海老名の映画館で「タイタンシネマライブ」を観てきた。いつも隔月で開催されている「タイタンライブ」のライブビューイングだが、今回は「タイタンライブ」が30周年、「タイタンシネマライブ」が100回記念にあたり、2日連続の開催となっている。今日はその初日。まず、出演者を出演順に書いておくと、春とヒコーキ、まんじゅう大帝国、シティホテル3号室、流れ星☆、キュウ、エレキコミック、とろサーモン、バイきんぐ、爆笑問題、ウエストランド、古希還暦(明石家さんま&太田光)という11組。


さんまがスペシャルゲストとして出演することは発表されていたが、なにをやるのかはわからなかった。フタを開けてみれば、昨年、「お笑いの日」(TBS)で結成された「古希還暦」の再登場である。まず、とっさに思ったのは、太田の負担の大きさだ。ただでさえ、漫才のネタ作りが2本に増えているところに、選挙特番の準備も重なってしまった。それだけでも想像を絶する労力だが、そのうえ、さんまとの漫才も稽古していたのかとは驚かされる。

「お笑いの日」の漫才がめちゃくちゃなままで終わってしまったことはこのブログにも書いたが、今回は二度目でもあり、時間がたっぷりと用意されていたからそれだけでも条件はかなり違う。結論からいえば、あのぐだぐだな漫才とは違って、今回はすさまじかったのだ。「お笑いの日」でやりそこねたコンビニのネタをやろうとして、今回もやはり脱線がくり返されるのだが、時間があるから無理に段取りに戻す必要がないというのがたぶんよかった。そうなると、さんまももう心得たものだ。最初に40分用意されていると言っていたのだが、実際には何分やっていたんだろうか、通常ならば出演者全員が登場するエンディングがあるはずが、それもすっ飛ばして、上映時間いっぱいまで漫才は続いた。長時間になればなるほど、さんまと太田の漫才は凄みが増していくようだった。

中川家でも、あるいは、やすしきよしでも、ネタと脱線を往復するような融通無碍な漫才をするのだけど、中川家なんかは時間になったらそこですぱっとネタを切って降りてくるようなかっこよさがある。さんまと太田のコンビには段取り以外にネタを終わらせる方法がない。あそこが本来の終了時間だったのか、終わらない漫才に田中が割り込んでいったのだが、ここから今度はトリオ漫才が始まってしまう。レツゴー三匹、漫画トリオ風のネタをやってみせ、アドリブだとしたら田中の対応は驚くべきものだったが、ここはさすがに打ち合わせをしていたのかもしれない。上映終了時間がいよいよ迫ると、ウエストランド井口を先頭に出演者全員がステージに出てきてしまったが、漫才は終わりらしい終わりもなく、さんまは颯爽とソデに帰っていく。笑いのピークに向かいながらライブが終わるというあまり体験したことのないような終わりだ。私は帰りの電車のなかでもいつまでも興奮が続くことになった。


さんまと太田に圧倒されてしまったが、今回は特別な回だからライブ全体の温度がそもそも高く、ほかの出演者たちもかなりいいと思った。ゲスト4組のうち、とろサーモンとバイきんぐは賞レースチャンピオンだからいいが、エレキコミックと流れ星☆がすこぶる面白かったことはここに強調しておきたい。


「お笑いの日2025」


自民党、中道改革連合と観て、この選挙でつぎに気になるのは日本維新の会ではないだろうか。維新は吉村洋文と藤田文武が並んで話すスタイルだった。自民、中道がどちらもひどい棒読みだったが、吉村の口調は熱がこもっていて、手ぶりも入る。吉村も藤田も自分の言葉で話している感じがする。


やはり、自分の言葉で話していると感じられるのは国民民主党の玉木雄一郎だ。国民民主党はまず、玉木雄一郎がひとりで話す。玉木は口調が明朗、手ぶりもつけるし、からだが言葉と連動している。途中から切り替わり、玉木雄一郎と国対副委員長の牛田茉友とふたりで並んで話すスタイルになる。玉木と若い女性議員という構図がちょっと気になるが、単にセリフを割っているだけではなく、会話になっている。牛田茉友というひとはやけにテレビ映えするひとなのだが、元NHKアナウンサーなのだ。最後にふたりで声をそろえる構成も決まっていた。


