万葉集1-10

間人皇后が義理の息子、有間皇子が温泉に護送された時に付き添って行く途中での歌という説がある。

有間皇子がなぜ護送されたのかと言いますと…
有間皇子は36代孝徳天皇の息子です。
孝徳天皇は皇極天皇の弟です。
皇極天皇は35代天皇でしたが子供である中大兄皇子が645年(乙巳の変)を起こしたので責任をとって天皇の位を弟に禅譲しました。

孝徳天皇は難波長柄豊崎に遷都しましたが、晩年甥である中大兄皇子とうまくいかなくり皇后の間人姫と一族が飛鳥に戻る事態となり孤独のうちに死んでしまったかわいそうな人なのです。

その息子である有間皇子は有力な天皇候補。 
心優しい争いを好まない性格だったのですが、蘇我赤兄にそそのかされて謀叛計画に乗りそれが中大兄皇子に知られ処刑されてしまう悲劇の青年なのです。
蘇我赤兄に捕らえられたのですから中大兄皇子の計画にまんまとやられたのです。

温泉に行くのは尋問を受ける為なんですね。
有間皇子はその後、紀伊国の牟婁の湯へ到着し中大兄皇子の厳しい尋問を受け飛鳥へと送還されます。
そしてその途中、藤白坂で絞首され、19歳の若い命は絶たれてしまうのです。

夫を見捨てた間人皇后が義理の息子に付き添っていくはずがないんですけどね。

そう言われているだけです。
詳細はわかりません。

万葉集1-10

君之齒母 吾代所知哉 盤代乃 岡之草根乎
去来結手名

君が代も わが代も 知るや 盤代(いわしろ)の
岡の草根をいざ結びてな

<大意>
あなたの命も私の命も支配していることよ。この盤代の岡の草を、さあ結びましょう

草を結ぶというのは結びとめる行為の中に、その人間の命が結びこめられると考える古代信仰。
この歌の後に、同年有間皇子が松の枝を結んで歌っている。(1-141、1-142)
有間皇子乃詠んだ歌も後から訳してみます。

まずは、間人皇后の歌から訳します。

万葉集1-10

君之齒母=木の葉も

吾代所知哉=綿(雪)化粧するや

盤代乃=磐梯山

岡之草根乎=岡の草根も

去来結手名=かくしてな

<木の葉も 綿化粧するや 磐梯山 岡の草根もかくしてな>

木は綿のことです。
綿は種をついた状態を植物としての棉、
種を取り除き繊維としては綿と書くそう。
綿は元々一年草ではなく木だったので「木」へんの棉という字が使われます。

が収穫を迎えると磐梯山の頂上の雪にように
岡にある草も根も隠してしまう。

磐梯山付近で綿をつくっていたのでしょう。
綿は高地の寒暖の差のある場所を好みます。


死ぬか生きるかの状態を詠んだ歌ではなくなりました。

間人姫や有間皇子がいなくなってしまいました。
有間皇子の詠んだ歌は何を意味しているのでしょうか?
ほんとうに松の枝を結んだの?

そもそも、
君之齒母=君の代も
と訳すのには無理があります。

齒=代とは中々読めない。

1-10〜1-15までそんな感じの後の時代に作った歌が入っているような気がしました。

記紀の成立年代に迫る歌もありました。

ではまた次をお楽しみに。

はじめての本です。よろしくお願いします。


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