早起き1714日目
おはようさまです。
人は不完全な生き物である。
世の中を見てみると、自分一人の力だけで生きていると錯覚している人もおられるが、現実は不完全さを補い合って生きているのである。
各人が己の得意なことを互いに提供し合って生きている。得意なことを自分の為だけでなく、自分がいる集団の為に行うのである。
だから、皆が得意気に生きれる^^
誰かの役に立てる喜びを常に感じて生きていける。
つまり、長所と短所は互いを結びつける上で無くてはならない大切なのものなのである。
人が完璧であるならば、他人の助けなんて要らないのである。不完全だからこそ仲間でいられるのである。
身の回りを見渡してみよ。
自分一人の力で手にした物は少ない。
自分に出来るのは、せいぜい道端に咲く可憐な花を摘むくらいしかないだろう。
物を作るにしたって、工具類は全部他人が作った物。材料資材も全部他人が用意した物。
それらがあるから、色んなもの作りが出来て、そうしてやっと自分が作り出したものが他人の役に立つのである。
他人の助けがあってはじめて、自分も他人の役に立てるのである。
お金を持つとお金で何でも手に入る気になるが、それは、今の社会制度の中だけの話しである。
大災害に遭った時、お金はちり紙にもならない。役たたずになる。
現物が大事である。
タンスに貯金があるよりも、非常食だよ。
食料が不足したら、誰も売ってくれないよ。
基本は物々交換だよ。
一人の力では生きていけない現実を自覚して、他人の働きに感謝しよう。
感謝とは、借りを返せる、役に立つ人間になるということだ。
身体で返しましょう。
人は不完全な生き物である。
世の中を見てみると、自分一人の力だけで生きていると錯覚している人もおられるが、現実は不完全さを補い合って生きているのである。
各人が己の得意なことを互いに提供し合って生きている。得意なことを自分の為だけでなく、自分がいる集団の為に行うのである。
だから、皆が得意気に生きれる^^
誰かの役に立てる喜びを常に感じて生きていける。
つまり、長所と短所は互いを結びつける上で無くてはならない大切なのものなのである。
人が完璧であるならば、他人の助けなんて要らないのである。不完全だからこそ仲間でいられるのである。
身の回りを見渡してみよ。
自分一人の力で手にした物は少ない。
自分に出来るのは、せいぜい道端に咲く可憐な花を摘むくらいしかないだろう。
物を作るにしたって、工具類は全部他人が作った物。材料資材も全部他人が用意した物。
それらがあるから、色んなもの作りが出来て、そうしてやっと自分が作り出したものが他人の役に立つのである。
他人の助けがあってはじめて、自分も他人の役に立てるのである。
お金を持つとお金で何でも手に入る気になるが、それは、今の社会制度の中だけの話しである。
大災害に遭った時、お金はちり紙にもならない。役たたずになる。
現物が大事である。
タンスに貯金があるよりも、非常食だよ。
食料が不足したら、誰も売ってくれないよ。
基本は物々交換だよ。
一人の力では生きていけない現実を自覚して、他人の働きに感謝しよう。
感謝とは、借りを返せる、役に立つ人間になるということだ。
身体で返しましょう。
早起き1712日目
おはようさまです。
それにしても驚異だ。
台風や雷、地震のエネルギーは凄まじいものがある。
破壊力抜群だ。
人間が作り出した兵器も破壊力抜群だが、無尽蔵に作れるものでもない。
しかし、自然のエネルギーは無尽蔵だ。
エネルギーをうまく循環する仕組みになっているのだろう。
この無料のエネルギーを利用出来たら、豊かな社会が実現できるかも知れない。
いや、逆か。
この力を持つ者が支配者になるのか。
今の人類のまま、その力を手にしたら、悲しいけど間違いなく争いに使われるのだろうな。
争いは無くならない。
人類の歴史は争いの歴史。
最小単位の家族でさえ争いは絶えない。
それは、人の心に問題がある。
責める心。
相手から攻められたら、責める心が即座に反応して攻め返す。
生まれつき争いを産むような性質が仕組まれているのだ。