参政党は神谷宗幣がひとりで話すスタイル。「日本人ファースト参政党、代表の神谷宗幣です。」と言ってから話し始める。キャッチフレーズで始めるのは神谷ただひとりだ。両手は演台の下に降ろし、首でリズムをとりながら話すタイプ。ときどき視線を下に落としていたから、原稿を用意していたのだろう。しかし、話すときはほぼ正面を向いている。参政党は最初から最後まで、神谷のひとりしゃべりで終わる。最後のほうはけっこうつっかえるところがあった。


政見放送をひととおり観て、さすがにだんとつで話が上手いと感じたのはれいわ新選組の山本太郎だ。素人のなかにひとりだけプロの芸能力者がいるのだからしかたがない。れいわも山本太郎のひとりしゃべりのみ。自身の病状のことから話し始める構成、リズムと抑揚、表情、手ぶりにも無駄がない。所作が圧倒的にきれいなのである。シンプルに話術に惹きつけられてしまったのは山本太郎ただひとりだった。しかし、あまりにもガードが堅い。完璧すぎる口調はうさん臭さにもつながるという感じがする。


ひとりだけプロの芸能力者がいると書いてしまったが、社民党にラサール石井がいることを忘れていたわけではない。社民党は福島みずほとラサール石井が並んで話すスタイル。ところが、ラサールは意外と台本どおりにセリフをしゃべっているだけのようで、硬くなっているラサールに対し、福島みずほのほうがむしろ柔らかい話しかたをしている。福島みずほはかなり意識的に手ぶりをつけているようでもあったが、ラサールは両手を演台の上で組んだままなのだ。ラサールはタレントから政治家モードに切り替えようとしすぎているのではないだろうか。ラサールはセリフを噛むところもあったし、最後にふたりで声をそろえるところもそろっていなかった。


ここまで書いてきて、世代による弱々しさと力強さの差がはっきりと分かれているような気もするが(しかし、私は力強さを単純に肯定的に考えているわけではまったくない。)、さらに下の世代、唯一の三十代がチームみらいの安野貴博だ。チームみらいは安野貴博がひとりで話すスタイル。力強い部分もあるのだが、基本的にはソフトな口調のひとだ。素朴で誠実な話しぶりのなか、手ぶりもつけていた。


日本共産党は山添拓と吉良よし子が並んで話すスタイル。田村智子でもなく、小池晃でもなく、なぜこのふたりなのだろうとまず不思議に思ってしまう。吉良よし子はときどき視線を落とし、原稿を用意してあるようだった。このふたりはやはりソフトで、素朴で誠実な話しぶりではあるのだが、他の政党と比べると、この世代のなかではかなり弱々しく感じられる。この政党のなかでは若い世代のふたりだが、共産党支持者に高齢者が多いからこのテンポになるのだろうか。現役世代を相手にしている政党は口調が力強くなると思われる(しかし、私は力強さを単純に肯定的に考えているわけではまったくない。)。


日本保守党は百田尚樹と有本香が並んで話すスタイル。あいさつしたあとに百田が「自民党をぶっ壊す!」と言うと、有本がのけぞってみせ、「代表、またそれですか? 国政選挙のたびにそれですか?」 百田はさらに「今回は中道連合もぶっ壊す!」と重ねる。去年の参院選のときの百田はもっとはしゃいでいるようで見苦しかったが、それに比べると、今回のほうが多少はましかもしれない。


減税日本・ゆうこく連合は原口一博と河村たけしが並んで話すスタイル。いきなりフリートークみたいに始まって、ここだけ異色な感じがしたが、キャラの立ったコンビだ。ざっくばらんな点では河村は百田と並ぶ。ふたりとも斜め前をちらちら見ながら話していたが、そこにカンペかなにかあったのだろうか、原稿を読んでいるふうではなかったから、話す題材ぐらいが書いてあったのかもしれない。原口一博はまじめな口調なのだが、ワクチンの話になるとどうも様子がおかしくなっていった。

「舌耕」という言葉が昔からあります。舌で耕すと書きます。舌でどこを耕すのか。ひとのこころをです。お百姓さんが田んぼや畑を耕して作物を作るように、ひとことひとこと、ひとびとのこころのなかを耕し、笑いと涙と、さまざまな感動と実りをもたらす、ときには生きる喜びさえも。そういう言葉一筋の話芸を、お百姓さんのあのこつこつやる仕事になぞらえて、「舌耕」と言いました…。


