弟橘姫には腹違いの姉がいます。
お父さんは伊勢神宮の御祭神の兄のウマシマジ(和知ツ見尊)です。
こちら参照⇧

お姉さんの名前は
大橘姫
大和国香姫(やまとくにかひめ)
意富夜麻登玖邇阿礼比売(おおやまとくにあれひめ)
鮠色姉(ハエイロネ)

お姉さんのお母さんは
大倭阿礼姫、倭阿礼姫(おおやまとあれひめ、やまとあれひめ)
孝霊天皇の腹違いの妹です。
それでお姉さんはたくさんの名前があるのです。

弟橘姫は鮠色弟(ハエイロチ)
弟橘姫のお母さんは
師長姫(息長姫)
です。

姉妹は別々に育ちましたが、孝霊天皇に入内し宮中で共に過ごしました。

姉橘姫は16才で42才の叔父の妃になり18才で倭迹迹日百襲姫19才で吉備津を産みました。

弟橘姫は14才で45才の孝霊の内侍になり16才で吉備武彦を産みました。

父親のウマシマジは妹のイヨを孝霊の皇后にして孝元天皇を産ませています。

二人の娘に高貴な子胤(こだね)を取るという目的で入内させたのです。
古代から現代に至るまでこの風習?は続いています。
(庶民にはわかりませんが....)

姉橘姫の娘、倭迹迹日百襲姫孝元天皇の皇后になり孝霊天皇も崩御し二人はやっと宮中を後にする事が出来ました。

姉妹は宮中にいる間に二人にしかわからない悲しみや苦しみを分かち合いながら絆を深めていったのです。
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二人を迎え入れたのは日本武尊でした。
二人は息子達を連れて日本武尊と共に所領を巡りました。
その間に姉橘姫と弟橘姫は日本武尊の子を産みました。
姉橘姫の子供は建彌依米命(たけみよりめのみこと)と言い弟橘姫の子供は仲足彦命(仲哀)と言います。
姉妹にとって幸福な時間が過ぎて行きました。
けれどこの後に悲劇が待っていました。

三浦半島の走水から房総の地に渡ろうとした船隊は嵐にみまわれました。

運悪く遭難したのは橘姉妹を乗せた船でした。

姉妹とお付きの女性は海に投げ出され浜に上がったのは姉橘姫だけでした。

弟橘姫は何時まで待っても帰ってこなかったのです。

千葉茨城にたくさんある弟橘比売神社は「海神に身を捧げた伝説」で占められていますが、
違うストーリーを持った神社があります。

蘇我比咩神社は船から5人身を投げて一人助かった蘇我姫の話。
姉崎神社は姉が遠くに出て行った夫(弟)を待ち続け「待つのがつらい」と言い松の木を植えない、その地域はお正月に門松でお祝いしないと言う習慣ができた。
「姉ヶ松」と言う地名を姉崎と変えた。
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弟橘姫が海神の怒りを鎮める為に荒れ狂う海に身を投じて尊たちを助けたと言う美談は古事記の得意な作り話です。
しかし、尊は結果的に弟橘姫達の命と引き換えに嵐が静まったと感じたと思います。
それで姉崎神社を奉納したのではないでしょうか?
その後、姉橘姫は込み上げて来る涙をこらえながら妹の忘れ形見を育て過ごしました。
ずっと帰らない弟橘姫をまち続けていたのでしょう。
弟橘姫推定28才の若い命を散らせました。


しかし弟橘姫の悲劇はこれで終わらなかったのです。

それは次回で.....

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