昔の壁画
今朝 起きたら、メイドが<ボス、門が開かない、>と言う、それで
窓の間から、玄関先の門の辺りを覘いてみると、、なんとマンゴーの
樹木の枝葉が折れて、、といってもそのサイズはデカく、長さで4m
幅で3mはあろうか、、それが玄関の門扉に,もたれかかるように、
被さって、つまり木が倒壊していたのだ、、
で、日本人の読者には、マンゴーの木と言っても、マンゴーの味は
知っているだろうが、それがどんな形で木に成って収穫されるのか
に、ついて知っている人間は少ないかもしれない、まあ東南アジアの
どこでも取れる産物とはいえ、それがどんな木になっているのか、と
いうのはあまり関心のある方は少ないであろう、、
で我家のマンゴーだが、、じつはこの木は古い、、なぜならオレが
まだ30代になったばかりの頃、、この土地を買いたいと当時思った
その理由が、四角い敷地のちょうど入り口の辺りに位置して、、
敷地を、広く日陰をもたらす格好の、この土地の構図がオレは気に
入ったんだ、、昔の話だ、、、、オレも若かった、ピナツボ山が
噴火する直前に、オレはこの土地を買ったんだが<正確に言うと
フィリピンで外国人は土地を自分名義にはできない、オレの場合は
50年間借地権で自宅として住んでいる>、、あの若き日にこの
土地を買って、それからもう33年くらい、オレはこのマンゴーの
樹の下で樹陰の生活と言うんをやってきたんだ諸君もフィリピンに
住んでみればわかるが、自宅が大きな木の陰にあるということが、
どれほど直射日光を避けられるということで利益が大きいかを、
知るであろう、、、
と言うわけで、この33年間、連れ込む、いや付き合うオンナは、
その都度変わったが、いつもオレは、この大きなマンゴーの樹の
下で打ち込み、いやピーナたちとの愛を育くんできたんだ、、
それが我家でずっと長い間オレのピーナいや人生への打ち込みを
見守った、このマンゴーの大木いや古木がついに、まだ倒壊は
していないが、、もう樹木の半分くらいが台風の際に枝が、、
もぎ取られたりを繰り返し、、とうとう今朝の姿は、若々しか
った、10年前の姿の半分くらいの樹影になってきた、この
マンゴー古木は、オレと一緒に同じ場所で半生を生きて来た、
そして今朝、とうとう樹木の3分の一の枝を落としてしまった
のだ、、
オレは かつてに比べて痩せ細ってしまった、いや幹の部分は
太くたくましいんだが、枝葉にまったくかつての勢いがない、
これが40年も生きたマンゴーの古木の姿なんだ、、で余談
だが、オレのお爺さんまでは じつは父の実家は福島県白河市
じゃ昔は有名な山林地主だった、、つまり林業を長く続けた家
だったってこと、、それでオレは子供の頃、父に聞いたんだ、、
<杉や白松で60年、堅木の欅や樫となると80年いや100年
も材木として出荷するためには 時を待たねばならない、>と
北方の日本では木が育つのに、50年、堅い木は100年も
かかる、、それほど日本の木は長生きなんだ、、ところがここ
フィリピンじゃこのマンゴーが地上15mの高さまで成熟する
のにまあ10年くらいで充分に大木になっかんな、オレの家の
マンゴーは日本に例えれば、樹齢300年の松くらいのジジイ
なんだ、、
オレはいつも、若い頃から、、<この庭のマンゴーがやがて、、
枯れる時が来たら、その時、オレの人生も終わるのかもしれない>と
なんとなくぼんやり予感してきたが、、いよいよ、その時が近ずいて
来たように思う、、オレ自身は、まだピーナに打ち込むほど気は
若いが、もう鏡で見る姿は、ガックリ来る、、かつてバッグを
背負って南米や中国を旅した時の颯爽さは、もう完全にない
なるべく鏡なぞ見ないで、若いピーナを抱いて老化を忘れるんだ
そして庭のマンゴーのように、、ある朝、ピーナのオッパイを、、
握りしめたまま、、息を引き取っているんだ
# こう死にたい
ナナ