正確なものではないが、かつて、「日本の話芸」(NHK)という番組は小沢昭一のだいたいこんなようなナレーションで始まっていた。「日本の話芸」は今では落語ばかり放送している番組だが、かつては漫才も放送していたことを私は覚えている。しかし、小沢昭一の考える舌耕芸とはもっと多種多様なものだったはずだ。ありとあらゆる場所に芸を発見し、それらを収集しようとしたのが小沢昭一ではなかったかと思うが、そのような視点に立てば、政見放送などももちろん舌耕芸ということになるだろう。

その政治家がどんな人間であるか、人間を判断するには街頭演説と政見放送を観るべきだというのが私の考えだが、今回の衆院選でも比例代表の政見放送をひととおり観たので、その雑感を記しておきたい。なお、政策に関しては私は専門家ではないから、ここではおもに、話術、話芸の部分に注目していくことにします。(別に、話術話芸の専門家でもないんだけれども。)


まず触れるべきは自民党だろう。自民党は高市早苗と脇雅昭が並んで話すスタイルだった。参議院議員の脇雅昭は私が住む神奈川県から出たひとだから記憶していたのだが、なぜこのひとが選ばれたのか、そう思いたくなるくらいにひどい棒読みで話し始める。視線からして、プロンプターを読んでいるようだったが、それにしたって硬い。この脇雅昭の硬さが伝染ってしまったのか、高市までここでは硬く感じられた。高市も正面のプロンプターを読んでいたのだろう、プロンプトに従うだけならばAIと変わらない。高市は正面を向きっぱなし、高市も脇も手は演台にじっと置いたままにしていた。

去年の参院選のときには自民党は石破茂と小泉進次郎がふたりで話すスタイルだったが、石破と進次郎は互いのほうを向く場面もあり、フリースタイルで話しているようだった。高市と脇はただセリフを割っているだけで、会話になっていない。その相方になぜ脇雅昭が選ばれたのか。自民党にはさすがにもっと上手くしゃべれるひとがいくらでもいるのではと思うが、これは高市の人間関係の部分だからここでは深追いはしない。


そして、自民党に負けず劣らず棒読みがひどかったのが中道改革連合である。野田佳彦と斉藤鉄夫が並んで話すスタイルだったが、ふたりそろって、ゆっくりとおじぎをするところから始まる。ふたりとも手は演台に置いたまま、斉藤鉄夫は野田が話しているときには小さくうなずくところもあるが、野田佳彦は微動だにせず、「まずは斉藤さんからどうぞ」といって、斉藤に話を渡すときだけ横を向く。最後のセリフは声をそろえるのだが、正面におじぎをしたあと、座った姿勢のまま、ふたりはからだをひねり、後ろの手話のひとにもおじぎをした。去年の参院選のときに政見放送を観ていて、公明党だけが手話のひとにおじぎをしていて感心したが、その公明党の流儀は中道にもきちんと受け継がれていた。


政見放送雑感(2)




本当は箱根神社の節分祭に行ってみたいとずいぶん前から考えていたのだが、選挙になってしまったために忙しくなってしまった(なにも私が忙しくする必要はないんだけども)。この日は朝から箱根に向かうのはもう無理ということになり、こんなこともあろうかと、別の候補もいくつか調べてはあったからそのなかから遅い時間に向かえるものを改めて探し、伊勢原の比々多神社の節分追儺祭に行ってみることにした。伊勢原といえば大山阿夫利神社が有名なのだが、そちらの節分祭には間に合いそうになかった。


私は横浜市郊外に住んでいるのだが、午後になってから家を出て、小田急線の伊勢原駅に向かう。ヤフーの乗り換え案内に従い、伊勢原駅前からバスに乗り、這子坂というバス停で降りれば、15時から始まる節分追儺祭にゆうゆう間に合うはずだった。ところが、もうすぐ到着すると思い、バスの車内でグーグルマップを見てみると、比々多神社とはどうやらぜんぜん違う方角に走っていることに気がつく。大失敗をしてしまった。いや、比々多神社の場所は事前に確認していたのだが、そのときに、グーグルマップに比々多神社と名のつく神社がほかにもいくつか出てきていたのだ。節分追儺祭を行う神社はホームページから突きとめていたのだが、まさか、ヤフーの乗り換え案内が別の比々多神社を示していたとはまったく気がつかなかった。

