「笑点」(日本テレビ)が60周年を迎え、1時間半の特番を放送していた。爆笑問題の漫才以外は異例の生放送、春風亭昇太は熱海五郎一座の公演を終えた新橋演舞場からやってくる、その様子を中継でつなぎ、三宅裕司や渡辺正行ら共演者たちが昇太と一緒に出てきたのもスペシャル感があった。昇太がいない日本テレビでは林家たい平が仕切り役を務めていた。やはり、残りのメンバーでは頼りになるのはたい平ということになるだろう。
番組では「笑点」の歴史をふり返り、歴代司会者の映像を流していたのだが、初代司会者の談志は映像がないのかと思えば、あとの大喜利のコーナーになってから流されていた。しかし、この映像は桂米丸が保存していたビデオのなかから発掘されたもののようで、日本テレビでは残していなかったのだろう。以前、日本テレビの「バズリズム」にグループ魂が出演したときに、グループ魂が「笑点」に出たときの映像が局には残されていないことがわかり、90年代でもまだそんなことがあるのかと驚いたが、90年代は「笑点」という番組自体にパワーがない時代だったのではないか。その時代に、荒療治のようにして、およそこの番組には似つかわしくないグループ魂やビシバシステムを登場させていた。若手お笑い芸人にしても、ちょっとオルタナティブすぎる人選である。今の時代からはわかりにくいかもしれないが、寄席芸人とテレビのお笑い芸人のあいだには大きな垣根があったのだ。
立川談志は1936年生まれ、「笑点」が始まった1966年には30歳である。最初の大喜利メンバーは、金遊(小円遊)、こん平、円楽、小痴楽(梅橋)、歌丸という5人だが、最年長の円楽と最年少のこん平には11歳の差があるものの、30歳前後の若い顔ぶれだったといっていいだろう。(二代目司会者の前田武彦、三代目司会者の三波伸介が、最年長の円楽より歳上であることも付け加えておきたい。さらに、三波伸介が司会の時代には、若い世代の楽太郎、夢之助が加入する。)
そこで思い浮かべるのは、先日、粗品が司会の「ツッコミスター」(フジテレビ)という番組が放送され、あの番組の出演者たちも30歳前後のフレッシュな顔ぶれだったが、もしかすると、「笑点」が始まったときにも「ツッコミスター」みたいなフレッシュな雰囲気がみなぎっていたのではないだろうか。あれは2000年代だったか、小朝が「六人の会」を結成したときに、談志は「雑魚は群れたがる」と言い放ったが、談志も若い頃には純粋に、同世代の仲間たちと一緒に売れていくことを夢見ていたのではないかと想像してしまうのである。




















