この世の中は、ほんとうに不親切な世界です。

死後の具体的案内がないからです。

肉体から霊魂の抜け出ていく状況。
抜け出てからの行動。
死後の行くべき場所。
果たしてお迎えがあるのか?とか。
気になることがたくさんあるでしょう。

そういうことがわかっていたら死への心構えができるます。
だから終活があるなら霊活があるべきだと思います。
しかしだいたいの死後世界の知識は、

①行きたい方面は天国、楽園、極楽浄土
②避けたい方面は地獄、煉獄

宗教的な分け方だとこういう感じですよね。

地獄に落ちない為には属している集団の神様、あるいは仏様を信じて道徳的な教義に基づいて生活すれば良いと言うのがだいたいのセオリーです。

大日本帝国憲法の下はこのやり方でokでした。
天皇は生神様=現人神だったからです。
今では現人神だと思っている人はいないでしょう。
欧米でもキリスト教離れが進んでいるのが現状です。
一つの宗教的に縛れ無くなっています。
騙されなくなってきたのですね。
(イスラム教やヒンドゥー教を国教としている国については今回は触れません)
しかしかわりに新興宗教→ニューエイジ→スピリチュアルブームに変わってきています。

それらの中身を検証するとキリストやブッダから別な教祖になったに過ぎません。

信者には道徳的な生き方を説いてお布施や受講料を取っています。
巨大化して政治と癒着していたり、死後世界には教祖が待っているという宗教などもあります。

まわりくどいこと言わなければならないのは、人間とはイメージで生きているからなんです。
いやいやそんなことはないと誰も思うでしょう。

世間や常識と呼ばれるのは全てイメージです。
自分の思考から出ているわけではなく大多数の行動に影響されて生きています。
だから常識も時代と共に変化します。

戦前のように単純に天皇を信じていた頃は神仏も信じていました。

ですから死後世界も単純でした。
信じ合う家族が迎えにきてくれる世界をイメージしていたのです。
儒教が色濃く影響していた戦前は先祖を大切にすれば家族は安泰だと思わされていたので死後世界は家族が中心でした。
戸籍も一家の長を中心に子供、孫、甥、姪まで載っていました。

今は事情が違うので先祖との関係は希薄です。
家族の死から個人の死に変わりました。
先祖がお迎えに来るという受身の状態から自分の行く場所を積極的に探す必要が出てきました。



どのように探すのか?
それが霊活です。

先ずは魂が肉体の死を迎えたと自覚して下さい。
死んでも思考は変わらないので死んだのかどうか色々と試してみて下さい。
死ぬ前の状況を思い出して下さい。
死とは生者との縁が切れることを言います。
だから終活として頃合いになったら家族に言いたいことは伝えておいて下さい。
死んでからは言いたいことがあってもうまく伝えることはできません。
死んでしまえば幽霊として扱われて怖がられます。
肉体があってこその家族です。

長い間共に過ごした家族ですから急には離れ難い思います。
気の済むまで家族のそばにいて下さい。
縁の深い家族がいればまた会うことができるでしょう。

気がすむ時は必ずきます。
その時、あなたはフワッとしたものに包まれるでしょう。

おかあさんです。
顔は産みのおかあさんでも肉体のおかあさんではありません。
魂を生み出したおかあさんです。
そのおかあさんを過ぎるとあなたの魂は深い眠りにつきます。
眠っている間に心の中に溜まる澱が浄化されます。
眠りから目覚めると行先が決まっています。
あなたは歩き始めます。

行先は生前の記憶がある人とない人に別れます。

生前の記憶を残すには自分で考えて行動することが必須です。
善悪とは関係ありません。
だからと言って犯罪を犯してはダメです。
全てはタイミングです。
自分の時間を有効に使って生きてきたのか。
有効に使った時には必ずシンクロが起きます。

記憶の無い人は自分の時間を大切にする為の環境に戻ります。



霊活について書こうと思ったわけはこうです。

長年の知人Yさんが亡くなりしばらくしてから話しかけてきました。

死んでから家族や友達に話しかけてきたが知り合いで通じたのは私だけだと言いました。

「生前から亡くなった方のメッセージが聞けるとは言っていたが本当だったんだね」
前ブログで書いたGさんも同じことを言いました。

YさんとGさんは生前、霊能力を有していました。
Gさんにはもう少し休養期間が必要なようです。

Yさんは記憶のある方に進むようです。
また、私と会えるそうです。
楽しみしていると言うと ニタッと笑いました。

一つ年下のYさんはお別れに来てくれたみたいです。
さようなら。