知らない土地でバスを乗り間違えるくらい不安なこともないのだが、さて、どうしようかと思い、やっぱり、今からでも節分をやってるほうの比々多神社に向かわなければ、なんのために伊勢原にやってきたのかわからない。歩くしかないかと思い、グーグルマップを見てもどのくらいの距離なのか見当がつかなかったが、歩き始めてみるとだいたいの計算が立ってくる。結局、目指す比々多神社に到着するまでには40分歩くことになった。


比々多神社はけして大きな神社ではなく、到着してみると、狭い境内にひとがいっぱいいる。どうやら豆まきはまだ終わっていないようで、それがわかるとほっとした。それまでの時間は儀式などがあったのか、正確なことはよくわからなかったが、とにかく、豆まきには間に合った。

この日の節分追儺祭は、10時、12時、15時と3回行われていた。時間は15時半を過ぎていた。境内には特設舞台が用意され、神主がマイクをもち、特別奉仕者たちを紹介する。相撲界からは高田川親方、竜電、輝、湘南乃海(私は相撲に疎いが、湘南乃海は「さんま御殿」で観たことがあった。)、それから、「バス・ストップ」の平浩二と、地元出身の三遊亭遊吉が登場した。豆を撒くみなさんは年男年女だったのか、私は節分の専門家ではないからわからないことだらけだが、そのみなさんは3グループに分かれ、ゲスト陣は3グループぜんぶの豆まきに参加していた。「福は内、鬼は外」の掛け声で、袋入りの豆が撒かれる。写真を撮ることに専念していると、豆がこちらにすっ飛んできたからぱっと手を出したら、ダイレクトキャッチできてしまい、これには自分自身でびっくりした。捕ろうとしたってなかなか捕れるものではない。文字どおり、福をつかんだという感じがする。


節分追儺祭が終わったあとには、グーグルマップを見ると神社の裏に史跡があったからそれを見物に行ってみる。高速道路建設時に発見された古墳と遺跡だという。さらに先に進み、細い坂道を登っていくと、比々多神社元宮という小さな鳥居と祠があった。ふり返ると伊勢原が見渡せるじつに見事な眺望であった。












早朝に放送されている「林家正蔵の演芸図鑑」(NHK)のなかで、正蔵が桂吉弥と対談していた。吉弥が目撃したある正蔵の高座について話していたのだが、名古屋の劇場だったそうだが、正蔵が落語をやっていたら客席から「面白くない!」「やめろ!」という野次が飛んだそうだ。すると、今度は少し離れた席にいた別の客が「黙っとけ!」と言って、その客とケンカを始めてしまった。正蔵はどうしたのかというと、落語を中断し、なんと、客席まで降りていって「まあまあ」となだめたのだという。正蔵は「これは私が悪いんです」と言って、今までは漫談で逃げたり、マクラを長めに短い噺で帰ったりしていたから、お客さんからまじめにやれという声があるのはしかたがない、だから僕のせいなので、今は一生懸命やろうと思っているということを話した。そして、三味線をもう一回弾いてもらって、二度出をしたのだという。

正蔵はそれについて、「酔っぱらいがいようが、お客さんが倒れようが、寝てようが、なんかカンカラカンカラやってようが、メシを食ってようが、そんなの当たり前で浅草とか出てるじゃないですか。たぶんそれで鍛えられたのと、あと、三平の血だね。」「たぶんずるいよ、「どうもすいません」て、俺、やったような気がするんだよ。」

吉弥はそのときの正蔵の高座に衝撃を受けた。というのも、吉弥の大師匠である桂米朝は、演芸場で敏江玲児やかしまし娘のあいだに出ていって落語をやることに限界を感じ、ホールでやることを選んだという師匠だったから、吉弥が入門したときにはもう、落語をちゃんと聴いてくれるお客さんの前でしかやっていない一門だったのだ。

正蔵「たぶん、その、古典…、噺をちゃんと聴きましょうっていう落語会のお客さんと、雑多に大衆芸能として、演芸で…、演芸を「ははっ」って、「あっ、月の家円鏡だ」「あっ、林家三平だ」って。「ああ、小さん師匠、へえ、小さんさんだ。永谷園だ。面白い噺すんなあ」みたいな。そんな、寄席育ちってたぶんそんな感じなのかなあ。だから、「行く先々の(水に合わねば)」って文楽師匠がおっしゃってたんだけども、どっちにもちゃんとできるっていうのが、ごくごく上等な噺家なんじゃねえかなあって思うね、今考えればね。どっちも馬鹿にしないし、「あれはねえ、通ぶってるよ」とか、「こっちはもうがちゃがちゃしてるよ」っていう、両方ないんだなあっていうのが、近頃、おいらの感想かなあ。」


