偉大なる血脈を持っていた姫氏が終焉してしまったのです。
間も無くして卑弥呼も亡くなってたのだと思います。

倭国は女王国だと周辺国に認知されていましたから急いで女王を立てなければいけませんでした。
しかも、肝心の姫氏の血脈が途絶えたと言う事が漏れれば侵略されるのは目に見えています。
姫氏から引き継いだように装わなければならなかったのです。
  
姫氏の尊い血統血族結婚で繋いで来たのですからいずれどこかで途絶えるのは当然なのです。

その引き金を引いたのはスサノオの息子の長髄彦でした。
長髄彦は英雄でありながら反逆者と言う汚名を着せられたのです。
長髄彦は九州(倭国)を離れ大和(本州)に下りました。
そこには祖先を同じくするヘブライの民がいるからです。

新女王は長髄彦の異母妹辛国息長大姫(豊受比売)の娘になりました。

イヨ(鈿姫)ヒミコ宗女の誕生です。

表でイヨ透明人間孝霊天皇の妃になりました。
裏でイヨを支えたのは級長津彦命の息子御年神(みとしがみ)です。
それと両親のニギハヤヒ(山彦)、大目姫(辛国息長大姫)がバックアップしました。

倭国の内政調整をしなければなりませんでした。
姫氏の遺産をどのように管理するのか主要氏族と決めなければならないのですが、このお話しは、因幡の白ウサギ、桃太郎の鬼退治等のお伽話や伝承としていい伝えられています。

それは次回以降に譲るとして中国から日本はどのような呼び方をされていたのかご紹介します。

「日本書紀神代講述鈔」
日本の倭漢通用国称が「【姫】氏國」(きしこく)であったと記されている。
著者は伊勢神宮外宮の権禰宜だった渡会延佳
江戸時代初期に写本された「日本書紀」の中の女偏にと書くだった。
元々の字はプリンセスの意味はなく「慎む」と言う意味。

東瀛 
東瀛(とうえい)とは、古代中国において、仙人の住むという東方の三神山(蓬莱方丈)の一つを意味し、転じて日本を指す雅称。または中国大陸から見て東方の大海(東海)。現在でも漢民族は日本のことを東瀛とも言う。 
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東瀛と呼んだのは
秦の始皇帝の時代です。
秦の始皇帝の姓諱は贏政(えいせい)で、海を越えて徐福が若い男女千人連れて不老不死の薬を探しにきた人達の事を東瀛と呼んだのが最初です。
東の海を越えてきたので氵(さんずい)をつけて東瀛になりました。
スサノオは秦の始皇帝贏政の子孫にあたります。

漢の時代日本は「姫氏国」と認識されていたのです。

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