③ 部活をさせてもらえなかった エホバの証人の子どもたち | エホバの証人ぴぃ~たんのブログ...目覚めてしまった...

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“学校とエホバの証人” 最終回です。

 

エホバの証人の二世さんと話していて多いのが、部活をしたかったのにさせてもらえなかった…という声をよく聞きます。

 

エホバの証人の子ども達は、親から、組織から…

どんなふうに、部活をする権利を奪われてきたのでしょうか。

 

これも残しておきたいと思います。

 

 

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学校とエホバの証人 P23~25

課外活動

エホバの証人は,人生には単なる勉強や仕事以上のものがあると考えています。授業時間内のある程度の運動は体を鍛え,気持ちをさわやかにするものとなります。しかしお気づきかもしれませんが,大抵の証人たちの若者は学校で行なわれる課外活動に参加いたしません。このことに関する私どもの見方をご理解いただけるよう,次に簡単にご説明いたします。


証人たちの家族は既に,自分たちの行なう崇拝を中心とした活動計画を進めております。そして,親はこの家族中心の計画に娯楽をも含めるよう勧められています。親は子供たちの娯楽や催し物を取り決めたり,監督したりし,しばしば直接子供たちと共に参加したりするので,必要な監督が施されています。
 

 

 

時には,証人たちの二,三家族が一緒になって,さまざまな娯楽を楽しむことがあります。証人たちはまた,巡回大会や地域大会と呼ばれる大きな集まりに出席するため,毎年数回旅行をします。時には,そのような旅行の際,博物館や史跡その他,文化的興味のある場所を訪ねる機会もあります。それらの集まりで,若い証人たちは,自分たちの神エホバに仕える点で共に同じ目標を抱いている,他の地方の多くの若者たちと会い,互いに親しい交わりを楽しみます。


(外の交友、情報、を遮断し、交友を狭める。カルト宗教の特徴とされてるひとつ)

 



私たちは,とりわけ今日の人間社会の道徳的規準が低下しているのを見るにつけ,私どもの若者たちがこのような健全な交わりを楽しむのは大変重要なことだと考えております。エホバの証人は,「悪い交わりは有益な習慣を損なう」という聖書の警告を真剣に考えています。また,前にも注目いたしましたとおり,私たちはキリストがご自分の追随者に向かって,『あなた方は世のものではありません』と言われた言葉に従うよう努めています。(コリント第一 15:33。ヨハネ 15:19)下記の事柄を含め,学校の課外活動に対する証人たちの家族の見方はこれらの原則に基づいて形作られています


( 自分たち以外は、淫乱で常に頭の中はポルノでいっぱいの人たち、残酷で、犯罪者で、薬でラリってて、性病持ちで…どうしようもない人たちだと教えてることがよくわかりますよね。他に誇れるものもないのでしょうか…哀れな人たち)

 



スポーツ: スポーツによって得られる体の訓練は,私たちの益になります。しかし,聖書はこのことを釣り合いの取れたふさわしい位置 に置いて,次のように述べています。「敬虔な専心を目ざして自分を訓練してゆきなさい。体の訓練は少しの事には益がありますが,敬虔な専心はすべての事に益があるからです」。(テモテ第一 4:7,8)この助言と一致して,エホバの証人は授業時間中に行なわれる体育の教科もしくは科目の価値を評価しております。



しかし,それと同時に,証人の親たちは学校でスポーツに強調が置かれ過ぎる場合があるとも感じております。したがって,子供たちを訓練するに際し,親は体育の成果をあまり強調し過ぎることのないようにしております。親は子供たちが運動選手としてではなく,神の奉仕者としての仕事を生涯追い求めることを願うよう望んでおります。ですから,証人の親たちは自分の子供たちに,あるスポーツで抜きん出るよりもむしろ,おもに霊的な関心事を追い求めるために放課後の時間を用いるよう励まします。


(子どもには何を求めてるのかよくわかりますよね。子どもはそうではなく、部活をしたかったら?