これは林家こぶ平の時代から変貌していった正蔵ならではの、実感がこもった感想という感じがする。タレントとして知名度があったこぶ平の時代には、つまらないとか下手だとか、さんざんな評価がされていたが、しかし、私はこぶ平時代に寄席で高座を観たことがあるが、華やかで楽しかったという印象しかない。ある時期から、それこそ、まじめに古典落語に取り組むようになり、こぶ平時代のキャラクターは少なくとも落語の世界では払拭されていくのだが、これはこれで簡単には評価されない道を歩んでしまっているというふうにも思える。ましてや、長嶋一茂や石原良純が人気タレントになっている今の時代なのだ。もし、林家こぶ平のキャラクターのままだったらどんなタレントになっていただろうかとも考えたくなる。

いや、念のために断っておくが、私は正蔵の古典落語は好きなのである。正蔵は「タッチ」や「ハッチポッチステーション」など、声優としても活躍し、あるいは、山田洋次作品など、俳優としてもいい作品にいくつも出ている。文句のつけようのない優れた演者なのだが、そのよさが落語にも反映されていると私が言ったとしても、信用しないひとはおそらく多いのではないだろうか。



横浜の十日市場まで、高市早苗の演説を見物に行ってきたのでそのことを手短に記録しておきたい。以前、このブログには書いたとおり、選挙期間中は私はなるべく多くの街頭演説を聴くようにしているのだが、高市が十日市場にやってくるという情報は前日にSNSで目にした。私は横浜市に住んでいるので、政党によらず、横浜で行われる演説を探しては予定に合うものを選んで立ち寄るということをしている。高市の演説を聴くには私は予定を少し変更しなければならなかったのだが、しかし、これよりあとに都合が合う保証はないし、高市の演説の場の空気はぜひ知っておきたかったからこれはここで行っておいたほうがいいだろうと思った。


私は石破茂が総理の時期にも演説を聴いたことがあったから、現職の総理の演説にいかにたくさんのひとが集まるかということは想像ができたから早めに向かったのだが、十日市場駅に着いてみると、その想像を超える光景を目にすることになる。十日市場グラウンドというところが演説の会場になっていたのだが、駅から少し離れているはずのその会場からの行列が駅のホームからもう見えているのである。

演説は13時から、入場は12時半からと告知されていた(あとで知ったが、SNSだけでなく、駅前でもずいぶん告知されていたようである。)。私が駅に着いたのは12時20分頃だったと思うが、すでに大行列ができている。並び始めてからも駅からはどんどんひとがやってきて、行列は線路沿いの道路にまっすぐに伸びていたのだが、ふり返ると、最後尾は見えなくなるまで遠くになっていた。石破茂のときもさすがに大混雑だと思ったが、いや、高市は桁違いの人気だ。高市の支持率の高さを初めてフィジカルに感じられたという気がする。私は安倍晋三の国葬儀のときもわざわざ九段下まで見物に行ったのだが、あのときに見た光景ともだぶるようで、駅前で顕正新聞が配られているところも一緒だった。

駅から最後尾に向かうひとの流れもついに止まり、はるか遠くから折り返してきた行列の最後尾は駅にまで達してしまったようだ。これだけの長蛇の列が入場できるまでにはいったいどれだけの時間がかかるだろうかとも思ったが、私は13時には入場できていた。安倍晋三が撃たれた事件以前のことは知らないが、石破のときと同様、入場時には手荷物検査があった。去年の石破のときにはカバンに入っていたペットボトル飲料をひとくち飲んでみせなければならなかったが、今回はそれは求められなかった。カバンの中身を開いて見せるのと、金属探知機で全身をチェックされるだけのことで、過去に経験した手荷物検査よりもあまり厳重でないのではという気がした。この十日市場グラウンドは公共の施設なのだろうか、こういうグラウンドを借りて街頭演説をやってもいいというルールもよくわからなかったのだが、たとえば、駅前での演説ならそこらじゅうに警官が立ち、ものものしい雰囲気があるけれども、このようなグラウンドの場合は警官がそこまで密ではなく、ものものしさがかなり軽減されている感じがした。駅前に比べると、警備も格段にやりやすいだろう。こうなるとむしろ、なぜ駅前なんかでやるんだと思いたくもなる。


