遅れている、ものみの塔2024年8月号の内容…研究記事32 中で印象に残ったのは放蕩息子の話。
この感動する話を、ものみの塔は酷い自己都合解釈で
放蕩息子 = 排斥(会衆から除かれた人)や断絶した人ではなく "不活発" の人に当てはめてきたけど
今回は違ってるように感じました。
続く研究記事33は…
忌避制度を撤廃するつもりはないということ。
排斥(会衆から除かれた人)一緒に食事はしないけど(親しくしない)表向きの挨拶等はOK。
(組織はこれまで、どちらもその根拠として聖句をあげていたけど、ひとつは維持、ひとつは捨てた。
組織にとって聖句はこの程度。
だったら、両方捨てればいいのに)
そして、復帰に何年もかかる人がいましたけど、復帰したい人にとっては復帰し易くなった感じです。
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ものみの塔2024年8月
研究記事33
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6節では、パウロがコリントの会衆に手紙を送って “数ヶ月" が経つと会衆の人達が悔い改め、行状や態度を改めたこと…
そして8節では
パウロは過ちを犯した兄弟を親切に許し、慰めるよう指示したと…
会衆は、許し歓迎していることを明らかにする…態度と言葉で示そうよ!みたいな感じなのかしら。
13節では
彼が除名されてから、まだ数か月しか経っていなかったけど懲罰によって悔い改めに導かれたことを考えると、会衆への復帰を遅らせることには何の意味もない…みたいなことを言ってます。
放蕩息子の例え話は、息子は断絶行為をしたのに、帰ってきた時にはまだ遠くに姿が見えるうちに父親が駆け寄って歓迎する話し。
それを組織は除名された人や断絶した人には当てはまらないとしてきたのに、復帰は数ヶ月でできる…ということを印象付けたいために、前の研究記事で学ばせたのかしらね…
結局、復帰を送らせても何の意味もないから、復帰は数ヶ月でできるようにする…ってことが言いたかったのかしらね。
14節からは、数ヶ月で復帰した人に対して、不満を抱かず歓迎するように大いに励まされてました。
そりゃそうだ、排斥されて復帰まで何年も完全無視されながら耐えた方たちからすると、数ヶ月で復帰できるようになったとしたら…気持ちは複雑だよね。
それを見越し、先手を打つために書かれてるのだと思いました。
しかし、忘れてはならないのが
あの最低最悪の忌避制度
挨拶と軽い会話と、集会等のお誘いはOKとなっても、親子で食事できないとか、冠婚葬祭に呼ばないとか、1番問題になってるところは変わらず…
信者を逃したくないのだろうけど、復帰しやすくしたのなら、辞める時もペナルティー科さず、やめやすくするべきじゃないの?
辞めたいのにペナルティーを科されるからやめられない人は多い。
たばこ、お酒、薬物、ギャンブル…
やめたいと思ってもやめられないものはろくなもんじゃない。
宗教もね。
なんか…変わらないね。
出て行く時には重いペナルティーを科す。
だけど復帰は楽にできるようにしても、はたしてこれでJWのイメージ回復できるの???
安全な宗教だと言思われるのかな?
私は忌避、避けることをやめない限り危険な宗教だということに変わりはないと思うわ。
今まで行ってきた悪事が晒されて、広く認知されるようになって、新しい信者が増えないし…
聖書レッスンに持ち込んで信者となるようマインドコントロールしバプテスマを受けた正式な信者に育てるには時間がかかる。
それよりは元信者を復帰させる方が手っ取り早い。
いやぁ…なんか組織の事情が見え隠れするのは私だけだろうか…?
今回の復帰緩和にしても
そもそも、結果的に裁いて除名するってどうなのよ。
……(o_ _)oパタッ