ものみの塔式の考え方では、間違いを認めたら偽預言者にはならないそうです。
どんな大きな嘘をついても、嘘を認めたら嘘つきにはならないって事?
だったらエホバの証人が蔑む世の人々の方が誠実ですね。
ものみの塔の偽預言では、たくさんの信者が振り回され、仕事を辞め、家を売り、結婚を諦め、子どもを諦め、進学を諦め、ものみの塔が出す預言と出版物で推奨する良い生き方を信じ、行動した兄弟姉妹は多い事でしょう。
偽預言に次ぐ偽預言…
結果、間近に迫る終わりの日とゆう名の人参をぶら下げられた馬のように、走らされ、走っても走っても、鞭打たれ走り続けても人参にありつけることはない。
いわゆる、終わりがくるくる…くるくる詐欺ってやつですね。
偽預言者の見分け方について、ものみの塔はこう書いてます。
論じる P351
『真の預言者か偽預言者かは、預言者の生活の示す実と預言者に従う人々の生活を見れば分かります…偽預言者の生活の…特徴…淫行、汚れ、みだらな行い、偶像礼拝…ガラテア5:19ー23』
あれ? ココなんですか?
いやいやいやいや…違うでしょ!
1番わかりやすく、聖書に真の預言者か偽預言者か無分ける方法がズバリ書いてあるのは
申命記18:20~22 でしょう!
ただし、その預言者がわたしの命じていないことを、勝手にわたしの名によって語り…その預言者は死なねばならない。あなたは心の中で、「どうして我々は、その言葉が主の語られた言葉ではないということを知りうるだろうか」と言うであろう。その預言者が主のみ御名によって語っても、そのことが起こらず、実現しなければ、それは主が語られたものではない。預言者が勝手に語ったのである……(新共同訳)
偽預言者のものみの塔が、シレーっと偽預言者について語るのも腹が立つけど、もっと腹が立つのは、自分たちが偽預言を語っておきながら、まるで他人事のようにスッとぼけ、その上に信者に対する愛のなさ。
論じる P352
『…証人たちも時には間違った期待を抱いた事があります…………証人たちが認識し、公に知らせてきた聖書の重要な真理と比べれば、それほど重要ではない事柄でした……
間違いをしたのは事実だけど、それほど重要ではない事柄でした。
はぁ?
人生をかけた信者もたくさんいたんだよ!
人の人生を大きく左右する事が、それほど重要ではない?
組織にとって信者ってなんなの?
やはり利用するだけのもの?
ものみの塔のコロコロ変わる偽預言。
主なものとして…
1914年にこの世は終わる(終わりが来ず、1914年は王国政府が設立された。イエスが王として即位したと変わった)
↓
1941年にハルマゲドンに突入し終わりが来る。
↓
1975年にこの世は終わるから、進学は無駄になる、仕事を減らせ、家を売れ…それは良い生き方です。
↓
1914年に戦争を見た者が死に絶えないうちに終わりが来る。(てことは、もう少しって事がわかるよね… そんな時に進学、結婚、出産、してる場合なの?してる場合じゃないわよね…の圧力)
↓
1914年に赤ちゃんだった人も含まれる!という新しい光が!でも、もう間近である事に変わりはないわよ!(しかし当時、赤ちゃんだった人も無理になってきた)
↓
二つの重なる世代だから~ ???
これだけのことを語り、信者を弄んだ。組織から出される預言を信じた信者……
若かった者が年配になり、蓄えもなくわずかな年金生活を余儀なくされ、人生を厳しいものにさせられた信者はお多い。
そんな兄弟姉妹を見てきた。とてもいい人なだけに、組織に対する不満は大きくなった。
普通なら良心が痛むでしょう。
ものみの塔 1973年2月1日号 P68
……クリスマスを一時祝っていたこと…上にある権威はエホバ神とイエスキリストに適用されると解釈しました……
まちがいをすることをこのように認めるからといって、エホバの証人は決して偽りの予言者としてのらく印を押されているわけではありません。
なぜなら、偽りの予言者は自分がまちがいをする者であることを認めないからです。
エホバの証人は間違いを認めたので偽りの予言者ではない!????
間違いは事実だけど、それほど重要ではない事柄だった?
人の人生を振り回しといて?
はぁ?嘘でしょ!嘘だと言ってよ!
人生を無駄にしてしまった人も、いろんな可能性を諦めた人も、経済的に窮地に立たされた人も、たくさんいるんだよ!
時間は巻き戻しができないんだよ?
取り返しつかないんだよ?
何言ってんの?正気なの?悪魔なの?
人って、ここまで冷徹になれるものなの?
責任感のかけらも、ありゃしない!
1975年の秋に終わりが来ると予言し、数年で終わりが来るから進学は無駄、あなた方が年配に達することはない、仕事を減らし、家を売り、奉仕するのは良い生き方です。なんて言っときながら…信者の人生計画を無茶苦茶にしといて
それほど重要ではなかった?
良心を持たない悪魔は、責任感も、罪悪感も、なく楽ですね。
いや…悪魔もびっくりかも
預言や、教理をコロコロ変えておきながら、こんなことも言ってます。全く己が姿を理解できていない…
ものみの塔 1988年2月1日号
“内面的な平和をもたらす知識”
…「わたしはカトリック教徒として育てられ、大学在学中はメソジスト教会に通い、ユダヤ教の青年とデートし、ルーテル派の人と結婚しました。『時代と共に変わり』続けるこれらの宗教には、どうしても満足できませんでした……
だとしたら、時代と共にコロコロ変わる教理、コロコロ変わる偽預言、を繰り返す “ものみの塔”は何なのでしょう?自分達の姿は見えませんか?
ものみの塔の特徴的な事の一つ、自分の事は棚に上げ 他の宗教の事ばかり取り上げるのはやめたらいかが?
見苦しい。
お話にならないわ。
怒りゲージ MIN ■■■■■■■■■■ MAX
o(;-"-)○☆パンチ!!
けむけむぅ~~こんにヾ( ̄〓 ̄ヾ)ちゅ~~~
って、思ったけど…
私が勿体無いのでやぁ~~~めた
お手柔らかにね
君がとっても可愛く思える今日この頃…