房田夫人

 

 

 

 昨日、、ホーチミンの友人、、房田がケバい、いや美しい夫人を連れて我家を

 訪れてくれたんだ、、、彼は今、ベトナム正月→現地ではテトと呼ばれているが

 昔ベトナム戦争の時に、テト攻勢と言う、、ベトコンによるゲリラ大攻勢という

 んがあって現地では今も英雄視されているんよ、、、もちろん房田の奥さんが

 生まれるずっと前のことだ、、、オレの記憶なんて、もう現地人でも過去の話で

 房田の奥さんもベトナム戦争なんて、、オレらが日露戦争を思うようなものに

 違いない

 

 ああ、このブログが日本語のため、奥さんにバレることはないと思うが、オレが

 房田と出会った25年前の場所と言うんが、奥さんに知れっとヤバイんだ、あの

 〇ワイパーだかんな、、昨日も奥さんは、オレが話すベトナム語が〇ワイパーで 

 知った事を知らず、、ここフィリピンで初めてベト語を話す人間に会ったことで

 興奮いや感動してたが、、うっかりオレが<ボクのベトナム語は〇ワイパーで 

 房田君に出会った時に覚えたものです、>なんて言ったら、奥さんは勃起いや

 憤慨して、ひょっとしたら離婚だかんな、、、オレは<10年前ハノイ<実は

 中越国境>に長くいた時、その時の恋人<実はラムガーイ→オキニ>に教わった

 ものです>と言ったら房田夫人は<そ~なの~、だからナナさんの言葉は北の

 なまりが強いのね>とヘンに納得していた、逆にオレが雲南省での打ち込みを

 せずに、〇ワイパー時代のままの発音だったら、奥さんは、、オレはもちろん

 房田のことも、疑惑の目で見たかもしれない、、やはり中越国境で10年間

 打ち込んでよかった、、カモフラージュになったかんな

 

 と言う訳で、我家にベトナム人、しかも女性が訪れてくるという椿事は終わった

 房田夫人が帰った後で、、急にメイドのマリアに< ボス夕食は何にしますか?>

 とタガログ語で聞かれて、オレは急に〇ワイパーから現実に戻ったんだ、房田も

 とうとう年貢を納めて良き家庭人になったんだ、、、それなのにオレときたら

 いまだに昔の夢→〇ワイパーを忘れられず ケバいオンナとばかり付き合って

 いる、オレって25年前、房田と出会った時から、精神年齢がそのままなんだ、

 もっともキンテツと言う同類は一人いるが

 

 

 

 

                     # 一生悟らんからな

 

 

 

 

                          ナナ