 

霊的なことを追い求めるため放課後の時間も使うように励まします…

 

はいはい、JWお得意の励ましという名の圧力ですね。鞭をちらつかされてはいうこと聞くしかないじゃない)

 



組織化されたスポーツに参加すると,証人の若者は不健全な交わりにさらされるようになる場合がある,と私たちは考えています。私たちはまた,現代のスポーツの競争心 ―『勝つことがすべてではないまでも,勝つ以外にはない』という観念 ― は有害な影響を及ぼすものであると考えております。ですから,証人の若者たちが余分の娯楽の必要を感ずる場合,親は,仲間の信者と共に,そうです,「清い心で主を呼び求める人々と共に」そのような娯楽を求めるよう若い人たちを励まします。―テモテ第二 2:22。


(完全にスポーツの世界を舐めてますね。スポーツの世界って厳しいんですよ。仲間を思いやる気持ちも、礼儀もね。変な遊びをしてる時間すらないんですよ。偏見でものを言うのはおやめになったら?みっともない)




応援団: 運動競技の試合で観衆を指揮して母校のために熱狂的な声援を送らせるのは応援団の務めです。応援団はまた,人々を励まして英雄崇拝を行なわせたり,人々を起立させて校歌を歌わせたりします。そして生徒たちは皆,一団となって校歌や応援歌を歌ったり,学校や個人をたたえる言葉を叫んだりします。エホバの証人はそうするのはふさわしいことではないと考えています。―ローマ 1:25。使徒 12:21-23。
 

 

( 個人をたたえるのは相応しくないって…

統治豚を神のように崇め奉り、盲目的に従って、賛美の歌まで歌っちゃってるのは、どこのどいつだい?)

 

 

 

学校のクラブ活動: 同じ趣味を持つ生徒たちは学校のクラブの部員となって趣味を共にしたいと思うかもしれません。しかし,そのようなクラブはおもに社交的な活動の場となる傾向があります。そして,特定の生徒のグループとそのような活動を共にすると,不健全な影響にさらされる場合のあることが注目されています。

 

そのような可能性を考えて,私たちは,学校のクラブ活動または部活動(課外クラブ)に加わる前に注意深く考慮しなければならないと感じております。


 証人の若者たちやその親が考慮したい重要な質問は次のとおりです。クラブ活動は学校の授業時間内に限られていますか。クラブ活動は学校の注意深い監督を受けていますか。クラブに入ると,家族あるいは会衆の活動でより良く過ごせる放課後の時間が取られるようになりますか。結局,何かのクラブ,あるいは学校の組織に子供たちが加わるのを許すかどうかを決めるのは,証人である親の責任です。



( 許すかどうかを決めるのは親の責任…なんて書かれてあるけど、実際に部活をした方もさせてもらえなかった子は圧倒的に多いのです。

 

本当はどんな部活がしたかった?って話で盛り上がるくらいです。

 

マイコンの親は部活動に否定的な組織のは提案を丸呑みするに決まってるじゃないですか。特別物分かりの良いJWを親に持たない限り許してもらえないんですよ。

 

子どもに選択させる、子どもに決める権利はないのでしょうか…だとすると強制ですよね)

 




学校の演劇: エホバの証人は演劇それ自体に対して何ら異議を唱えたりはしません。聖書に基づく劇は私たちの地域大会のプログラムの出し物の一つとなっております。しかし,証人の親たちは子供たちが学校の演劇に参加するのを許すかどうかを決める前に,幾つかの要素を考慮いたします。例えば,劇の中で描き出される事柄は聖書の原則と調和していますか。証人の若者たちは聖書が非としている道徳規準を容認する劇には参加いたしません。さらに,練習に要する時間,それに不健全な交わりを持つ可能性などの問題もあります。ですから,証人の若者たちが劇に参加するかどうかを決めるに際して,親たちはこれらの要素を注意深く考慮いたします。



