万葉集1-27
天武天皇が吉野に行幸した時の歌らしいです。
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淑人乃 良跡吉見而 好常言師 芳野吉見与
良人四來三
よき人の よしとよく見て よしと言いひ
芳野よく見よ よき人よく見(つ)
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<大意>
①昔のよい人が良い所だとよくみて、良いといった吉野を良く見なさい。良い人よ、よく見なさい。
②りっぱな人がよい処としてよく見て「よし(の)」といった。この吉野をよく見るがいい。りっぱな人もよく見たことだ。
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天武天皇が良いところだから吉野とよばれた吉野をよく見たと言う内容の歌なのでしょうか?
「よく見なさい」がずっと続く不思議な歌です。
何を見るのでしょうか?
吉野は何を意味しているのでしょう。
それでは私が訳してみます。
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淑人乃 良跡吉見而 好常言師 芳野吉見与
良人四來三
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○淑人乃=水人=イルカ=入鹿の
淑=水が清く澄む
蘇我家が天皇をも凌ぐほどに隆盛を極めた。その為に天皇を無視するようになったので中大兄皇子と中臣鎌足が蘇我入鹿を天皇の前で誅殺し蘇我家を絶えさせた。
これが「乙巳の変」(645)です。
その後に「大化の改新」が行われました。
上記が歴史的な」ストーリーです。
しかしイルカは澄んだ清い水にいると言っています。
○良跡吉見而=音(声)聞けし
良跡=音=声
吉見而=聞けし
吉見とは草部吉見(かやべよしみ)のことで鹿島神宮の御祭神、武甕槌命のことです。
草部とは伽耶=から=楽浪(から)=楼蘭=ローラン=サマルカンド出身の一族ということです。
○好常言師=義経言いし
義経は真実を知っていた。
乙巳の変や大化の改新などはなかった。
後々の創作だった。
突然、義経が出て驚いたと思います。
しかし神社古代史は記紀と万葉集がリンクしています。
なぜそれがわかったかといいますと、百嶋先生の音声データです。
聞いていると古代史の話なのに義経や秀吉のことが突然と出てきます。
万葉集の直訳をしていて根拠がわかりました。
それは、万葉集を読み下し文以外に直訳した先達がいたと言うことです。
○芳野吉見(与)=芳志戸(ほしと)の吉見(武甕槌の子孫)与一
芳野=栃木県芳賀郡芳賀町芳志戸=星戸
吉見=武甕槌命
与=与一=那須与一
与=余=アクリ=フェルガナ(大苑国=楚の国)=多羅国
義経と与一は共通点が多く同一人物か親子かと推測しています。
芳賀町芳志戸には御嶽稲荷古墳がありそこには「市の堀」があります。
芳賀町の中心は「祖母井」で女王と意味です。
隣接地の市貝町の市貝も「女王」です。
芳賀町の名前の元になった芳賀郡(はがのこおり)は奈良県藤原宮跡地の木簡に「下〈毛〉野国 芳冝評」「はが〈はぎ〉のこおり」
8世紀の早い段階で「芳賀郡」に改められた。
おそらく「芳志戸(ほしと)」を隠してしまいたい政権が捏造したのだと思います。
芳賀郡は「星野郡(ほしのこおり)」だった。
○良人四來三=入鹿よ帰参
蘇我氏の嘘歴史の真実が明かされ不名誉な入鹿の汚名が雪がれる。
入鹿の別名は「林大臣」です。
林氏の祖先ではないかと思います。
馬子
蝦夷
入鹿
義経
与一
全てが繋がると乙巳の変、源平合戦、与一の伝説の真実がわかるでしょう。
はじめての本です。よろしくお願いします。