万葉集 1-36

持統天皇が行幸した時に柿本人麿が詠んだ歌。

度々ある行幸の中のどれかは不明。

 

長歌です。

 

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ハ隅知之 吾大王之 所聞食 天下尒 國者思毛  

 

澤ニ雖有 山川之 清河内跡 御心乎 吉野乃國之

 

花散相 秋津乃野邉尒 宮柱 太敷座波 百磯城乃

 

大宮人者 船並弖 旦川渡 舟競 夕河渡 此川乃

 

絶事奈久 此山乃 弥高思良珠 水激 瀧之・宮子波

 

見礼跡不飽可問

 

 

やすみしし わご大君 神(かむ)ながら 聞(きこ)食(しめ)す 天(あめ)の下に 

 

國はしも 多(さほ)にあれども 山川の 清き河内(こうち)と 御心を 吉野の國の

 

花ちらふ 秋津の野邉に 宮柱 太敷きませば 百磯城(ももしき)の 大宮人は

 

船並(な)めて 朝川渡り 舟競ひ 夕河渡る この川の 絶ゆることなく この山

 

の いや高知らず 水激(たぎ)つ 瀧の都は 見れど飽かぬかも

 

〈大意〉

わが大君の治めになる天の下に国はたくさんあるが、(その中でも)山川の清く美しい河内であるとて御心をお寄せになる吉野の国の、花のしきりに散る秋津の野辺に、

宮柱をしっかり立てて御殿を営まれると、大宮人は船を並べて朝の川を渡り、舟の進みを競って夕方の川を渡っている。

この川のように永久に絶えることなく、この山のようにいよいよ高く立派にお治めになる吉野の滝の御殿は、いくら見ても見飽きないことである。

 

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はい、とても長い歌です。

人麿が持統天皇を褒めて、褒めて、褒めちぎっています。

朝から夕まで川で競っているのは優雅な大宮人のすることなのか?

持統天皇の御殿は滝の側にあるらしいですね。

 

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〈宮古訳〉

この歌は五つの文に別れてます。

 

 

①ハ隅知之=八郷之 

 

吾大王之=わが君=わが女王

 

所聞食=祖先は

 

天下尒=下野の

 

國者思毛=石橋

國=こく=石

者思毛=ばしも

 

下野国石橋は江戸時代は天領でした。

名前も内裏領(だいりりょう)村と言われていました。

内裏領村が石橋宿になった時期は不明ですが、1842年「日光道中宿村大概帳」に宿駅(宿場)として記載されていました。

 

 

上三川、石橋、壬生は歴史的に重要な場所です。

古墳も多く下野薬師寺もありました。

 

天領にすれば人の流入を止められます。

石橋は苗字としてなんのへんてつも感じないと思います。

しかし、石橋の意味は深いのです。

 

石=星

橋 =梯子

 

星に登る梯子なので磐梯山と同じ意味です。

魂が星に帰る神聖な場所だったと思います。

 

下野の石橋に女王様の先祖がいました。

 

②澤ニ雖有=たくにゅう=滝入(たきにゅう)

笠間の滝入不動尊

 

山川之=せんせんの=木綿の隠語 

 

清河内跡=天の河

 

御心乎=巫女よ

 

笠間にある滝入に木綿を栽培しています。

アン(天の河)を遥拝する巫女王。

 

③吉野乃國之=きのくに=紀の国

筑波国はかつて紀の国と呼ばれていました。

そこに橘(たちばな)村がありました。

〈橘=吉=きっ〉です。

 

奈良の吉野、葛城などの地名は関東を真似た名前だと思われます。

 

このように漢字と読みを恣意的に変えて歴史をわからなくしてあるのです。

「紀の国」の元は「毛の国」で下野(しもつけ)国だったのでしょう。

下野(しもつけ)は天(天の河)の下の野を短くした言い回しです。

 

 私の実家の常陸太田市天下野(けがの)も同じ意味だと思います。

 

コロナで有名になった中国の武漢の漢も(天の河)と言う意味です。

武漢には「天河病院」がありました。

 

現代中国の漢民族とは別に天の河の下に漢江(天の河)と名付けた民がいたのです。

名付けた民族は中国を去りました。

 

どこに住んでも故郷と同じ名前を付けるものです。

アッカド、シュメールの天の河の女神アン(an)信仰が日本では名前が転訛し続いていたのです。

 

下の国を治める人物を「しもこりひこ(霜凝彦)、あめのしたはる(天下治)」と言います。

 

国は天の河の女王の娘(巫女王)が鎮座し、天の下を治めるサポートをするのが男王の国主です。

 

 

花散相=かさそ=笠=星

笠間市の笠は「星」と言う意味でした。

その他に「帽子」と言う意味もあります。

 


秋津乃野邉尒=臺の野辺

秋津=しつ=室=ムロ=台=臺(うてな)=御嶽

臺は高台の女王の住む宮殿です。

御嶽はその裾から湧き出る清水信仰で女王様の子宮を模しています。

 

宮柱=みやはしら=天に届くような

 

太敷座波=太夫=国主

 

百磯城乃=女王磯城宮

 

紀の国の笠間(池野辺か?)の水辺に女王の住む宮殿があった。

空に届くような柱のある宮を磯城宮と言い男王の国主が護っていた。

 

 ④大宮人者=大国主は

 

船並弖=せいて=早くて

 

旦川渡=たんせと=熱心で丁寧

 

舟競=主計=国の会計の舵取り

 

夕河渡=正誤と=諍いごとの解決

 

此川乃=しせの

 

絶事奈久=世辞なく=おおげさでなはく 

 

此山乃=しせの

 

弥高思良珠=彦知らず=優れた男性とは知らなかった

 

大国主は早くて熱心で丁寧に国の仕事をする。

税の計算や争い事の調停をする。

お世辞ではなくとても優れた男王。

 

 ⑤水激=水木=栃木県佐野市水木町

 

瀧之・宮子波=葛生の瀧(五丈の滝)

 

見礼跡不飽可問=けれとぶおと=蹴れとぶ飛沫の男

 

栃木県佐野市水木町の滝(五丈之滝)。

岩肌を水が蹴り飛ぶような滝の音。

 

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八郷の女王の先祖は下野市の石橋にいました。

笠間市の滝入の山で木綿を栽培していました。

笠間の水辺に太い柱のある磯城宮にいました。

女王を男王である大国主が護っていました。

大国主は国の仕事をとても優秀にこなしていました。

栃木県佐野市水木町に滝がありました。

(そこにも宮があったのかもしれません)

 

持統天皇が吉野に行幸した時の歌では無さそうです。

持統天皇はどこに行ったのでしょうか?

もちろん茨城にはいません。

 

 

 

はじめての本です。よろしくお願いします。


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