なかなか進歩しない私にしびれを切らした司会者が、今までいろいろ学んできたよねぇ…ぴーたんは、エホバを選ぶの?サタンを選ぶの?と真剣な顔をして迫力満点に詰め寄ってきた
終わりが近いとか、ハルマゲドンとか、地上の楽園での永遠の命とか、教理は信じていなかった。
だけど、
エホバはいるとは思っていたし、組織はどんなに都合が悪いことでも、たとえ自分の立場が悪くなろうとも絶対に嘘をつかない…そう教え込まれ、それを信じてしまっていた愚かな私。
グレーゾーンだらけ、嘘もつく、欺く…
“言うこと弁護士、やる事詐欺師“ の組織を光の使いのように思ってしまっていた。
だから、エホバかサタン…どっちを選ぶの?
なんて言われたらそりゃそりゃねエホバって言うに決まってるじゃん
で待ってました!と言わんばかりに、だったら…ってことであっという間に話が進んで、神権宣教学校→伝道者→バプテスマ まで、一気に進んでしまった。
教理を全部信じてない私…そんなわたしがバプテスマだなんて…
悪い人は全身が水に浸からないってゆう都市伝説も本当だと信じていたおバカなわたし…
わたしのバカっぷりは↓
会衆ではバプテスマを受けると、次の集会の時は凄いラブシャワーを浴びる…そして
集会が終わって発表され
ステージに上がってインタビューを受ける。
そこまでだな…チヤホヤされるのは…
研究生の時は、いろんな兄弟姉妹が近付いて来ては、
集会に出席した、コメントした、割り当てをした…など、何か褒めるところを見つけては
『ぴーたんさん、よく頑張っておられますね〜励まされますぅ』と言ってくれる。
ハッキリ言って、褒められることなんてなかったわたしは…嬉しかった。
ラブシャワーも、正直、嬉しかった。
だけど、バプテスマを受けると
集会に行っても、よくいらっしゃいましたーー💕
なんて事を言って出迎えてもらえるわけでもなく
集会が終わってもわざわざ近寄って来て話してくれる人も少なくなって…
だいたい奉仕嫌いのわたしは、集会が終わって奉仕の話で盛り上がったりしてる和には入れない。
すっごく親切に迎えていてくれた人達の態度が明らかに変わってしまいました。
バプテスマを受けた信者は、新しいカモを迎える立場なので、自分が受けていたおもてなしを今度は自分がする立場になる。
もう、あんなに嬉しい気持ちにはさせてもらえない…という現実。
会衆にとって、研究生は宝
躓いて、研究をやめたりすることがあれば、躓かせた方は血の罪を負う…と教えられてるから、みんなで持ち上げ褒めちぎる。
元JWには褒め上手な方が多いように思う。
何か見つけて言葉巧みに褒める…やはりそうゆう言葉を幼い頃から聞いていたからなのかもしれない。
変わってしまったのは、それだけじゃない。
求められるものも、圧力の掛け方も、研究生の時とは比べ物にならないほど変わった。
1番圧力をかけられるのは、もっと奉仕をするように…ということ。
そりゃ…あの手この手で圧力をかけてきます。
2番目は、生活のこと。家計の事ににまで入ってくる。働くことがまるで悪のような扱い。
何か気に入らないことがあれば、嫌味のように過去の出版物を持ってきて読むように言ってきたり
好きな音楽も聴けない、好きなお洋服も着れない、持ち物についてるキャラクター、服についてるロゴやマークにまで嫌味を言われ
働いたって、何日働いてるの?どうしてそんなに働いてるの?などなど、嫌味に耐えないたいけない。
それに、バプテスマを受けたか受けないかで全然違うのが、忌避。
研究生、伝道者、信者、この3人が全く同じ事をしました、そして反省ぐあいも全く一緒だとすると…
研究生は大目に見てもらえる
伝道者は伝道者ではなくなりましたという発表はあるけど忌避は無し。
信者は、エホバの証人ではなくなりましたと発表の後、親も子も関係なく信者全員から忌避されます。
変なのぉーー‼︎
なんですかこれ?
だったら、バプテスマ受けない方が全然いいじゃん‼︎
研究生でいるうちが花ですね‼︎
JWのバプテスマを受ける受けないは本人の自由ですけど、私はお勧めしないです。
組織は、子どもや若い人に早くバプテスマを受けるように煽り急かしますけど、それは…
子どもや若い人がこれから先、やめたくてもやめられないようにする為に、早く “忌避という足枷” をつけようとしているようにしか思えない。
実際、忌避があるから親との関係も断たれてしまうから、やめたいのにやめれない現役の証人はたくさんいらっしゃいます。
心なんてどうでもいいんですよ。
信者として逃がさない、囲っておきたいだけ。
親子を関係を破壊する忌避、そのことがどうゆうことなのか、経験不足で実感できない、子どもや、若い人達は特にお勧めしないです。
無料の家庭聖書レッスン…正確には
無料のものみの塔解釈レッスン。
タダより高いものはない…
……(o_ _)oパタッ