ずいぶん前に撮った写真と書いた文章なのだけど。今も同じ思いがする。
単身赴任に出発した時も、地震があった先に行った時も、どこか少しは覚悟があった。
いつも、これが交わす最後の言葉になるのかもしれないって。
最後に交わせた言葉は二人だけの秘密にしておこうと思う。
写真撮るのがヘタクソな私の、この1枚だけは自信作なんだ。
人間に見えるのは今だけ。
私の腹を蹴っていた、あの子は確かに私の腹の中にいた。今はもう私の腹は出ていない。
家からも逃げ出し、誰彼かまわず噛みついた、あの子は野生の生き物のようだった。そんな時代は今は見えない。
「わたしのだーりんなの!ママがパパって呼びなしゃい!!」と泣いた、あの子は今「私はママと違って面食いだから」とすまし顔で言う。
何時間もかけて作ったたくさんのおもちゃを、壊されても壊されても、怒りもせずに黙って直し続けたあの人は、
おいしいか?うん!って会話のために、何時間も幼児と出かけたあの人は、
今は、子供と仲がいい父親、とだけ、見える。
娘と、息子と、仲良くなるために、あの人が費やした努力と時間。過去は、見えない。
私の記憶の中には確実にあるけど。
今だけを見るのなら。
今日、息子は、あんなに嫌いだと言っていた級友に、絵が上手なんだ、と長所を見つけたと話してくれた。彼が「父親をブッ飛ばしてやりたい」と言った気持ちも、彼から事情を聞いて理解し、乱暴なことするのも分かるけどな、って言った。12年前、学校のことなど今から考えなくてもと言葉を濁した医者に見せてやりたい。
昨日、娘は、忙しい日々の休日を私と過ごし、弟を迎えに散歩に一緒に行ってくれた。弟がこんなじゃなければ、私はこんなに苦しくないと、吐き出すように泣きながら言った、あの日の娘に見せてあげたい。
あんなことがあったから。今の私たちがいる。泣いたり怒ったりしたけど、それがあったから。
過去は見えない。痕跡が残るだけ。
未来も見えない。何かを目指すだけ。
2011.1017