押靡 草枕 多日夜取世須

 

古昔念而

 

〈読み下し文〉

やすみしし わご大王(おおきみ) 高照らす 日の皇子 神(かむ)ながら

 

神さびせすと 太敷かす 京(みやこ)を置きて隱口(こもりく)の 泊瀬の山は 眞木立つ


荒山道を 石が根 禁樹(さえき)おしなべ

坂鳥の 朝超えまして  玉かぎる 夕さりくれば み雪降る 阿騎の大野に 旗薄(はたすすき) 

 

小竹(しの)をおしなべ 草枕 旅宿りせす 古(いにしえ)思ひて

 

〈大意〉

我が大君、日の御子は神であるままに神として行動なさるとて、立派な都を後にして泊瀬の山は真木の立つ荒い山だがそれを岩や禁樹(さえき)を押しなびかせて、朝越えていらっしゃって、夕方になると雪の降る阿騎の広い野に旗すすきや小竹(しの)を押し伏せて草を枕に旅やどりをなさる。軽皇子が亡き父草壁皇子のいらした昔のことを思って。

 

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軽皇子の名前はどこにも書いてありません。

軽皇子が阿騎の野辺で野営をしたというキャプションから草壁皇子が導き出されています。

記紀のストーリーに合わせた内容です。

阿騎はなぜ秋としなかったのでしょうか?

 

 〈宮古直訳〉

③の部分に分かれています。

 

①八隅知之 吾大王=八郷の女王様は

 

高照 日之皇子=孝昭天皇(鹿島の神 武甕槌命)系の倭の皇女(ひめみこ)

 

神長柄 神佐備世須等=神、あるいは神のようにふるまえる(褒め言葉)

 

太敷爲=太宮=太=大きな星(北極星、金星、オリオン)のような宮を、

 

京乎置而=京(みやこ)にして

 

隱口乃=瀛子の(秦の始皇帝、嬴政の子孫)

 

泊瀬山者=ハッセ山(木綿栽培の山)=茨城県の足尾山(麓は八郷)

 

眞木立=綿花の盛り 

 

八郷の女王は鹿島の神系の倭国の皇女。

瀛子は秦の始皇帝嬴政の子孫。

茨城県の足尾山(オハッセ山)は木綿の花盛りよ。

麓は八郷町柿岡。

 

オバッセとは木綿のこと。

 

 

 

 

②荒山道乎=高い山、天の河よ

荒山=高い山

道=天の河

 

石根=隕石(流れ星) 

 

禁樹押靡=金色(こんじき)の帯

禁樹=金色(こんじき)

押靡=帯(おび)

 

坂鳥乃=万丈の(非常に高い)

 

朝越座而=てかざし(指を差し) 

 

玉限=たまげる

 

夕去來者=背子らは(男衆) 

 

三雪落=みせら=見てた

 

阿騎乃大野尒=明けの(明け方)のウズ野(八郷のウズ宮)=明けの明星(男衆の城)

 

旗須爲寸=た、すいき=水蒸気

 

四能乎押靡=しのこおび=星の子の帯=流星の周りの小さな星も帯上に光る

 

高い山の遥か宇宙から流れ星(隕石)。

とても高い空に金色の帯が見える。

男衆が集まって指をさし驚いて見ている。

明け方のウズ宮に白い水蒸気を上げ隕石の欠片が帯のように流れて行く。

 

 

 

 

③草枕=草(あら、かや)

沈=秦(しん、ちん) 


 

多日夜取世須=たんちゃしせす

多日夜=たんちゃ=谷地(海と山に挟まれた土地)

 

古昔念而=こじゃいじ=ここにした

 

阿羅伽耶国は秦と同族。

八郷は谷地。

ここに倭国の秦とした。

 

 

 

現在の八郷に海はありません。

しかし海水面が40m上がれば足尾山の麓まで海がきて内海になります。

 

 

 

 

 

 

 

私の推測では40mだと鎌倉時代初期(1185年頃)あたりになります。

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八郷(茨城県石岡市八郷町)に柿岡という地名があります。

柿岡は春日局の出身地です

柿岡の林氏です。

春日局という大名跡は朝廷から賜ったことになっています。

しかし春日は牛王ハルと龍蛇姫イシ(キ、ヒ)の子孫倭族が使える名前です。

遥かシュメールから続く由緒正しい名前なのです。

朝廷なんて足元にも及びません。

 

柿本人麿と柿岡はおそらく同じ柿です。

人麿は倭族だったのだと推測しています。

 

春日局と並ぶ大名跡を持つ女性がいます。

北政所です。

北政所こと「ねね」は木下氏の正統後継者です。

秀吉はお婿さんで、從一位は「ねね」です。

「ねね」に子供がいないと言われていますが、もちろんいました。

しかし「ねね」より若くして亡くなってしまいました。

娘の忘れ形見を育てました。

 

「ねね」と春日局は同族の親族関係にあります。

 

豊臣家や徳川家の歴史も捏造に次ぐ捏造です。

 

ではまた。

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はじめての本です。よろしくお願いします。

 

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