ん、オレの事 ?

 

 

 

 

    フィリピン在住、今は本当に少なくなったオレの友人Gさんが亡くなった

    今日は、彼の事、、思い出を語りたい、、で昨日、オレは宮崎学と浮本の

    いつもの3人コンビで、クラーク空港近くの日本料理店<千葉>でランチを

    食ったんだが、、その時、浮本から衝撃的な、一つの事実を告げられた、

    、と言っても、それはいつものような、オキニの一人がカネを持ち逃げして

    他のピーノのハンサムへパイレーオ、、ではなく オレと浮本の共通の友人

    だった、Gさんが、昨夜、つまり一昨日に息を引き取った、、という知らせ

    だった、、今まで何度もこのブログに登場したタイ語の<タイレーオ>とは

    こういう状態のことを言う

 

    で、Gさんの死、、なのだが、、じつはもう半年以上、体が思うように

    動かず、周囲は日本帰国を勧めたが、本人が固辞したため、結局はこの

    フィリピンで入退院を繰り返した結果、最後はアパートの部屋でフィリピン

    人介護人の夫婦に看取られた最後、、であった、、、だもんで、昨日オレと

    宮崎学も、その報を聞いた時も、、まったく晴天の霹靂というものではなく

    < Gさんにも、とうとうその時がきてしまった、>という、いわば諦めの

    ムードがあった、、浮本によるとGさんは、もうじき80歳の誕生日を、

    迎えるはずだった、という

 

    で故人の悲しみの話は、これくらいにして、、オレはGさんの生前の姿

    とくに若い時代の彼のエピソードがカッコいいので、それを紹介したい

    Gさんの現役時代の職業は、イタリア料理の職人という、このフィリピン

    そしてオレの出身校の、ジュライ、キャピトルでは見かけなかった風変り

    な前職の持ち主だった、、彼は戦後六本木にあった伝説のイタリア料理店

    で修業した後、、やがてイタリアに渡り、、そこで現地女性と夫婦関係

    つまりイタリア人の妻と、イタリアに長く住んだ経験があったそうだ、、

    しかし、このフィリピンに老後やってくる男の常識が、彼にも訪れて、

    彼は妻と離婚した後、、今度は6年間、、、南太平洋のタヒチに移り住

    んだ、、、そこで6年間過ごした後で、このフィリピンにやってきた、

    オレと知り合ったのは、その2~3年後の事らしい、、彼はイタリア

    料理の職人なくせして、和食が大好きで、、それでオレの投資先の

    日本レストランに通うようになり、、そこで客同士の関係で、彼は

    オレと友達になったというわけだ、、、

 

    ちょっと彼の履歴に触れただけで、いかに彼が、他の沈没フィリピン

    日本人やジュライ、キャピトルとは別次元、いや別の種類の男であった

    かが推察できるであろう、、、その彼の前歴人生と言うものは、一緒に

    刺身やそばを食いながらでも、オレとはヒジョ~に気が合った、彼の

    昔の話を聞くだけでも、、オレのよ~なアジアと南米のオンナばかりを

    放蕩した男とは、別ルートで世界を渡ったGさんの話は新鮮だった

    オレとは別の、やはり世界を股にかけた人生、昔だからそれがやれた

    よかった時代の伝説が、また一つ消えた、、Gさん、楽しい話を、

    いつも聞かせてくれてありがとう、、、、合掌

 

 

 

 

                   # オレも10年後、行くからな

 

 

 

 

 

                         ナナ