万葉集1-35

紀伊國に行幸する時に阿閉皇女 (元明天皇)の詠んだ歌。

 

......................................................

 

此也是能 倭尒四手者 我戀流 木路尒有云

 

名ニ負勢能山

 

 

これやこの 大和にしては わが戀ふる

 

木路(きぢ)にありとふ 名に負ふ背の山

 

〈大意〉

これがまあ、大和にいて私の恋い慕う、背と同じ名の、紀州街道にあるという有名な背の山なのか

 

......................................................

 

此也是能=小屋背の=身分の高い男性の遺体が安置された風葬小屋

 

倭尒四手者=維持しすは

 

我戀流=枯れる=肉が自然になくなり骨になるまで

 

木路尒有云=骸に言う

 

名ニ負勢能山=鹿伏山

名ニ=何=か=鹿

 

身分の高い人物は風葬にされます。

 

風葬にされる場所を小屋と言います。

天児屋命(あめのこやねのみこと)は風葬された身分の高い人物。

鹿島神宮のご祭神武甕槌神の別名です。

なぜか藤原氏の先祖になっています。

 

自然に肉が無くなり骨になるまで待ちます。

後に洗骨してお墓に納めます。

 

小屋のある山を「鹿伏山」と言います。

鹿伏山は長野県美ヶ原高原にある山です。

近くに「牛伏山」があります。

 

 

 

 

 

鹿と牛はギルガメッシュ王と関係があります。

ギルガメッシュ王が牛を抱き守っていました。

ギルガメッシュ王の抱く動物は日本では鹿に変わりました。

 

ですから「牛伏山」の方が古い名前です。

 

美ヶ原は、みかはら(甕原)と読みますね。

 

群馬県高崎市吉井町田比良にもありました。

頂上に琴平神社が祀られています。

 

 

元明天皇(阿閉皇女)は早世してしまったご主人の草壁皇子が眠る甕原(美ヶ原)の鹿伏山を背の山として見つめていたのかもしれません。

 

 

 

はじめての本です。よろしくお願いします。