高市が現れたのはたしか13時半頃だったはずだ。肝心なことをまだ書いていなかったが、高市は神奈川8区で出馬している三谷英弘の応援演説にやってきたのである。この日の夜のNHKのニュースで、高市が外国人政策について話している部分が使われていたが、それを話していたのは三谷が高市内閣で法務副大臣を務めているからだ(三谷英弘のチラシをもらったのだが、このチラシにはなぜか外国人政策についてはなにも触れられていない。)。この日の高市の口調はじつにソフトで、あのはしゃぎやすい高市が落ち着いた演説をしていることを少々意外に思ったが、さすがに気をつけるようにしているのか、それともただ疲れていたのかもわからないが、扇動的なところがないから盛りあがらない演説だとも思って聴いていた。しかし、演説も中盤のあたりだったか、おなじみの「働いて働いて働いて…」が出ると笑いが起こり、そのあとは拍手が起こりやすくはなっていた。

拍手がちらほらと聴こえて、そこに高市の熱心な支持者がいることがわかったが、オーディエンスは私も含め、高市の支持者ばかりではない。十日市場に有名人がくることなんかめったにないんだから、高市総理をひと目見てみたいというので集まったひとたちもおそらくかなり多かっただろう。それは高市の人気だが、支持と考えていいのだろうか。オーディエンスたちは極めて普通の善男善女の集まりである。私のすぐそばにいたお父さんは、小さい子どもたちを順番に抱えあげて高市を見せていた。この日の高市は白いダウンジャケットを着ていたが、抱えあげられた女の子はお父さんに「もともと青いひと?」と訊いていた。







爆笑問題が太田プロを辞めたあとに、同期だった松村邦洋は太田を心配してよく電話をかけてくれていたというのだが、心配するようなそぶりは見せず、ただものまねの新ネタを聴いてほしいというので、電話口でえんえんとものまねをやるだけの松村の気遣いにその当時の太田はまだ気がついていなかったようだ。あるとき、「ものまね王座決定戦」(フジテレビ)の収録に行ってきた松村がプロデューサーに怒られたことを太田に話すと、そのプロデューサーの悪評を知っていた太田は、そんなことを言われたら出なくていいよと松村に言った。すると、太田のその仕事を選ぶ姿勢を、そのときだけは松村は本気になって怒ったのだという。太田は松村にそう言われたことで、気持ちが変わった部分があったようだ。

その後、爆笑問題が「GAHAHAキング」(テレビ朝日)で10週勝ち抜きチャンピオンになったときに、番組は爆笑問題の受け皿を作ろうというので、コーナーを設けた。これが「太田じじいと仲間たち」というもので、太田が爺さんの扮装をして、爆笑問題がセクシーメイツ(あの「ギルガメッシュないと」で結成されたセクシーアイドルグループ)とコントをするのだ。爆笑問題にとってはありがたいことではあるのだが、チャンピオンになって勝ち取ったものがこれかという気持ちでもあった。本人たちも含め、まわりの芸人たちにもスタッフにも誰からも評判が悪かったのだが、ただひとり、松村邦洋だけはもうこれで爆笑問題は大丈夫だと思ったのだという。

先日の「爆笑問題カーボーイ」で話していたのはそのようなエピソードだった。太田の性格をよく理解したうえでの松村のその思いを知り、太田は改めて感動したという。田中は「あのひとはぜんぶ見抜いている。ものまねのひとは怖いんだよ。(笑)」


初期の爆笑問題を知っていれば、その後の太田の変化は誰もが感じたことだが、このエピソードを知れば、そのきっかけを作ったのは完全に松村邦洋ではないかということだ。初期はツービートの延長にいると思われていた爆笑問題は、ある時期からどんどん無防備になっていく。談志、たけしの笑いの感覚を受け継ぎながらも、談志、たけしのような緊張感が爆笑問題にはなくなっていった。いっぽうではダウンタウンの時代であり、ダウンタウンも極めて緊張感の高いコンビである。いや、ダウンタウンだけではない。笑いの基本は緊張の緩和なのだ。爆笑問題の無防備というのは、漫才ブーム以降の流れからすると、今ですらなお、爆笑問題だけがそれを許されているという感じがする。

