万葉集1−23 

麻続王(おみのおおきみ)が伊勢国の伊良虞(いらご)の島に流される時に、人、哀しみ痛みてつくる歌。

人とはいわゆる「時の人』、物語を創作伝承して詞人。

 

どこの誰だかわからないし罪名もわからないけど歌に残るくらいの大物なのでしょうか?
 
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打麻乎 麻続王 白水郎有哉 射等籠荷四間乃
 
玉藻苅食
 
打つ麻を 麻続王 海人なれや 伊良虞の島の
 
玉藻苅ります
 
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<大意>
①麻続王は海人であるのか(海人ではないのに)
いらごの島の藻を刈っていることよ
 
②打った麻をあむ、麻続王は海人だからだろうか、伊良虞の玉藻を侘しく刈っていらっしゃるよ
 
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<宮古訳>
 
打麻乎 麻続王 白水郎有哉 射等籠荷四間乃
 
玉藻苅食
 
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打麻乎=うまこ=蘇我馬子
 
麻続王=おみのおおきみ=臣王=大臣
蘇我馬子は大臣
 
白水郎有哉=海人=海神=タルシシ船の王
 
射等籠荷四間乃=潮来鹿島の
 
玉藻苅食=綿織物を運ぶカルディア人
 
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蘇我馬子大臣はタルシシ船の王、潮来鹿島から綿織物を運ぶ
 
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蘇我馬子は潮来鹿島沖から綿織物を船で運び貿易をしていました。
 
『常陸国風土記』の行方郡板木村(今の茨城県の潮来)の条には、同地を麻続王の配所とする記事を伝えている。
 
蘇我馬子は茨城県在住だったみたいですね。
しかも綿織物貿易をしていた王様のようです。
 
茨城、千葉には蘇我神社、素鷲神社(そが)がたくさんあります。
 
鳥取県鳥取市国府町国益にある梶山古墳は麻続王の古墳であると言われているそうです。
 
梶山姓は茨城県の常陸太田市に多くいます。
 
また、鳥取県です。
 
蘇我氏は中臣鎌足と中大兄皇子に滅亡させられたのでしょうか?
 
奈良じゃなく茨城にいたのに?
額田王も筑波山あたりにいたみたいだし…

麻続王を祀る神社は潮来の大生神社ではないかと思います。
大生神社は元鹿島かも。
鹿島と馬子は関係してたか、今後の万葉集に出てくるかもしれません。

ではまた。
 

 

はじめての本です。よろしくお願いします。

 

 

 

 

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