映画<砂の器>

 

 

  上のイラスト、昭和47年度、松竹映画<砂の器>の主人公、和賀英了が

  若くして将来を有望される天才音楽家としての栄光を勝ち取るまでの、彼の

  少年時代、どんな人生を送ったのか?と言うのが、この映画最高のシーン

  なんだが、、、じつは上の絵、、少年と病を患った父が放浪を繰り返した

  貝想いや回想のシーンは、じつは松本清張の原作にはほとんど出てこない

  つまりあの名シーンは、監督の野村芳太郎の演出だ

 

  で今日のテーマ<人生の栄光と挫折>とは、、という事を語る前に、なぜ

  オレは松本清張の傑作映画を紹介したのか?なんだが、、それは砂の器の

  主人公が味わったミジメな少年時代、、ハンセン氏病の父と放浪の旅を

  続けた頃の、、父のライ病を嫌う人々から受けた迫害の日々、、という

  ものを、繰り返し描くことで、、、その後、大阪の大空襲で、戸籍を

  偽って別の人間に成りすました後の、、それまでとは打って変わった

  幸運に恵まれた、、、音楽の天才に恵まれた青年時代、、、、つまり

  砂の器のヒーローは、僅か30年の人生でミジメな少年時代の<挫折>

  そして才能が花開いて時代の寵児となった青年時代の<栄光>という

  もの、、その対比を描いたと言うのが、あの映画<砂の器>を見る、

  オレのもう一つの見方なんだ

 

  で、上の絵<砂の器>の主人公が、いかにその30年の人生で起伏の

  大きな<栄光と挫折>を味わったかなんだが、、これをオレの人生に

  あてハメてみると、、、オレの場合も彼と同じく、、いや彼のような

  乞食生活と言うんはオレは送らなかった、なぜならオレは地方の金持ち

  の家に生まれて乳いや父はハンセン氏病ではなかった、、じゃあそんな

  恵まれた少年時代を送ったオレがなぜミジメな<挫折>を味わったのか

  それが1976年、、父がオレに東京の画学校<高校>に入学させて

  くれた事が、、、その自分で望んだ将来画家になりたい、という夢を

  叶えるための有利なコース、そのまま卒業すればエスカレータ式で、

  日本大学芸術学部に進学できたんだ、過酷な大学入試をせずともその

  まま大学へ進学できるコースに入学していながら、オレは周囲の本気で

  画家になるという意志を持った才能のあるクラスメートには、まったく

  適わなかった、毎日朝8時半から、夕方6時までビッシリ詰まった科目

  スケジュールと言うんに、オレはついて行けなかった、、それに毎日、

  全員で取り組むデッサンの授業で描いた絵のオレと周囲との実力の差は

  歴然だった、つまり地方の金持ちボンボンの甘い絵描きへの夢などと

  いうものは、本気でプロを目指す真剣な少年達の前では、まったく歯が

  たたず粉砕した、、オレは授業についていけず現在プロの画家になった

  連中もいたレベルの高さに圧倒された、、オレは負け犬になり中退した

  この話は上の絵<砂の器>より真実に近い、いやノンフィクションで

  ある、オレの方が偉い、、オレは少年時代の地方の金持ちボンボンの

  恵まれた生活から一転、実力主義の教育現場に、いきなり叩き込まれた

  事で、自分の甘え、、実力と言うものを知ったんだ、オレには競争は

  ムリだ

 

  で、少年時代の<栄光と挫折>というモノを知ったオレが、その後

  どんな人生をたどったのか?、、それがもしあのまま郡山で周囲から

  学校を中退したミジメな学歴の無い男、、と見られたままでいたなら

  おそらくオレは、その後の父母を亡くした後の、日本のバブル崩壊で

  オレも必ず破綻していた、、、筈が、そ~ならなかったのが、オレの

  悪運の強さ、、これを♪日頃の行いがイイと言う、そのオレに天運と

  いうんを与えてくれたのがジュライホテルなんだ、1987年故郷を

  捨てて、親からもらったカネ持って、タイのバンコクに、ヤリにいや

  ヤッてきたオレを待っていたのは、、オレよりもっと、日本をドロップ

  アウトした連中だった、つまりオレは画学生時代に知った<世の中は

  上には上がある、>と言う事実と逆の < 世の中には下にはもっと

  下がいる、>という事を知ったんだ、、つまりオレは自分が最下位で

  なく、もっと下がいる事を知った、、それに当時は、いったん日本を

  離れてしまえば、、ましてジュライなどというバックパッカー宿では

  < 日本の東京大学、京都大学を出た>、、なんてことは何の意味も

  ない、ここで通用するのは<日々なんぼ安いオンナにカネが使えるか>

  それをヤルのに英語じゃダメだ、だって娼婦は英語が話せない、だから

  現地でいかにタイ語を勉強したか?、>だけなんだ、それが不思議な

  事に画学校じゃまったく優等生になれなかったオレがここジュライ大学

  じゃ、、僅か2か月で、簡単なタイ語が聞き取れるよ~になったんだ、

  天はオレに絵の才能はダメだが、娼婦との貝話いや会話能力は才能を

  与えてくれたんだ、、もちろんカネじゃ他のジュライ連中になんて、

  絶対負けはしない、、連中がニューヨークで1年間寿司を握ったって

  せいぜい月に2千ドルだろ、、、、

 

 

 

 

                   # 栄光→挫折→、再び栄光

 

 

 

 

 

                        ナナ