太田は幼いころ、三波伸介が大好きだったという話はたびたびされているが、堺正章やせんだみつお、欽ちゃんが好きだった太田の笑いの嗜好は、ビートたけしの出現により一変させられる。太田の深層にあるのはじつは70年代の笑い、漫才ブーム以前の笑いであろう。おそらく、爆笑問題と同世代では、漫才ブームのときにお笑いに目覚めたものが多かったのではと思うが、それが思春期のころだとすると、太田がいかに幼少期から笑いを愛していたかということも窺い知れる。無防備になったときに現れたのはもしかすると太田のそのようなすがただ。

先日の「爆笑問題の日曜サンデー」(TBSラジオ)のゲストが松村邦洋だったのだが、そのあとの「爆笑問題カーボーイ」でも松村との思い出話がさらにいろいろと語られていた。爆笑問題と松村邦洋は太田プロの同期で、「日曜サンデー」ではともに過ごした昭和の最後の一週間が印象的に語られていたが(バービーボーイズの「目を閉じておいでよ」が昭和64年1月1日のリリースだったとは今まで気にしたこともなかった。)、よく知られるように爆笑問題はすぐに太田プロから独立してしまい、苦しい時期を過ごすことになる。片や、松村邦洋は同世代のなかではいち早く頭角を現していった。どちらの番組でもくり返し強調されていたが、松村邦洋の登場がいかにセンセーショナルな事件だったか。


1988年に放送されたアマチュア参加のものまね番組「発表!日本ものまね大賞」(フジテレビ)に松村邦洋は出場する。ビートたけし、石橋貴明、古舘伊知郎のものまねをやってみせた松村邦洋を、子どもだった私も放送時に観ていてはっきりと覚えているが、そのときの衝撃を爆笑問題が表していたように、いずれもこの時点では誰もやっていないものまねばかりなのである。つまり、松村邦洋の発明ということなのだが、近年のものまねでいえば、素の志村けんを発明したレッツゴーよしまさや、和田アキ子のしゃべりを発明したMr.シャチホコに驚いた経験を思い浮かべてもらいたい。その前の世代では、コージー冨田と原口あきまさがタモリとさんまのものまねでやはりセンセーショナルに出現したことを記憶しているひとも多いだろうが、そのコージー冨田は素人時代の松村邦洋に衝撃を受けたと発言していたことがある。松村邦洋は天才だから独自にものまねを習得していたのかもしれないが、その手法がコージー冨田によって整理されたという面はおそらくあるのではないか。だから、そのあとに多くのものまね芸人が続くことができた。その出発点に位置しているのが松村邦洋なのである。

あれはなんの番組だったか、爆笑問題よりも松村とは距離がありそうなさまぁ~ずも、同期の天才として松村邦洋の名をあげていた記憶がある。高田文夫のものまねを「バウバウ」という擬音で表現したのは、今にして思えば「誇張しすぎた高田文夫」のようでもあるが、この「バウバウ」がギャグ化して、松村はブレイクにつながっていくことになる。ものまねの天才だった松村邦洋だが、しかし、松村がブレイクすることになったのは「ビートたけしのお笑いウルトラクイズ」とその後の「進め!電波少年」であって、「リアクション芸人」という言いかたをその当時にしていたかはわからないが、松村はテレビの世界ではいじめられっ子キャラのポジションを得ることになってしまう。(ふかわりょうやよゐこなど、今の時代だったらセンス系でいられたはずの芸人たちも、リアクション芸人全盛のこの時代につぶされてしまったという気がしている。)

デビューのきっかけになったフジテレビのものまね番組にも松村邦洋は出演し続けていたが、誰もやったことのないものまねを連発していた天才松村邦洋は、いじめられっ子キャラが浸透して以降はこの番組での評価も下がってしまったかのようだった。のちに裏話として知ったことではあるが、この番組のプロデューサーはクセの強い人物で、ものまね四天王のブームを作った立役者ではあったが、ものまね四天王を終わらせた張本人でもあった。松村邦洋もこのプロデューサーにはさんざんいびられたようだ。

「あちこちオードリー」(テレビ東京)のヒコロヒーと俵万智がゲストの回がとても面白かった。この番組のゲストはお笑い芸人やバラエティ番組でおなじみのタレントがほとんどなのだが、その反面、トーク番組に出演することが珍しいゲストの回がときどきあって、たとえば作家では、去年は、西加奈子、朝井リョウ、三宅香帆が出演している。

