万葉集巻一の三
万葉集とは実に謎多き歌集です。
万葉集一巻三番目の長歌。
まず詠んだ人物がわかりません。
一応解説に書いてあるとおりの説明からです。
2人の候補者がいます。
最初の詠人候補はこの女性です。
中天皇 なかすめらみこと
天智天皇の妹、天武天皇の間の姉、要するに三人兄弟の真ん中なので中皇命と言うのでしょう。
間人皇后 はしひとこうごう
中皇命は孝徳天皇と婚姻して間人皇后になったのです。
孝徳天皇は皇極天皇の弟で間人皇后は叔父と婚姻したのですが孝徳天皇の都から兄の元に去りました。
次の候補者は年配の男性です。
中臣間人連老 歌を献じる使いらしいです。
それを鑑みて長歌を見てみてましょう。
歌の意味が分かれば作者も浮かんでくるかもしれません。
八隅知之 我大王乃 朝庭 取撫賜 夕庭 伊椽立之 御執乃 梓弓之 加奈弭乃
音爲奈利 朝獦尒 今立須良思 暮獦尒 今他田渚良之 御執能 梓弓之 加奈弭乃
音爲奈理
やすみしし 我が大君の 朝(あした)には とり撫でたまひ 夕(ゆふへ)には
い縁(よ)せ立たしし 御執(みと)らしの 梓の弓の 中弭(なかはず)の
音すなり 朝猟(あさかり)に 今立たすらし 暮猟(ゆうかり)に 今立たすらし
御執らしの 梓の弓の 中弭の 音すなり
<大意>
わが大君は朝は手に取って撫で、夕方は側に寄ってお立ちになって、常々愛用なさった梓の弓の金弭の鳴る音が聞こえる。朝猟にお出かけになるらしい。今こそ猟にお出かけになるらしい、梓の弓の金弭の音が聞こえてくる。
「やすみしし」が枕詞でワガオオキミにかかります。
「やすみしし」=ワガオオキミと言うことは「やすみしし」の意味はないのです。
そんなルールってあるでしょうか?
枕詞と言えばとても格調高く感じますが、その実歌本来の意味を縛ってしまう厄介なルールなのです。
万葉集を訳すにつれて枕詞は訳されると困る言葉をフリーズさせているのではないかという疑念が湧いてきました。
それでは、私が訳してみます。
八隅知之 我大王乃 朝庭 取撫賜 夕庭 伊椽立之 御執乃 梓弓之 加奈弭乃
音爲奈利 朝獦尒 今立須良思 暮獦尒 今他田渚良之 御執能 梓弓之 加奈弭乃
音爲奈理
八隅知之
八隅地=やぐうち=やごうち=やごう(八郷地)
↓
谷口、矢口、水口
我大王乃
潟(が)大(だ)君=かた(水辺、干潟)君=片の女王
↓
潟大君=かた(水辺、干潟)君=片の女王
↓
君=女王様
朝庭=朝は
取撫賜=取り上げない(赤ちゃん)
夕庭=暮れて
伊椽立之(いおり)の=産屋に
御執乃(おとの)=産声
梓弓之 加奈弭乃=弓の弦を響かすような
音爲奈利=産声があがる
朝獦尒=朝取り上げる(朝生まれる赤ちゃんに用意した)
今立須良思=かりすり(からすり)も(草木染めの産着)
暮獦尒=夕方取り上げた赤ちゃんに着せた
今他田渚良之=片田(波打ち際)凪(なぎ)り(満潮で凪の状態)
御執能=産声
(声を音と表現していた)
梓弓之 加奈弭乃=弓音を響かす金弭のように
音爲奈理=産声が響く
意味をまとめると
やさと(谷口=八郷)河と海の境にある巫女王の磯城宮で出産が始まる。
朝は赤ちゃんを取り上げない。
夕方の産室に弓が金弭を響かすような大きく元気な産声があがる。
朝、用意した草木染めの産着を夕方に着せられる。
凪(満潮)で静かな波打ち際に弓が金弭を響かすような産声が上がる。
出産するのは朝方ではなく夜の方が適している。
満潮の時の方が心が静まるからである。
磯城宮(しきのみや)は海岸にあり主に女性達が出入りをしていた。
機織りと出産と子育てをしていた。
定住しているのは巫女王と今で言えば助産師と保育士のような出産と子育てのプロの女性達。
磯城宮を中心に他の政治機関も近くにあったのではないかと思われます。
当然のことながら古代の都と呼ばれた大型集落は海か川のそばです。
現在の八郷地区はもちろん海ではありません。
しかしフラッドマップで水位を60mに上げると八郷地区は海になりたくさんの島が現れてきます。
八郷地区
60m水位を上げた場合、中央に島ができて周囲の山々に小さな入江が沢山できます。
この小さな入江を矢口、水口と言います。
この矢口や水口には川が注ぎ込んでいる場合が多いです。
八郷町には歌に出てくる地名があります。
今立須良(からすり)思
草木染めの肌着です。
八郷町 嘉良寿利
かた(ひがた)のつく地名も残っています。
嘉良寿利、片野城、片岡の場所を良く見て下さい。
まわりの畑や住宅地より高い山になっています。
そこは現在はゴルフ場になっています。
重要な遺跡のありそうな場所はゴルフ場になっていることが往々にしてあります。
ここを調査することはもうできません。
川又と言う地名は女王を表しています。
私達の推論によれば水位60mの時代が主に飛鳥奈良平安中期の時代です。
大和朝廷が関東に来られるわけが無いのです。
大和王朝、九州王朝、〇〇王朝とか、とにかく王朝乱用を良く見かけます。
しかし王朝はそんなにたくさんありません。
特に東日本にはシュメールの都市国家のように地方に都が沢山ありました。
首長はいたと思いますしもちろん王族の血を引いた貴人もいたでしょう。
しかし中央集権的な国家はありませんでした。
西日本のことはわかりません。
東西の大きな違いは宗教です。
西にはカーストがあり東にはありませんでした。
えっ?
そんなことはないって?
そうでしょうか?
今でこそ自由に行き来できるようになったので一見同じ日本に見えるでしょうね。
でも同じではありません。
ところでこの歌を詠んだのは誰なのでしょうか?
間人連老ではありませんね。
天武、天智の間の姫君?
ここは茨城県石岡市八郷町です。
八郷に住む姫君ですよね。
それがあろうことか大和にいる天武天皇の妹、天智天皇の姉の歌らしいと書いてあります。
それを誤魔化す為に間人連老かもしれないと付け足しているのです。
おかしいですよね。
万葉集って東国にあった歌集を奈良や京都の西日本が舞台に焼き直してあるんじゃないの?
この疑問を解いてみせますよ〜
お楽しみにね。
この歌の反歌を間人連老が詠んでいるので次回はその解説をしたいと思います。