日本武尊伝説は日本各地にあります。

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特に関東、東北地方では英雄と言っても過言ではありません。
『常陸風土記』には「倭武の天皇」とさえ書いてあります。
何故かと言えば、日本武尊一族にとって常陸国は重要な土地だったからです。
常陸は世界でも有数な砂鉄の産地でした。
砂鉄だけでなく砂金、辰砂(水銀)、ヒスイなども取れ阿武隈山系は鉱物の宝庫です。
福島の岩背国国造に日本武尊の子供の武彌依米命(たけみよりめのみこと)の名があります。
日本武尊が東西征したと言われている場所は全て鉱物が取れる土地なのです。
それは鉱物が時の朝廷の経済を下支えしていたからです。
経済を制する者は全てを制する
古代であろうが現代であろうがそれは変わりませんね。
日本武尊が常陸風土記で天皇と書かれた由縁でしょう。
本当の天皇だったわけではありません。
日本武尊は各地にいた抵抗勢力(土蜘蛛、国巣)を成敗した英雄伝説が語り継がれていますが、これは後の創作です。
中世までの領主と領民の関係性はそんな単純な事ではありません。
力で制圧するような中央集権国家は江戸時代以降の話しなのです。
日本武尊が英雄になれたのは地元住民とうまくやれたキャラクターの持主だったからに他ありません。
もちろん、その前に日本武尊の父や祖父が下地作りしていたのです。
もう一方の尾張を中心とした日本武尊伝説があります。
尾張の日本武尊は西征をしています。
九州に赴き熊襲建を女装し油断させ打ち取っています。
その時に「タケル」の名をもらいました。
父と兄の諍いの間に入って悩んで涙を見せたりしています。
こちらの日本武尊は武芸に秀でているものの繊細で優しいイメージが伝わってきます。
繊細で優しい日本武尊
どちらもタケルなのです。
二人は双子なのですから。
大碓(オオウス)兄 関東方面で活躍
小碓(ヲウス、コウス)弟 関西方面で活躍
小碓は尾張氏の娘宮簀姫と結婚し草薙の剣を預け何故か丸腰で伊吹山にいる荒ぶる神と戦いに行き返り討ちにあいます。
猿投神社(さなげじんじゃ)
主祭神 大碓命
大碓命は景行天皇52年に猿投山中で蛇毒のために42歳で死去し、山上に葬られたという。猿投山西峯にある西宮の背後に大碓命の墓がある。
神社の由緒書き
主祭神は古墳時代の皇族のひとりで、「小碓命(おうすのみこと=日本武尊)」の双子の兄にあたる「大碓命(おおうすのみこと)」。「大碓命」が左利きであったことから、猿投神社では古くから左鎌を奉納して祈願するならわしがあります。社殿脇には左鎌をかたどった板に安全祈願と名前が書かれてたくさん奉納されています。
毒蛇(マムシ?)に咬まれて死んだ事は確かのようです。
大碓が死んだのか小碓が死んだのかハッキリとしませんね。
古事記では双子についての記述はありません。
日本武尊の物語では父と女を取り合った大碓を小碓が殺した事になったりしています。
小碓が日本武尊と言うストーリーを書くのによくもこんなアホみたいな事を考えつくものですね。
それだけ日本武尊一族が脅威だったのでしょう。
結論としては日本武尊は双子だったのです。
古代朝鮮語で碓(うす)ガルは双子を表す言葉だったのです。
蛇に咬まれて死んだのは宮簀姫と結婚した方の日本武尊です。
宮簀姫が眠ると言われる断夫山古墳。
夫亡き後誰とも結婚しなかった賢妻の誉れ高い姫の古墳と言われています。
長い文章を読んで頂きありがとうございました。
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