古事記の伝説部門欠史8代の謎解きをしていきます。
その中でも謎中の謎孝霊天皇ですが第一代から順々に解いていきます。

「天皇」を使い始めたのは持統天皇の時代からです。それ以前は大王、大君(おおきみ)と呼ばれていたと推測されますが、ここはとりあえず天皇で統一します。

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第一代の神武天皇の前に卑弥呼がいるのでまずは卑弥呼からです。

卑弥呼
天照大御神
大日女貴(おおひるめむち)
父親   大卒姫氏
母親   高木の姫  許氏

姫氏は「殷周革命」後、殷の紂王の叔父箕氏が殷の貴族階級を率いて建国した箕氏朝鮮正統末裔です。
紀元前10世紀より漢の時代(紀元後~100?)ぐらいまであり、その後倭国です。 

歴史上、箕氏朝鮮は衛氏朝鮮に滅ぼされていますが血統の貴重さゆえに時の権力者達に転々と庇護され最後の庇護国は漢でした。 
漢の中将 白川白王家の豊玉彦護られ朝鮮半島から九州に入ったのです。
倭国は便宜上漢の朝貢国と言う扱いになっていたと思います。

卑弥呼とは「魏書」第30巻烏丸鮮卑東夷伝倭人の条に書かれていた名前なのです。
自分では卑弥呼と名乗っていません。

第一代  神武天皇
神倭伊波礼毘古の命(かむやまといわれひこのみこと) 
この方は卑弥呼異母弟です。
父親  大卒姫氏
母親は玉前姫(神玉依姫)  白族
白川白王家の豊玉彦の姉です。
玉前神社の主祭神の玉依姫命です。
(古事記の玉依姫は一人ですが、実際は三人います。一番最初の玉依姫で豊玉姫の妹の玉依姫とは別人です。)

妻はアイラツ姫(蒲池姫)瀛氏
子は懿徳天皇
神武天皇は父亡き後を継いだのですが母系社会の軋轢もあり周りの豪族や民衆の信頼を得られずに政治の表舞台から降りました。
その後に卑弥呼が執政し事なきを得たのでした。 

神武天皇の名前を解読すると
諡名である神武天皇は頭が良く猛々しい武将のようなイメージがあります。
しかし実際は正反対の名前になっています。
神倭伊波礼毘古命
神倭    倭国
伊波礼毘古   霊感があるにはあるけれど自分の感情のコントロールが出来ないので相手の意見に飲まれて決断を下せない。
自分の霊感の原因が見出せないので霊感その物に振り回されてしまいます。

このような困ったちゃんは自分の感情に振り回されて賭け事など享楽的な事にはまりやすく内気で気の弱い傾向にあります。
母性の強いリーダーにつくと上手く行きます。
お姉さんの卑弥呼とは息があった事でしょう。


第二代 綏靖天皇(すいぜい)
神沼河耳命(かみぬなかわみみのみこと)
この方は天皇と書いてありますが天皇ではありません。

級長津彦命シナツヒコ(大年神)の父親です。
阿蘇菊池川流域を中心とした阿蘇一族多氏の長ですがスサノオ(新羅王 昔氏)の参謀のような役回りの人物でした。
妻はスサノオの姉の神俣姫。
子は級長津彦命です。
もう一人の妻は神武天皇の妻アイラツ姫。
子は建磐龍命(タケイワタツ)です。

綏靖天皇の綏靖は静かで穏やかな人と言うような意味です。
神沼河耳も神沼河は玉の取れるような高貴な河と言う意味で、どちらの名前もベタ褒めです。

何故ベタ褒めかと言うと古事記を書かせた人の先祖や関係者が神沼河耳、級長津彦命に繋がるからです。
ズバリ藤原氏の祖の一つだからです。

当時の結婚形態は母系型の通い婚です。
娘が家を継ぎ息子は妻の家に通います。
子供達は生まれた家に住む多夫多妻婚です。

天皇の身分でさえ通うアイラツ姫の瀛氏は相当なお金持ちだったのです。

天皇と呼ばれるような立場ではありますが姫氏自体は権力や財産が有り余る程あったわけではないのです。
あったのは尊い血脈です。
その血脈を産むのは権力と財産のある一族の娘なのです。
娘の家が天皇家のスポンサーになります。
最初からそうでだったのではなく尊い血脈がスポンサーを呼んだのです。

婚姻と言う結びつきにより平和的な関係性を保ったのです。

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