始皇帝と大兵馬俑 | 圭祥ブログ

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長年、銀座にて「算命学」「手相」「方位」「自然医学」を通したカウンセリングで皆様にお世話になりました。
現在は残る余生をすでに80歳を超える夫との時間にあて、週に数日のみ出張鑑定を行っております。

 東京国立博物館にて開催されている、「始皇帝と大兵馬俑」展にやっと行く事が出来た。2月21日迄である。
 「永遠」を守るための軍団、参上。とある。
 もう10年ぐらい前になるでしょうか、主人が中国に行った折、あまりの感激から、この兵馬俑の埴輪のひとつを思い出として買ってきていた。私はお土産話では、そうな? 程度に聞いていた。しかし宣伝を見て、初めてのチャンスであるのと、歴史にも疎い私ですが、何千年もの昔から伝わる算命学を学んでいる者の一人として、中国の歴史の大きな部分をしめる秦国の事が知りたく、行きたいと思っていながら実現が出来ず、終わり頃になって、やっと行く事が出来た。

 この始皇帝と言う人物は本当にものすごい大人物 (当たり前そう思わない方が無知と言われそう)紀元前3世紀位 (秦国がまだ辺境の一小国だった) から王になり、周りのそれぞれの国々を制覇し秦が天下統一に向かって成長していく過程についての状況。 現在から約2000年位前の出来事です。その当時を物語る、青銅器・金銀器・土器を通して、戦国時代における、秦のダイナミックな歴史の展開に目を見張るばかりでした。

 あの壮大な幾多の国々を統一し、色々な法律を作り、優秀な人材の起用、制覇した国の優れた所を取り入れ (もしかしたらここでも戦略や、軍略、適材適所等のために算命学も取り入れられていたでしょう)  王になってから始皇帝となるまでによくもこんな昔からこの様な事が出来たものだと感心するばかりでした。同じ頃の日本は足下にも及ばないほどです。

 そしてこの兵馬俑は始皇帝の死後まで自分を守り死後の世界でもこの秦国を統一して行くことを考えての行動だったのには驚きです。
8000体にも及ぶ埴輪の人物大の大将始め戦闘員達、馬車 (自分の魂を載せる)、これらを地下に作られる壮大な土地。信じられないほどのスケ-ルです。

 これらを後世になって工事のため見つけた人はどんなに驚いたことでしょう。

 始皇帝が50歳で没するまでの業績の片鱗を想像する事が出来たような気がしました。
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