稀なケースを取り上げて、勘違いさせるの発やめてもらえます?
そういえば……少し前に
排斥されて
↓
復帰して
↓
再び活発に
↓
模範となるような生き方をしていて
↓
排斥の取り決めが愛のあるものであるという確信と、この懲らしめから個人として益を得られたことをはっきりと伝えることができる人
…そんな経験を持ってる信者を探していると聞いた事があるんだけど
それが本当だとしたら…
探さなきゃ出てこないような経験は、稀な経験、稀なケースだと思うんだよね。
なんか、よく出版物に載ってる、 凄い経験…JWとしてお手本の様な経験…優等生の様な経験…
それが本当の体験だったとしても、そんな風に行動できる人ってどれくらいいるんだろ?
不思議に思ってたんだよね。
考えてみたら、現実離れしていて、出版物に載ってる体験談を身近なものには、なかなか感じられなかったんだよね。
稀な経験をあたかも常に見られる経験のように語ろうとしているなら、そういう事はやめてほしいなぁ
だって、そんなやり方ってさぁ〜
人を勘違いさせる方法だよね。
欺くやり方だよね。
ネットで多い拡大広告を載せるような会社がやってるような事でしょう?
思えば、稀なケースを
よく使う手だよね。
出版物だとか、ビデオなんかで語られたり、見せられたり…
自画自賛の組織の一方的な情報だけを見たり聞いたりするように…
外部の情報は背教者の嘘が蔓延しており、信用ならないからと外部の情報を遮断するのも…
悪い影響から身を守る為と聞こえのいいことを言いつつ実は
信者になった者を逃がさない為なんじゃない?
所詮、信者の人生なんて組織の養分でしかないってことなのかな…
だから事件に巻き込まれ命を落としても “知らなかった” と簡単に切り捨てることができてしまうのかも。
他の信者に発表、注意喚起すらない。
どんなに長年頑張っても、組織やアブラーズ大明神への不満や疑問を口にしたら
あらやだ…
簡単に背教者だ!って切り捨てなんだろうね
同じ人生をかけるならさぁ…
都合が悪くなったら捨てられるものより、個人を宝物のように大切に扱ってくれるものがいいね!