万葉集1-11
間人皇后の詠んだ歌
吾勢子波 借虚作良須 草無者 小松下乃
草乎苅核
わが背子は 假慮作らす 草無くは
小松が下の草を刈らさぬ
<大意>
わが夫は仮りの宿(簡易小屋)を作っていらっしゃる。草(かや)が足りなければあの松の下草をお刈りなさい。
これから温泉で謀叛の取り調べを受ける義理の息子が小屋をつくるだろうか?
それとも孝徳天皇が小屋をつくるだろうか?
それでは訳してみます。
吾勢子波=アズの子孫
アズの子孫アズミ、アヅミ。
主に長野、群馬に住むカルディア人でカル、軽と表現される
借虚作良須=カリ衣(肌着)作らす
カルディア人の作る綿衣
草無者=綿が無きは
綿が無くなったら
小松下乃=細かな
草乎苅核=綿の種がある
草乎=棉
苅=カリ
核=さね=たね
アズミ族は綿の衣を作る。
綿がなくなれば細かな種がある。
安曇氏と言われる一族がいました。
歴史的には海人族と言われ船を操り海上を拠点としていたと言われています。
しかし、この歌によるとアズの子孫達は長野群馬のアヅミ、アヅマと呼ばれる人達。
(アズとは阿蘇、浅間、ウス、の同意で火山を意味する)
カルディア人の星観測は航海術には必須でした。
だから海の民と呼ばれたのでしょうがそれだけではなかったようです。
先祖は同じカルディア人。
カリ衣とは綿で作った着物で「カリ衣」。
平安時代の「狩衣」は狩に着る衣装。
実はカルディア人の綿でつくった着物のことだったのではないでしょうか?
綿が無くなったら種を撒けば良いと言っています。
当時の棉は一年草ではなく多年草だったので何年かすれば生えなくなってしまいます。
だから種をとっておけと言っているのです。
間人皇后と夫の仮小屋作りからは遠く離れた歌になりました。