石清水八幡宮 旧称は男山八幡宮。
京都盆地南西の鳩ヶ峰山上に鎮座する。
石清水八幡宮は宇佐八幡宮から勧請された事になっています。
それは逆で石清水八幡宮の方から宇佐八幡宮に勧請されたようです。
しかし石清水八幡宮も福島県会津坂下町にある心清水八幡宮を真似たのだと思います。
勧請なんて都合の良い言葉はこの際捨てましょうね。
まずは厄介な八幡宮の八幡の意味です。
八幡=ヤハタと読む方もいますがこれでは意味がわからなくなります。
八幡にヒッタイト王国の首都ハットゥシャ由来説があり、それはある程度正しいと思います。
ハッツゥシャ→ハッツゥマン→八幡
ハットゥシャの聖域には世界遺産ヤズルカヤ遺跡があります。
そこには岩に彫られたトンガリ帽子を被った「12人の黄泉の国の神々」などたくさんの遺跡があります。
やっぱり帽子なんです。
ハットゥシャはハット=帽子からきた名前だと思います。
石清水八幡宮は鳩ヶ峰山上にあるのです。
鳩ヶ峰(はとがみね)
ハット=帽子
八田、波田、羽田、「はた」の付く地名もハットゥシャと関係している場所だと思います。
「はた」ではなく「はと」鳩と名乗る一族はハットゥシャの事を知っていたのではないでしょうか。
ハット=帽子=笠
笠折=折笠もハットと同じ意味として使っています。
「鳩」はニセモノ「笠」が本物かもしれません。
石清水八幡宮に祀られている神様は八幡大神と総称されています。
◎中御前
誉田別命 応神天皇
◎西御前
比咩大神 宗像三女神
多紀理毘売命
市杵島姫命
多岐津売命
◎東御前
息長帯姫命 神功皇后
以上たくさんの神々がいます。
しかし本当の祭神は男山八幡宮(おやまはちまん)の男山と呼ばれる神です。
男山=建男霜凝彦=神武天皇
欠史八代の神武天皇=五瀬命(いつせのみこと)
です。
建男霜凝彦とは、
勇猛果敢な親衛長=タケル
ヤマトタケルはヤマトの親衛隊長と言うような意味合いです。
霜凝=山頂に積もる凍った雪=山の女神
石凝=山にある鉱石、金、銀、鉄等
山の神自体が女王なので鉱物も雪(水)も同じ凝りで表現されます。
(凝り=凍って固まる、固まるの意)
霜凝姫、石凝姫を守る役割の親衛隊長が夫(男)になります。
石清水八幡宮は男ですから女王はどこにいるのかと言うと福島県会津坂下町の心清水八幡神社にいます。
心清水八幡神社の神紋は五七桐紋です。
ちなみに建男霜凝彦=五瀬命は五三桐紋。
心清水八幡神社の祭神も石清水八幡宮と同じです。
心=凝り=氷が解け出して清水になり山裾から伏流水となります。
氷川神社の氷や寒川神社の寒も同じ意味です。
氷が解けて春の訪れを知らせる女神が祀られているはずです。
必ず子安神、稲荷、浅間神社、などが摂社としてあります。
近くのお寺に千手観音菩薩、十二面観音菩薩などが祀られています。
全て女神が名前を変えて祭られています。
いつ?
会津の心清水八幡神社の石凝姫の親衛隊長であった建男霜凝彦が京都に祭られたのでしょうか?
祭神にも建男霜凝彦命の名前はありません。
石清水八幡宮のある場所は水位60mで小島になります。
水位60mの時代とはいつだったのでしょうか?
山地や陸地に海や水に関する地名があります。
しばらく謎でしたが現地に行くと海だったと言う証拠が山程出てきます。
フラッドマップで水位を上げると海岸線だった場所になります。
その場所を現地調達すると古墳、神社、お寺が立ち並んでいます。
是非皆さんもフラッドマップで海岸線のある場所に神社やお寺、古墳があるのを確認してみて下さい。
これはどういうことなのでしょうか?
縄文の海進の後も海岸線が変化しているとしか考えられません。
仮に縄文時代だとしたら地名に使用された文字はいつの時代のものなのでしょうか?
源頼朝は鎌倉(1185年)に幕府をつくりました。
現在幕府跡はあったとわかるくらいの場所です。
痕跡が無いと言っても良いくらいです。
後の室町幕府(1336年)は京都に移します。
江戸初期の海岸線は水位8〜12mくらいです。
それから逆算して室町時代は12〜20mと仮定します。
20mでは京(みやこ)はできません。
13mで平安京は見えてきます。
単純に見ると室町中期に足利尊氏が平安京をつくったかのように思えます。
平安京をつくったのは秦氏です。
足利尊氏も秦氏一族ですから符合する点は大いにあるのです。
この辺りはもう少し詳しく調査してわかり次第発表したいと思います。
大阪はもちろん海です。