YouTubeで朗読を愉しむ | なのはな22のふたり言

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本・テレビ・映画の感想が多くなると思います。たまにフィギユアスケート。
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2か月ぐらい前からYouTubeでいろいろな人の朗読を聴いて楽しんでいるが、山本周五郎の作品が多いのが興味深いなと思った。それも第二次世界大戦中に執筆された「日本婦道記」(1942~1945)がこの21世紀でも堂々と朗読されている事実が何となく不思議でもあった。

 

たとえば「忍緒」(しのびのお)は真田信之の妻・松子の「ある日」を描いているが、時局を思えば、これは夫が戦地に赴いた場合の妻の覚悟を示す作品だ。

 

戦時中の作家のこうした作品を戦後非難する人々は多かったが、それは不当じゃないかと若い頃から感じていた。

この21世紀に聴くのは違和感を覚えるのは確かだが、戦時中の作品を槍玉に挙げて「男尊女卑思想の持ち主」やら「戦意高揚に繋げた」とか言って周五郎文学を批判する声は、私が20代の頃結構耳に入った。特にフェミニスト(男女同権論者)の攻撃の的にもされていた記憶がある。

 

それを言うなら、朝日新聞を始めとした各新聞社の戦争推進キャンペーンを非難すべきで、戦時中はむしろ新聞をよく読んでいた人達が「聖戦」を信じ込んだのだから、当時の作家ばかりを批判するのはお門違いだろう。(特に朝日新聞は熱狂的な聖戦主張の社説を連日繰り広げ、他の新聞社よりも売り上げを右肩上がりに伸ばしていたという事は見過ごせない)

 

 

尚、周五郎は「日本婦道記」で昭和18年(1943)に直木賞に選ばれたが辞退している。この理由はいろいろ言われているが、戦後も他の作品でいろいろな賞に選ばれながら全部辞退しているから、基本的に反骨精神の強い人なんだろう。

 

中学3年の頃、大河ドラマで「樅ノ木は残った」がやっていた事もあり、すぐに原作を買って読んで感動したのが、私の周五郎体験の始まりだったが、この作品が「寛文事件」の真相かどうかはわからない。(海音寺潮五郎は真っ向から否定していた)

が、この小説の着眼点も、周五郎の反骨を示していると思う。

 

無論、周五郎は聖人ではない。人間的欠点があったのは当然だ。彼の作品名「虚空遍歴」を踏まえて「虚空巡礼」と言う評伝がある。斎藤慎爾さんという著者のものだ。

周五郎のファンから見たら不愉快かもしれない。が、精神疾患の息子を病院に入れたまま一度も見舞いに行かない冷淡さなどは、なんとなく「そういう人だったのだろう」と思った。

 

温かい人情話を書く人が温かい性格とは限らない。

それなら小説は全部作者の人間性とは無関係かと言うと、そうではないと思う。ゼロからは善も悪も描けないのではないかな。

 

そして、フェミニストに攻撃される事が多かったが、周五郎作品に出てくる女性は決して忍従する女性ばかりではない。

武家の妻でも夫を尻に敷く「かかあ天下」の奥方もいて、それで円満という話もあるし、義父や奉公先でいやらしい真似をされたら逃げ出して、自活のために身を粉にして働く娘もいる。

 

尚、作家は一生涯同じ思想を持つわけでもない。

時代が進んで、以前知らなかった史実を知り作品の空気が変わる事は珍しくないので、なるべく作家晩年のものを聴いた方が良い、と朗読を聴きながら思った。

周五郎も戦前は「薩長史観」が刷り込まれていたようで、「明治維新」のきっかけになった「錦旗」が偽物だった事を知らないらしい作品もいくつかある。

 

 

大佛次郎(おさらぎ じろう)も「鞍馬天狗」でさんざん薩長を正義の革命家扱いしたが、晩年のライフワーク「天皇の世紀」では膨大な資料や個人の手紙等で「維新」の正体を冷静に解剖しているのが面白い。

 

これも、どなたか朗読してくださる方が現れる事を期待しています。