献血その他の寄付: 多くの学校では生徒が時々いろいろの目的で寄付をするよう求められます。時には,小中学校は別として輸血に用いる目的で献血を行なうよう求められることがあります。しかし,『血を避けなさい』という聖書の命令は,血は食べてはならず,また他のどんな方法でも用いてはならないという意味であると私たちは理解しています。したがって,良心上の事柄として,私たちは血を与えたり,あるいはもらったりいたしません。―創世記 9:4-6。レビ記 17:10-14。使徒 15:19,20,28,29。


(エホバの証人は血液の分画を使うことは許されてる。その一人分の分画をつくるのに、数人分の献血何必要なのに、自分たちは分画は使用するけど献血しないという、自己中極まりない考え。

 

正式な信者ではない子どもが事故にあって、助かる方法は輸血しかなかったのに…

死にたくないと子どもは訴えたのに…親は輸血拒否して殺した。こうゆう事ができるまでに人の心を失う怖い宗教)



ある政治運動を促進するため,あるいはある宗教的な祝日もしくは祝いに関連してお金が求められる場合,この冊子の初めのほうで論じられた理由から,エホバの証人は寄付をいたしません。また,私たちは宝くじ,運任せの勝負事,その他のどんな賭博行為にも加わるようなことをいたしません。しかし,寄付すべきかどうかを事情に応じて個人的に決定できる他の領域もあります。例えば,学友がけがをしたり,あるいは病気になったりして,お花あるいは他の贈り物を買い求めるための寄付が行なわれる場合,そうする余裕があれば,証人たちは喜んでそのような贈り物をすることにあずかります。―使徒 20:35。

 

 

※ ( ) 内感想

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エホバの証人の子どもたちが、宗教にがんじがらめにされているのがわかりますよね。

子どもが望んでるなら、何も言いませんけど、鞭でコントロールしてましたからね。

 

 

あれもこれもそれもできません!!

 

 

できない理由を、証言の機会と考えるJWの親は、ここぞとばかりに、先生やクラスメートの前で証言させようとする。練習までさせる。

 

 

みんなの前で証言するのが嫌でしなかったら、ちゃんと証言できたか、先生に確認して、できなかった事が分かると鞭されたという経験も聞きました。

 

 

私の司会者も自分の子ども達に、そうさせていました。

 

 

礼儀正しく頭もいい子でした。

JWでなければ、将来楽しみだった子だと思います。

だけど、学校証言させられために、からはメートに意地悪されるんだと…

 

 

どうして子ども達にまで、いろんなものを求めるのでしょう。

 

 

これまで “学校とエホバの証人” の小冊子の内容について、三回に分けて書いてきました。

 

 

JWの子どもたちは珍しい、よっぽど平衡のとれた考え方ができる親でない限り、自由に選択できなかった。

 

自由に選択できると見せかけて…

 

エホバを愛しているなら…

〇〇したいと思うはずです

〇〇したいとは思わないでしょう

エホバはどう思われるでしょうか

自由の誤用です (組織とは違う決定をすると)

 

 

自由に選択できるようで選択できないという言葉の魔術を使う組織。

 

 

 

 

いろんなものを,その小さな背中に背負わされ、強制されていることを、知ってほしいと思いました。

 

 

そして、子どもの権利を奪うのも虐待のひとつとして扱ってほしい。

 

 

こんなことを我が子に背負わせたいですか?

 

嫌ですよね。

 

 

だったら最終目的は宗教勧誘である、カルトの入り口…聖書レッスンはお勧めしません。

 

 

タダより高いものはありません。

 

 

組織の独自解釈ではなく、本当に聖書を学びたければ正統派の教会へ行って牧師さんや神父さんに教わってください。

 

 

大切な子どもの可能性を、未来を、守ってあげてください。

 

 

カルトの餌食になる子ども達を見るのはもうたくさん!!

 

学校とエホバの証人…完