(盤古神)
「盤古神話」(中国)
「盤古神話」(中国)
盤古神話は倭国や古朝鮮の「天地開闢神話」の原典で「三五暦気」「五運暦年紀」「述異紀」などがあったようですが、早くから散逸しています。
「三五暦気」
天地は鶏子(卵殻)のように渾沌としていた、その中で盤古は誕生した。
一万八千年を経て、天地が開けると、陽(あきら)かで清らかな部分は天となり、暗く濁れた部分は地となった。
盤古はその中間に在って、一日に九回変化した。
天では神、地では聖となる。
天は日に一丈高くなり、地は一丈厚くなり、盤古は日に一丈背が伸びた。
このようにして一万八千年を経て、天は限りなく高くなり、地は限りなく深く、盤古は伸長を極めた。
後に及んで三皇が出る。
一にして数え始め、三にして立ち、五にして成り、七にして盛んとなり、九にして場所が決まる。
それ故に、天と地は九万里(4万5千km)離れた。
初めに盤古が生まれ、死が近づくと、吐いた息は風雲、声は雷鳴、左目は太陽、右目は月、手足と胴体は四方の極地や五岳、血は河川、筋と血管は道、皮膚は農地、神髭は星辰、産毛は草木、歯と骨は金属、精髄は珠玉、汗と涙は雨や露に化身した。
身中の寄生虫は風によって各地に広まり、多くの民と化した。
盤古神話に言う「天地渾沌」とは陰陽未分化の宇宙を言い「陰陽説」そのものであり
盤古神話は「陰陽五行説」以前に誕生したと思われます。
盤古の頭は東岳、腹は中岳、左手は南岳、右手は北岳、足は西岳となった。
これは秦漢時代の俗説ですが、五岳信仰に結び付けて語られており、すでに盤古神話が方士の間で流伝していた事が窺えます。
盤古神話は、卵から盤古が誕生する「卵生型神話」です。
中国で卵生神話を有するの民族は、古代長江流域の氏族や西南地方の民族です。
盤古神話の起源は古代苗族の「天地開闢神話」と考えられています。
『古代苗族』
三苗(サンミャオ)
夏の時代、湖北省や湖南省を領域とした三苗と言う民族がいました。
中国は黄河文明だけではなく、長江流域にも古代文明が存在していました。
河姆渡文化(紀元前5000年~前3300年)
(浙江省遼紹平原東部、越海東の舟山群島に至る古代遺跡、河姆渡遺跡)
大渓文化 (紀元前4400年~前3300年)
(東は湖北省江陵公安、南は湖南省、洞庭湖北岸、北は漢水中流域に分布した古代文明、四川省巫山の大渓遺跡)
屈家嶺文化(紀元前3500年~前2600年)
(湖北省江漢平原から湖南省南陽盆地にかけて発展した古代文明、屈家嶺遺跡)
上記の大渓文化と屈家嶺文化はまさに苗族が領域としたエリアです。
盤古とは人名ではなく、兄妹を指す単語であり、語源は「磨刀石と葫薦」らしいのです。
珠江市流域の原住民であるチワン族及び、その同源民族の太古の神話です。
チワン族地区の盤古廟に、男神の盤古神と兄妹のニ神が祀られています。
壯族(チワン族)には古代から伝承された人類発祥故事があります。
瓢箪の中にいて、幸いにも洪水から生き残った。
彼らが結婚し後に磨刀石のような肉塊を産み、それを砕いて四方に撒いたところ、無数の人に変性した。
盤古神話は古代苗族かあるいは漢族から始まったのは定かではないですが「三皇五帝」伝承や日本と朝鮮の開闢神話に強い影響を与えた事は事実です。
「伊邪那岐命と伊邪那美命」
左目を洗いたまう時に成りし神の名は、天照大御神(太陽)。次に右の目を洗いたまう時に成りし神は月読(月)。次に御鼻(みはな)を洗いたまう時に成りし神の名は、建速須佐之男(海)。
記紀神話盤古を源流とするが、日本書紀は「三五暦気」を書き写したものでしょう。
少し難しい事を書きましたが、古事記日本書紀には、お手本があったと言う事です。
オリジナルではなかったのです。
日本だけではなく漢民族や朝鮮も同じようです。
神社には、手や足や歯の神様がいたり、とても不思議だったのですが、盤古神話を知って謎が解けました。
茨城北部には古くから常陸五山と言う山岳信仰があります。
これも盤古神話が元になっていたのです。
もしかしたら、七五三もそうなのでしょう。
驚く事に盤古神話には洪水伝説もありました。
アダムとイブのようなお話もありました。
盤古神話って....深いですね。
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