海辺

 

 

 

   彼の訃報を聞いて、まず思ったのは< ああ、、オレの時代も終わった>と

 

   突然の死だった、、多くの人がまったく気づかぬ間に、彼は突然去った、と

   いうより< 篠山紀信がこの世を去った、>と言われても、まだその事が

   信じられない、なぜならオレの世代にとって、篠山紀信の写真という存在は

   まったくフツーの日常に、、いつもそこにいた、、彼の作品はヒジョーに

   身近に、いつもどこかにあった、、、、、オレが長い間、海外流浪の旅を

   続けた後で日本に帰っても、いつも成田空港のキオスクで見る週刊読売の

   表紙には彼の撮った美女がいた

 

 

   ところで彼の写真だが、、ライバルの荒木経惟や、加納典明、やや世代が

   上の立木義弘、、などと較べるとアート志向というべきか、よーするに

   芸術志向がない、、、つまり気取っていないのだ、それでいながら彼は

   その作品量、発表作品数、、日常で彼の作品が存在するという意味で、

   圧倒的だった、他のカメラマンの数十倍の発表作品があった、、それは

   彼が圧倒的に大衆に支持されたということを意味する、マスコミだって

   商売だ、難解なアート作品ばかり紹介したって大衆に支持されなければ

   カネをかけて印刷などしないのだ、、彼だって自分がアーテイスト志向

   じゃないことは分かっていた、しかし彼にとって写真は商売であった、

   つまり大衆が喜ぶものを撮って、売れてなんぼ、、プロ野球や大相撲と

   同じ、< 勝ってなんぼ、売れてなんぼ >の世界なのである、その意味に

   おいてはオレの世界も同じなんだ、アーテイストの画家ではなく、、

   ゴルゴ13や島耕作を描いて大衆に支持されて、売れてなんぼの世界、

   それがプロの漫画家だ、オレはプロの画家にもなれず、プロの漫画家に

   なれるほどの技量もなかった、、 だからアマなんだ

 

 

   というカタい話は別にして、、、もしオレが彼であったら?、 あの

   GOROの時代から、、いくらでも新人タレントや女優のタマゴなんかに

   < 篠山先生の写真に撮ってもらって、世に出たい、>と思う美女は、

      山ほどいた、それを松本人志や島田紳助や志村けんや秋元康みたく

   片っ端からヤリまくっていたならば?、、オレならそうしたな、でも

   篠山紀信はそれをヤラなかった、?と思う、なぜならそれヤッてたら、

   女房の南沙織に離婚されていたかんな、、、、

 

 

 

 

                   # 真のプロはアーテイストを捨てる

                     オレの絵も、、、

 

 

 

 

                       ナナ