紀の国に行った長脛彦を書く前に...

この時代の地図を紐解かなければ物語りが進みません。

前章で倭国と日ノ本が出ました。

倭国は現代の解釈では日本列島のことを指しています。

倭≒大和≒やまと≒日本

これは大きな間違いです。

倭国とは九州を含む韓半島の付け根あたりまでの事を言います。

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韓半島が新羅に統一されたのはAD600年あたりです。

今の南北朝鮮の前身の李氏朝鮮に至ってはAD1392年創建です。

それまでは倭国(伽耶)と呼ばれていました。


九州と韓半島は同じ国だったのです。

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4世紀から5世紀頃の韓三国。

前章で書いた
大卒 箕氏朝鮮(だいそつきしちょうせん)BC1000~BC195の約800年間の長きにわたって国が栄えました。

その後衛氏に国を乗っ取られて
衛氏朝鮮が起きましたがBC195~BC108年  93年の短い命でした。

朝鮮は、箕氏朝鮮以前からあり相当に古い名前なのです。

意味は、朝日が美しく輝くと言うらしいです。
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九州は倭国で海を越えた本州が日ノ本でした。

日ノ本の紀の国に叔父に連れられて傷心の長脛彦はやってきたのでした。

そこには、母イザナミ(玉帽)の母がいたのです。
お祖母ちゃんですね。
お祖母ちゃんの名前は植安姫です。
(古事記ではイザナミの大便から生まれたとされています)
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古事記とは本当に酷いと思います。
藤原氏にとって邪魔な一族はことごとく踏みにじった表現をしているからです。

埴安姫は土≒鉱物を表しています。

又の名前は紀の国の国造名草戸畔(ナグサトベ)です。

名草戸畔については又くわしく書きたいと思います。



生まれてから初めて会う妹でした。
古来より双子は不吉な兆しとして別々に育てられるのです。

二人はそこで名草彦、名草姫として少しの間過ごしました。

古代史の謎やこの世のしくみに興味が尽きない私ですが、お気軽にお電話下さい。
















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