「祈りは、行動です」
私は、このマザーテレサの言葉に非常に共感を覚える。
神や仏に祈る事は尊い。
けれど、それだけじゃないはずだと常日頃から思っていたからです。
当たり前の事だけど、自分が、できることはして、その後に神や仏の力にすがるべきじゃないか。
それもせず、祈るだけっていうのは、簡単だし無視が良すぎる気がする。
厳しい考え方かもしれないが、人それぞれの能力の範囲の中でだから、たくさんできる人もいるだろうし少ししかできない人もいる。
それぞれを比較するのは、無意味な事だ。
そこで、フと思った。
祈りの対象の神仏って何?
神は万物の創造主とされている、抽象的な表現すぎてわからない?
宇宙の成り立ちが解明されていないのに、神=創造主なんて思えるわけがない。
そう、私は理屈っぽい。
わからないことを探求するのが好きだ。
だから、自分の観える、感じる世界の原因をいまだ探求し続けている。
こう、見えたからこうしなさい、などど口が裂けても言えない。
それは、過去の霊能者だと思う。
観えた根拠がわからなければアドバイスしません。
話しを元に戻すと創造主は、自分にとっては両親。
しかし、体外受精などは、医者になる。
以前、体外受精は、自然に背く行為とされていたような気がする。
自然に背く?神に背く?ってことだよね。
代理母は?
クローン細胞からできた羊のドリーは?
しかし、人間は昔から植物を食べやすく改良したり動物を畜産したりしている。
動植物に許されて人間は道徳的に許されないというのは不自然だ。
神は随分都合よく使われている。
「祈りは行動です」
この言葉に感銘を受けるのは、現実的だからだ。
今、見えるものに取り組む姿勢が祈りだとしたら、神は心の中にいる。
外にいて頼ったり、祈ったりするものではなく自分の心の中心にいて共に生きる存在。
心の中心の奥にいる存在・・・・?
伊勢神宮の心の御柱を思い出した。
五十の塔などの建築物には中心に心の御柱がある。
神は、柱と数えるし・・・。
奥の隠された場所にいる仏を密と言う。
密教ですね。
神仏・・・何か繋がったような・・・・。
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などど、思考(想像)しながら運転してます。