表面的には穏やかに見えても、それは見かけだけのこと。
攻める方がいても、攻められた方が我慢したなら、見た目は争いには見えない。
だけど、我慢しているから、責める心は内部に蓄積している。
見た目が平和なだけで、全然心穏やかではないのである。
そして、中には責める心を自分に向ける人もいて、終いには自分を滅ぼしてしまう。
責め合いは見苦しいから人前では我慢して仲良く見せていて、裏では大喧嘩なんてよくある話。
責め合いを良くないことと認識しているけれど、どうしようもなくやってしまう。
人の振り見て我が振り直せと自分に言い聞かせてみても、責める心は払拭は出来ない。
責める→赦す
ではエネルギーが消滅してしまう。
だから、争いは無くならないのだ。
責める心が人の本質だから、放っておいたら無尽蔵に涌き出てくる。
だから、いくら赦しても責める心は無くならない。
いや、むしろ赦せば赦す程多量に出てくる。
いじめで恐喝がどんどんエスカレートしていくのはこの原理である。
責める→←感謝
責める心を制御するのは、感謝の心である。
人の中に感謝の心が不足してくると、
不平不満が充満し、責める心が顔を上げてくるのである。
感謝は満足を生む。
そのエネルギーが人の中にある責める心のエネルギーの増殖を抑えるのである。
責める心は無くせないから、感謝する心を育むことが大切である。
大人は観念が強いから直すことは容易ではない。
だから、子供の教育が大事なのだ。
個性が大事なのはなくて、その前に感謝することが大事なのである。
感謝することが満足を教えてくれる。
感謝を忘れるから不足しか見えなくなるのである。
それにしても驚異だ。
台風や雷、地震のエネルギーは凄まじいものがある。
破壊力抜群だ。
人間が作り出した兵器も破壊力抜群だが、無尽蔵に作れるものでもない。
しかし、自然のエネルギーは無尽蔵だ。
エネルギーをうまく循環する仕組みになっているのだろう。
この無料のエネルギーを利用出来たら、豊かな社会が実現できるかも知れない。
いや、逆か。
この力を持つ者が支配者になるのか。
今の人類のまま、その力を手にしたら、悲しいけど間違いなく争いに使われるのだろうな。
争いは無くならない。
人類の歴史は争いの歴史。
最小単位の家族でさえ争いは絶えない。
それは、人の心に問題がある。
責める心。
相手から攻められたら、責める心が即座に反応して攻め返す。
生まれつき争いを産むような性質が仕組まれているのだ。
表面的には穏やかに見えても、それは見かけだけのこと。
攻める方がいても、攻められた方が我慢したなら、見た目は争いには見えない。
だけど、我慢しているから、責める心は内部に蓄積している。
見た目が平和なだけで、全然心穏やかではないのである。
そして、中には責める心を自分に向ける人もいて、終いには自分を滅ぼしてしまう。
責め合いは見苦しいから人前では我慢して仲良く見せていて、裏では大喧嘩なんてよくある話。
責め合いを良くないことと認識しているけれど、どうしようもなくやってしまう。
人の振り見て我が振り直せと自分に言い聞かせてみても、責める心は払拭は出来ない。
責める→赦す
ではエネルギーが消滅してしまう。
だから、争いは無くならないのだ。
責める心が人の本質だから、放っておいたら無尽蔵に涌き出てくる。
だから、いくら赦しても責める心は無くならない。
いや、むしろ赦せば赦す程多量に出てくる。
いじめで恐喝がどんどんエスカレートしていくのはこの原理である。
責める→←感謝
責める心を制御するのは、感謝の心である。
人の中に感謝の心が不足してくると、
不平不満が充満し、責める心が顔を上げてくるのである。
感謝は満足を生む。
そのエネルギーが人の中にある責める心のエネルギーの増殖を抑えるのである。
責める心は無くせないから、感謝する心を育むことが大切である。
大人は観念が強いから直すことは容易ではない。
だから、子供の教育が大事なのだ。
個性が大事なのはなくて、その前に感謝することが大事なのである。
感謝することが満足を教えてくれる。
感謝を忘れるから不足しか見えなくなるのである。

