ヤマトタケルの両親から紹介していきましょう。

父親は彦坐王(天足彦あまたらしひこ)です。
彦坐王の父(父方祖父)は
彦国興津(ひこくにおきつ)別名(長髄彦ナガスネヒコ)でスサノオの息子です。
古事記では神武天皇の東征に反乱して殺された事になっていますが殺されていません。
懿德天皇の妃であった天豊津姫を救い出した事が天皇家に対する反乱と見なされています。 (長髄彦の乱)

彦坐王の母(父方祖母)
興津襲足姫(おきつよそたらしひめ)でスサノオの娘です。

彦坐王は、同父同母の近親婚の子供なのです。

母親は雨宮姫(あまみやひめ)です。
雨宮姫の父も長髄彦なのです。
雨宮姫の母は天豊津姫で長髄彦が救出した姫です。

ヤマトタケルの両親は異母兄弟で、やはり近親婚です。
  
しかしここからが問題なのです。
果たして、雨宮姫の父親は懿德天皇なのかそれとも長髄彦なのか?
懿德天皇の子供の孝霊天皇とは誰の事なのか?

二つの大きな疑問が持ち上がってきました。
孝霊天皇雨宮姫の年齢は一つ違いです。

雨宮姫の別名から見ていきましょう。
山代之荏名津比売(やましろのえなつひめ)

山代之≒山代出身

荏名津比売≒えな≒胞衣(胎盤)≒後産
「えな」とは胎盤の事で現在でも後産と言います。
つまり雨宮姫後から生まれた子供と言う意味になります。

では、先に生まれた子供は?
先に生まれた子供は死んだ事にしたのかもしれません。
何故なら死んだ子供は享年1才と数えるからです。

孝霊天皇が生まれたのか、最初から存在しないのかハッキリとは言えないのですが、
そう言う事にしたのです。

天皇家の家紋には菊花紋、五七桐、五三桐がありますが、その中の一つ三階松に謎解きの鍵が隠されています。
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三階松
孝霊天皇
孝元天皇
開化天皇
を表しています。

千葉、茨城、宮城に同じ言葉を使う伝承があります。

千葉県袖ヶ浦の姉崎神社に姉が弟(あるいは夫、妹)を待つ姉が待つ伝承。
結局、待ってもこないのが、つらいので周辺では松を植えなくなった。
姉が待つから姉崎に名前を変えた。

茨城県常陸太田市の西金砂神社にも姉と弟(妹)の伝承があります。
姉の金砂神社が弟(妹)の真弓神社に会議をするからと言ったのにいつまで待っても来なかった。
姉は待っていたのです。「姉は待つ」
こちらは、怒ってしまいました。
小祭礼の浜降り神事の際に真弓神社の前で弓の弦を鳴らす神事があります。
地元では、やはり松を植えないと言う言い伝えがあります。

もう一つ宮城県栗原市金成(かんなり)にあった松。
「姉歯の松」 
姉歯の松には何種類かの伝承がありますが必ず姉妹が出て来ます。
代表的な話は朝廷に仕える女官として選ばれた朝日姫が船が座礁して陸路をとったがその地で病に倒れてしまい、それを聞いた夕日姫が志願して都に上がる事になる。
途中で姉の死んだ場所に目印の松を植える。
「姉歯の松」

姉は松は、三階松を解く秘密のキーワードなのです。

姉≒女  市 ≒女  一番目
松≒三階松(孝霊、孝元、開化)

三階松の一番目は女、孝霊天皇は女だと言っているのです。

孝霊天皇はヤマトタケルの母の雨宮姫です。

千葉、茨城、宮城はヤマトタケル伝説の多い場所です。
表だって言えないない事は記紀には載っていませんが、伝承、能、浄瑠璃、歌舞伎など大衆向けの芸能には残っているものです。

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