万葉集1-25
天皇の御製歌。
天武天皇(大海人皇子)が壬申の乱(王位継承)をめぐって吉野に隠棲した時に作った歌かもしれない。
それとも大化の改新時の古人大兄皇子かもしれない。
万葉集の解説にはその程度の情報しかありません。
「天皇御製歌」と言いながら結局誰だかわからない。
25、26と同じ内容の歌が続きます。
「或る本の歌」。
「或る本」についての説明はありません。
「句々が相換われり、因りてここに重ねて載す」
よみくだし文も訳も同じです。
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1−25
三吉野之 耳我嶺尒 間無曾 雪者落家留
間無曾 雨者零計類 其雪乃 時無如
其雨乃 間無如 隈毛不落 念乍叙來 其山道乎
1ー26
〈或本歌〉
三芳野之 耳我山尒 時自久曾 雪者落等言
無間曾 雨者落等言 其雪 不時如
其雨 無間如 隈毛不堕 思乍叙來 其山道乎
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〈よみくだし文〉
み吉野の 耳我の嶺に 時なくそ 雪は降りける 間なくそ 雨は降りける
その雪の 時なきが如 その雨の 間なきが如 隈もおちず 思ひつつぞ來し その山道を
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〈大意〉
①吉野の耳我の嶺にはいつも雪が降っていた。
ひっきりなしに雨が降っていた。
その雪や雨が絶えず降るように、やむときもなく物思いにふけりながら、自分はその山道をやってきたことだ。
②吉野連山の耳我の山には、時知れず雪が降りしきると言う。
間断なく雨が降ると言う。
その雪や雨が絶え間ないように道を曲がるごとに物思いを重ねながら辿ってきたことだ。
その山道を。
26の歌の方が歌の訳により近い印象を受けます。
※耳我の嶺についてはわかりません。
金峰山かもしれない?
吉野山中の高嶺であろうと言うこと以外は不明です。
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〈宮古訳〉
三吉野之 耳我山尒 時自曾 雪者落家留
間無曾 雨者零計類 其雪乃 時無如
其雨乃 間無如 隈毛不落 念乍叙來 其山道乎
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三吉野之=三好之(さんこうの)=三光(御光)の
三光信仰(さんこう)
日(太陽)、月(水)、星(岩石土)、の三つの光を尊い光としていました。
星は天の河銀河全体を指し特に目立った金星と北極星を信仰していた傾向があります。
星は岩、石、土(地球)で表されます。
善光寺の三尊仏も三光信仰が元になっています。
トルコ=アナトリアは三と言う意味です。
三光思想は世界各地に形を変えて根を下ろしています。
耳我嶺尒=みかれいよ=甕嶺よ
甕=甕星=金星の見える高嶺。
みかれい=みか(金星)をどうしても隠したいのでみかれい→かみれい、かびれいと変えたと推測しています。
耳我嶺は茨城弁日立市にある神峰山と高鈴山です。
今話題の御岩神社の高嶺に「賀毘礼の高嶺」とありますが神峰山、高鈴山、御岩山を含んだ総称です。
御岩神社は水戸藩主初代徳川頼房(光圀の父)が出羽三山を勧請したのが始まりですので古い神社ではありませんし、もちろん光の柱は立っていません。
縄文の祭祀遺跡が御岩神社と関係しているのかは不明です。
光圀がみかれいからがびれいに変えたのだと思います。
日立市の大甕神社には甕星香々背男命が祀られています。
こちらは正真正銘の古社です。
時無曾=時なす=時が過ぎゆく
雪者落家留=拙者らカル=私達カルディア人には
間無曾=間なそ=間無しに(過ぎる時間が)
雨者零計類=あわれける=哀れける=むなしくかんじる
其雪乃=きせつの=季節の
時無如=ときなす=移り変わり
其雨乃=きせつの(雪を雨に変えたかもしれない)
間無如=まなしに=まったなしに
隈毛不落=わけもなく
念乍叙來=いざよく=潔く
其山道乎=きたる星よ
道=天の河
高嶺から甕星(金星)を観測する。(甕嶺)
(常陸国=日立市高鈴山)
時間を測っている。
私達は星の観察者カルディアンマギ。
時は間無しに過ぎて行く。
それが虚しく感じることだ。
季節の移り変わりも間なしにやってくる。
わけもなく、潔く来たる星よ。
巡る時間や季節が星の観察をすると測ったようにピッタリくる。
当然のことなのだけれど時間とは不思議なものだな。
この歌はカルディア人が時間について感じたことを詩にしたのだと思います。
現代の私達と同じことを思っていたのです。
カルディア人は星座観察による未来予測をしました、現代の星座占いの基礎です。
それがメソポタミア星座です。
カルディア人の導士をカルディアンマギと言いました。
東アジアには干支とか陰陽五行思想に変化して伝わりました。
この歌は吉野山中にいた天智天皇の歌では無さそうですね。
箱根山の頂上も神山(かみやま)と言います。
私は『甕山(みかやま)』と言ったのではないかと思っています。
それでは。