178年大国主30才。

決断を迫られていました。


頼みの綱だった後漢は機能不全の末期状態。

南匈奴も否応なしに無益な戦いに繰り出され青息吐息でした。


大国主は大きな溜息を一つつき腰に剣を挿しました。

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自分を頼ってきている何人もの義兄弟、従兄弟、親戚を食べさせて行かなければならない。

あんなに幼い時に虐められたのに...今更。

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大国主は、呼韓邪単于と王昭君の子孫匈奴の貴種(王族階級)です。


これから、スサノオ(月氏軍団)と戦わなければならないのです。


又、父親と同じ事をするのかと思いました。

大国主に母の記憶はありません。

孤独が憂鬱を生んでいました。


大国主の母はアイラツ姫(蒲田姫)です、

父は河伯(河童)

記紀では神沼河耳になります。


神沼河耳(河伯・河童)アイラツ姫を略奪して生まれた子供です。


神沼河と言う名前は女神を表しています。

男性の使う名前ではないのです。

神沼河姫≒アイラツ姫(アカル姫)です、どんな形であれ子供を産んだ事で夫婦になったので神沼河耳と名乗った事にしたのでしょう。


結局、大国主も同じ事をしました。

スサノオの娘と長髄彦の妻を略奪したのです。

阿蘇の蹴破り伝説で有名な建磐龍(たけいわたつ)が、大国主の別名です。


奥方の名前は豊秋津姫(とよあきつひめ)

別名・豊玉姫、瀛津襲足姫(おきつよそたらしひめ)


二人の子供は下照姫です。

もう一人青玉繋(あおたまかけ)と言う息子がいるようですが調査中です。


大国主は根の国に行きました。

根の国(あの世)に旅立った....38才でした。


大国主は匈奴の血が入っていたからと言って大雑把な性格ではありませんでした。

繊細な神経の持ち主だったのです。


根の国から帰ってきたのは、義理の兄山幸彦息子の大山咋(18才)でした。


大山咋が大国主の跡を取ったのです。

大国主の奥方達は山幸彦の妻になりました。(レビラト婚、逆縁)


大国主亡き後、山幸彦率いる匈奴軍団は安住の地(倭国・九州)を得たのです。


スサノオ達にとっては不穏の幕開けでした。


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