万葉集 1−32

高市黒人が近江の京都(みやこ)を傷みて作る歌。

この歌も大津宮の荒れた様子を歌っています。

高市の黒人は伝未詳。

持統、文武の頃の人。

行幸や旅の歌を作り、その格調高い印象鮮明な自然詠は赤人の先駆けをなすと言われた。

黒人の「黒」が歌の初句の「古」に誤られたものか。

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古 人尒和礼有哉 樂浪乃 故京乎 見者悲寸

古(いにしえ)の人に われあれや ささなみの 故き京(みやこ)を

見れば悲しき

 

〈大意〉

近江の宮の栄えた昔の人ではないのに、荒れてしまったささなみの大津の京のあとを

見ればうら悲しい。

 

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古 人尒和礼有哉=胡人(トルコ人)だ、私は。

 

 

樂浪乃=甘楽(群馬県甘楽町)

 

神流町もカンラと読んだと思います。

 

故京乎=甘楽=楽浪

故京を

 

見者悲寸=気配す=似た感じがして思い出す。


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私はトルコ人です。

周りの景色がローランに似ていているので思い出します。

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群馬県甘楽町あたりに住んでいた高市黒人はトルコ系の一族でまわりの景色が楼蘭に似ていたのでしょう。

だから同じような気配を感じたのですね。

 

高市黒人は特定の名前じゃなかったですね。

 

高市は茨城県日立市の南高野町や久慈町のことも言いました。

 

群馬県からやってきた人達なのかもしれません。

 

私の故郷は茨城県の(旧)久慈郡でした。

久慈郡の名物に「手打ちうどん」があるのですが

それはとても「極太うどん」なのです。

家庭でつくる「極太うどん」は基本、汁につけて食べます。 

「つけけんちんうどん」です。

「けんちん汁」は醤油と味噌を必ず入れます。

打ち立てを煮込んだりはしないのです。

煮込むのは残った「うどん」です。

群馬県のうどんも極太です。

そこに共通点を感じました。

 

こんな感じです。
私の中では手打ちうどん=太いです。


現在は旧那珂郡に住んでいますが、残念ながらこちらでは「極太うどん」の文化がありません。

同県でも食文化が違いました。


食べたい時には手打ちするか極太うどん屋さんのいずみやさんに行きます。




それでは。

 

 

 

 

はじめての本です。よろしくお願いします。