万葉集巻一の四

一の三は茨城の八郷ではないかと推測しました。

一の四は一の三の『反歌』です。

作者は中臣間人老(なかとみのはしひとのおきな)です。

または間人姫です。

 



 
(解説にはこのように書いてあります。しかし間違いです。)

『中』と言うのは現代では上中下として使用していますが古代は違いました。

例えば中国の中心地を中原と言います。

これは真ん中で中心という意味です。


ですから『中』と付いた場合、簡単に言えば王様、女王様のことを言います。

間人=真ん中の人が1番偉いのです。

それを鑑みて『間人姫』を見れば天智天皇と天武天皇の間の人で真ん中の姫なのです。

それが誰なのか?

天智天皇と天武天皇に関わる高貴な女性と言えば『額田王』以外の候補者はいません。

ですから間人姫は額田王だと思います。

天智、天武より位が高い存在です。

(そもそも天智、天武が実際にいたのか?それが大きな問題です。)


間人連老はそのことを誤魔化すために付け加えられた名前ではないかと推測しています。

今後調査が進めばもう少し確信がもてるかもしれません。

その時は追ってご報告します。

 

では歌にまいりましょう。

 

玉剋春 内乃大野尒 馬數而 朝布麻須等六 其草深野

 

たまきはる 宇智の大野に 馬並めて 朝踏ますらむ その草深野

 

大意

「たまきはる」は枕詞でイノチ、ウチにかかる。

霊魂の極まる命(ウチ)宇智の広々した野に馬を連ねて、朝踏んでおられるでしょう。その深き野よ


たまきはるの意味がわからなければこの歌は理解できないと思います。

なぜ「たまきはる」が「命」にかかるのか?

「たまきはる」を枕詞に比定した人物は「たまきはる」の本来の意味を知っていたのです。

 

では、私が訳してみます。



玉剋春 内乃大野尒 馬數而 朝布麻須等六 其草深野



○玉剋春

たまきはる=女王と王とその間の子供の三人が表されています。


玉=子ども


剋=キ=ヒ=メ=ヒメ=龍蛇姫=月姫=アイラ姫

龍信仰の一族 祀るのは太陽です。


春=ハル=牛王


牛王族と龍蛇姫族の子どもが「倭(わ)族」


たまきはる=牛王ハルと蛇姫キの子供(子孫)=倭(わ)族


○内乃大野尒(倭族が住む場所を表しています)

内野=宇都野=栃木県塩谷町宇都野

塩谷町には玉生(たまにゅう)という地名があります。





○大野=旧今市市を流れる大谷川

おおの=だいや



内乃大野とは旧今市市と塩谷町あたりではなかったのかと推定しています。

○馬數而=枡(マス]

枡=アララト山のあるトルコ、アルメニアからきた「測る、測量する一族」すなわちミトラ系カルディア人=倭


栃木県には益子町があり茨城県北部地域には増子、益子と言う姓が多いのです。


ますこ、ましこは枡(マス)一族の系統。

その他に枡が付く神社があります。


大枡神社

茨城県行方市山田


御祭神 武甕槌神




桝原稲荷神社
千葉県香取市
(神道山古墳群の中にある神社)



○朝布麻須等六
朝布麻=朝、朝日
須等六=ストーク=コウノトリ
朝日の中からコウノトリが命を運ぶ。


其草深野=きそうみの
きそ=奥という意味
きそうみ=入江の奥


玉剋春 内乃大野尒 馬數而 朝布麻須等六 其草深野

牛王と蛇女王の子供の子孫は枡氏、
枡氏は栃木県塩谷町の宇都乃や大谷川沿いにすんでいる。
入江の奥に朝日が登る。その光からやってくるようコウノトリ。
コウノトリは命を運ぶ。
(入江の奥とは女性の子宮を表しているのではないかと推測します)

日本独特の絵に松と鶴があります。
実は鶴は木にはとまりません。
とまるのはコウノトリなのです。

七支樹は命の樹です。


蛇姫キと牛王ハル

鹿島神宮の原型
イラク国ワルカ出土の円筒印章
右側が牡牛神ハル、左側蛇女神キ中央が七支樹

もちろん現在の栃木県北部は海ではありません。
しかし、県北部には何故だか海を、想起させる地名がたくさんあります。

それと県北部に箒根神社が集中しています。





箒根神社が集中する向かいの山は八溝山が聳えています。

次回はも海地名と箒根神社と八溝山の関係に迫りたいと思います。

それでは。