ものみの塔は1968年当時
臓器移植は人食い行為であり、そんなことはエホバがお許しにならない…と教えていました。
↓臓器移植がなぜいけないか…当時のものみの塔の見解
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ものみの塔 1968年4月1日号 p222、p223
~~なぜ臓器移植はいけませんか~~
……人間は動物の肉を食べ動物の命をとって人間の命を支えることをを神に許されました。
人肉を食べること、生体、死体を問わず
別の人間のからだまたからだの部分にょって命を支えることは、その中に含まれていましたか。
含まれていません。
それはすべての文明人が忌み嫌う人食いの行為です。
……他の臓器を移植すること…この種の手術受ける人は他の人の肉によって生きることになり
それは人食い的です。
エホバは…他の人からとられた器官あるいはからだの一部を移植するにしても
人食い的に人の肉を体内にとり入れて命を保たせる行為を許されませんでした。
………臓器移植手術は…科学的なものであると論ずる人がいるかもしれません。
しかしたとえ正当化されてはいても、このような医療が結局のところ人食いに等しいものであり
それ以上のものではないことは明らかです。
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移植を人食いの行為だと言い切り
エホバは人食い的に人の肉を体内にとり入れる行為を許されなかった
許されない…そこまで断言していることをやっても排斥にはならなかったっけ?
それはないよね。えほばが許されないことをやっちゃたら…
ものみの塔式、エホバの証人の一方的な密室裁判にかけられ排斥だよね
人の命に関わる事に関し、ここまで断言しといて
どれだけの兄弟姉妹が移植を許されないことで亡くなったのだろう?
人の命に関わることを断言して言っておきながら、ころっと変わる。
ものみの塔の特徴をよく表してるのが↓
ころっと掌返し…移植できず亡くなった兄弟姉妹もいるでしょうに…
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ものみの塔 1980年6月1日号 p31
他の人間の組織を受け入れることをはっきりと禁じている聖書の命令はありません。
そのわけで、この問題について決定を迫られる人各々は、物事を注意深く、祈りのうちに考慮し…
良心的に定めなければなりません。
それは個人的に決定を下す問題です(ガラテア6:5)ある人が臓器の移植を受けたとしても、
会衆の審理委員会hs懲戒処置を取らないでしょう。
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へはっきりと禁じていない?
個人的ん判断
あれ
移植を人食いの行為だと言い切り
エホバは人食い的に人の肉を体内にとり入れる行為を許されなかった…と教えたよね?
それに…聖書ハッキリ書いてなくても、ものみの塔はダメだと教え、やっちゃうと排斥や強制に断絶扱いして霊的死刑を執行しちゃうよね。
例えば…
輸血も、タバコも…聖書にハッキリ禁止と書いてないよね。
だったら、輸血だって、タバコだって、献血だって…個人的に心の決めた通りにしてもいいんじゃないの?
どうして臓器移植だけはいいの
しかし……
コロコロよく変わるよね。
預言にしても、解釈にしても…
人生を大きく左右する事柄であっても…
命がかかる事柄であっても…
コロコロ変わる。
臓器移植にしたって
血液の分画使用にしたって
はじめから個人の決定だと決めていたら、助かった命がどれだけあるのだろう?
それだけ…
組織にとって信者の命は軽いんですね!
(2022.5.17初)