2010年のHPより 大阪で最後の写真展 そして… | なにわのブレッソンのブログ

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基本的にはFacebookに投稿していますが、やっていない大阪の知り合いや友人に読んでもらえるよう、アメブロにリンクを転載しています。主に東北の震災や移住後の生活を綴っていますので、関心ある方はお読みください。

懐かしいページが出てきました。故河島英五さんの言葉『傷つくことを恐れて何もしない善人でいるよりも、批判されてもいいから、自分は行動する偽善者でいたい』阪神淡路大震災後のチャリティーで英五さんが語った思いで、それが俺の生き方の道標になりました。震災前に断筆宣言ならぬ断写・断作品宣言し、最後の作品展を開催、すべての展示作品を手放し、癌で闘病中だった友人のチャリティ基金にしました。エミコさんは、その後14年経ってもまだ生きてくれていますが、写真展会場でギターを弾いてくれた盲目のギタリスト・服部こうじさんは昨年急逝。彼の命日には追悼の写真アルバムが製作されます。今回の能登半島地震のことばかり考えていましたが、懐かしい記憶が蘇りました。俺はあの時の気持ちを忘れていないか。再確認し自分に問いかけています。

心ある方、お時間許せばお読みください。大阪時代から長文です。すいません。

 

この投稿をしたのが2010年9月。その半年後に東日本大震災。2年後には大阪府を退職し宮城へ移住。紆余曲折、波乱万丈の50代となりました。懐かしいという感慨よりも、現在の能登半島地震の惨状に心が傷み気持ちがざわざわしています。アメブロの投稿も混乱しております。心情をご理解の上、飛ばし見しながら関心ある方だけお読みください。

 

 

<HPより一部抜粋転載>

茶臼山画廊写真展にお越し下さった皆様へ

作品展終了後の後片付けや希望作品の送付作業に手間取り、お礼が大変遅くなりましたが、何とか目途が立ちました。この度は、遠方よりのご来場並びに温かい励まし本当にありがとうございました。みなさまに応援され、たくさんの方々に見ていただくことができたことは、私の大きな自信と財産になっております。

相変わらずバタバタしていますが、涼しくなったお陰で(それ以上に皆さんからいただいた激励・温かい励ましで)私は元気です。これからもよろしくお願いします。

お礼の言葉に代えて作品展終了後に読み上げた原稿を添えます。内容は一部変えていますが、私の思いが伝われば幸いです。取り急ぎお礼と作品送付まで。

2010年9月吉日 川谷 清一 拝

本日は、お忙しい中、たくさんの方々に来ていただき、本当にありがとうございました。お陰様で、無事に作品展を終えることができそうです。

会場をお貸し下さった画廊の吉田良男先生、開館と同時に奥様が病気に倒れられ、大変な時に、昔、同じ学校にいたというよしみだけで、タダで貸してくださいました。しかも素人の作品展に3階までびっしり飾らせていただき、感謝しております。お名前どおりの人の良さに、今後、この画廊でちゃんと稼いでいけるのか、ちょっと心配もしています。

文化創造倶楽部写真講座のみなさん、たくさんの向日葵の写真に囲まれ元気が出ました。私の写真よりも、たくさん売れていましたね。ちょっと悔しかったです。それにしても見事な力作ばかりで、よほど講師の教え方が上手いのかと思いましたが、これは中島さんが一枚一枚苦労して50枚もプリントして下さったお陰です。展示方法、見せ方も素晴らしかったです。本当にありがとうございました。

そして、何よりも、東京からわざわざ駆けつけてくれた富士丸さん、こうじさん、いつもどおりのパワー溢れる、ちょっとあぶない、そして楽しいステージ、会場のみなさんと堪能しました。一昨年、初めて名古屋の大須で富士丸さんを見たときの衝撃を思い出します。あれから2年、こんなに濃いお付き合いをさせていただけるとは思いませんでした。本当にありがとうございます。

作品展開催が決まってからの2ヶ月間は本当に楽しかったです。これまでに出会った方々、ちんどん屋さん、ミュージシャン、落語家、漫才師、俳優、ダンサーなどなど、ステージに立ち、表現することを生業とする人たちの姿を撮る作業は、緊張もありましたが、楽しい時間でした。そして、その写真を一枚一枚、ああ、これはあの時の、この写真はあの場所で・・・と懐かしく思い出しながら額に入れていきました。これまでの人生で一番うれしかった2週間でもありました。ここにおられない方々も含めて、この場をお借りしてお礼を言わせてください。本当にありがとうございました。

今回が最後の作品展と決め、11年続けてきて一回も更新を休んだことがなかったHPやブログを閉じてしまいましたが、これはちょっと後悔しています。会期中に新聞に載せてもらったお陰で多くの方に来ていただけましたが、作品がタダでもらえると思って、いっぱい予約札が貼られました。最終日には売り尽くしバーゲンセールのような混乱の中、こちらが気がつかないうちに何点もの作品が無断で持ち出されたようです。お世話になった方にお渡ししたかったのですが、それが叶わず残念でした。どうかお許し下さい。作者としても、気に入った作品とお別れするのは辛かったですが、闘病中のエミコさんに皆さんから頂いた寄付金をお送りすることができます。皆様から寄せられた募金額は119,511円になりました。本当にありがとうございました。「何もしない善人でいるより、批判されても良いから一人の人間を助けることができる行動する偽善者」(河島英五さんの言葉)を目指した私の最後のエエカッコにお付き合いくださり感謝しております。エミコさんから会期中に届いたメールを読む限り、闘病生活の治療はかなり厳しい状況だと想像しますが、きっと、また元気な顔を見せてくれると信じています。地球一周を成し遂げた彼女の精神力を信じます。信じることと祈ることしかないけど、自分にできることをしようと思っています。

親父が過労死した年まであと2年になり、年中夢中を続けるのもしんどいかなと思い始めた矢先だったので、これも、少しゆっくりしろという、天国からのお袋や柔道の恩師・福重先生、19歳で亡くなった高校時代の友人・清川、写真を始めるきっかけになった大学時代のテニス仲間・松本さんからの贈り物だったのかも知れません。とにかく休むということを知らずに走り続けて来た人間なので、電源をオフにして充電することなんてできるのか不安もありますが、休息だけでなく「メンテも必要やデ!」という友人のアドバイスも受け入れ、しばらくはおとなしく自分を見つめ直す時間を持ちたいと思います。どうせ、ジッとしてられんやろ・・という声にも応えないといけませんし、宇多田ヒカルのように無期限活動停止やピンクレディみたいに無期限活動再開なんていうのも、芸能人じゃないので、真似する気もありませんし。まぁ、ボチボチやりますわ。

私が撮り続けてきた趙博さんの歌『風物詩』の歌詞のように

  楽しくはないけど 苦しいわけじゃない ちょっと辛いだけ

この心境です。『辛い』という字に『一』を足せば『幸せ』という字になる。

この『一』が何かを探すための充電期間だと思っています。

定年までおとなしくするつもりも、定年後に思いっきり何か別の新しいことをする気もありませんので、これからも“泣き虫の難儀なおっさんに”お付き合いよろしくお願いします。

今日は本当にありがとうございました。

 

 

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