その形状のために上陸することは困難であるが、1972年に早稲田大学の学生が上陸、登頂に成功、ほか2003年にもロッククライミングで登頂した例などが存在する。(ただし転落事故も記録されている)。2018年5月には増本亮他、NHK専門カメラマン2人、クライマー1人の計四人が上陸に成功している。

 

2003年に登頂した方はブログを残しています。(引用)

 

うねりの底と頂上の落差を、現地では 4~ 5 m と推視したが、写真で測るとその倍はあったようだ。つまり8〜10m??? そんなに波のうねっているところにゴムボートで乗り付ける決死の覚悟が意味不明。いや、厳密に言うとぼくも昔登山部だったからロッククライミングの楽しさは分かっているつもりなんですが、そこまでして登るか???孀婦岩(そうふがん)に登るためには波がうねっている中、ゴムボートで近づき岩にしがみつく。次のうねりが来る前に岩をよじ登らないと海に引きずり込まれてアウト。

 

周辺は航海の難所ながら、豊かな漁場として伊豆・小笠原漁民に知られる。また、高い透明度と豊富な魚影からスキューバダイビングの聖地とする人も多い。

歴史

 

「孀婦岩(そうふがん)」について初めて確実な記録を残したのは、イギリス人で元海軍大尉の「ジョン・ミアーズ」であった。彼は交易のため二艘の船団でマカオを出発、ミンダナオ島を経て北アメリカに向かう途上で「孀婦岩(そうふがん)」を目撃した。「ミアーズ」の記録によると1788年4月9日、彼は初めてこの岩を目撃し「その岩に近づくにつれ、我々の驚きはより大きくなった。船員たちは何か超自然的な力が、この岩の形を現在の形に突然変えたのだ、と強く信じたがっていた。」と書き記した。

「ミアーズ」は、この岩をその不思議な形から、旧約聖書の創世記19章26節に記された、神の指示に背いたために塩の柱に変えられてしまった女性に見立てて「Lot's wife(ロトの妻)」と名づけた。日本語文献では1885年の「寰瀛水路誌」に初めて「孀婦岩(ロッツワイフ)」の名が現れるが、これは「Lots wife「やもめいわ」と意訳したもので、やがて音読して「そうふがん」と読まれるようになったと考えられる。書に由来することが確定している日本の地名は珍しい。戦後、1952年(昭和27年)2月10日にトカラ列島が本土復帰するまでは、事実上日本最南端の地になっていた。「孀婦岩(そうふがん)」は伊豆諸島最南端の岩である。所属市町村未定のため東京都の直轄となっており、東京都総務局の出先機関である八丈支庁が管理事務を行っている。日本の気象庁により活火山(ランク未分類)とされている。周囲にほんとうに何もないのがこわいのです。アホウドリの生息する無人島「鳥島(伊豆鳥島)」まで76km。そこまで何もないのです。東京からの距離は約650km。東京~広島間の直線距離とだいたい同じくらいなのです。八丈島から直接行っても20時間程度かかるとか???