俵万智はつい先日も「徹子の部屋」に出演していて、去年出された「生きる言葉」(新潮新書)が売れているせいなのか、この短い期間にテレビで観る機会が続いた。ヒコロヒーと俵万智は「NHK短歌」で共演していて、私はヒコロヒーが司会になった3年前からこの番組をよく観るようになったのだが(尾崎世界観が司会の週は観ていない。)、俵万智が選者を務めていた年がいちばん面白かったという気がしている。そう言うと前後の先生には悪いけれども、歌人として優れていたとしてもテレビはやはり別で、その違いは小さくないのである。テレビカメラの前でのびのびしゃべれるというのはこれでなかなか能力がいることだ。「あちこちオードリー」では、助詞の「も」の使いかたに厳しい「も警察」と呼ばれているということを話していたが、大学生のお子さんがいるせいか、砕けた会話をしているときには若者言葉がわりと出るひとなんだと思う場面もあった。

「徹子の部屋」では1987年に初出演したときの映像も流されていた。さすがにそのときにはテレビに慣れない俵万智のすがたがあるのだが、「あちこちオードリー」では「サラダ記念日」が話題になってからも高校の先生を続けていたという話をしていて、先生を続けながら「いいとも」や「徹子の部屋」に出演し、年末には「紅白」の審査員をやっていたという。「サラダ記念日」がいかに社会現象だったかということだが、作品も去ることながら、俵万智の場合は作家本人が話題の人物になってしまったというわけで、そのような経験がある作家は数えるほどしかいないだろう。


日本著書販促センターというサイトにある年間ベストセラーのランキングを改めて確認してみると、1987年は「サラダ記念日」が堂々の1位なのだが、9位には「ノルウェイの森」が入っている。それに挟まれるように安部譲二が3作品もランクインしていることに驚くが、この年は「サラダ記念日」と同時に安部譲二のブームでもあったのか。村上春樹よりも安部譲二が売れていた時代があったことを忘れないようにしたいが、翌年1988年のランキングを見ると、「ノルウェイの森」は2位になっている。1989年には「ノルウェイの森」は9位になり、もちろん、「ノルウェイの森」はその後も売れ続けるのだが、どうやら年間1位にはなったことがないのだ。「ノルウェイの森」を抑えた1988年の年間1位はなにかというと、川津祐介「こんなにヤセていいのかしら」というタレントのダイエット本である。1988年はじつは6位に「ダンス・ダンス・ダンス」も入っているのたが、3位には「ゲームの達人」が入り、村上春樹と同時にシドニィ・シェルダンが売れていた時代だ。

1989年の年間1位は吉本ばななの「TUGUMI」なのだが、この年はベストテン内の5冊が吉本ばなな作品に占められている。ほかには村上春樹とシドニィ・シェルダンが1作ずつランクインし、ついでに言えば、消費税に関する本が2冊ベストテン入りしているという年である。吉本ばななと俵万智は世代が近いということにも気がつくのだが、このふたりに接点があるのかはわからないが、吉本ばななもやはり同じように社会現象になった数少ない作家のひとりということになるだろう。

シドニィ・シェルダンはともかく、村上春樹がこの時点で社会現象になっていたかは子どもだった私には判断がつかないが、子どもだった私でも「サラダ記念日」は知っていたし、短歌だから小説よりも知りやすいということでもあるのだが、吉本ばななの小説は映画にもなっていたからそれで認識していたような気がする。しかし、子どもだった私は、村上春樹とシドニィ・シェルダンの本が売れていることは、桂文珍が司会の「はなきんデータランド」(テレビ朝日)で把握はしていたのである。

炎上のメカニズムについて、「炎上参加者」の特徴のひとつに「ラジオを聴く」というアンケート結果があることをこのブログに書いたばかりだが、私もラジオをよく聴くからこの部分は自分も当てはまるのではと気になった。それはたとえば、政治関連の情報をラジオから得ているタイプのリスナーを指しているのだろうかと思ったのだが、だとすれば、私も確かにラジオの情報を参考にすることはある。具体的には「大竹まこと ゴールデンラジオ!」と「田村淳のNewsCLUB」というどちらも文化放送の番組である。これは厳密な話ではないが、TBSラジオには保守系の論客はあまり出ない気がするし、ニッポン放送にはリベラル系の論客はあまり出ない気がする。文化放送のこの2番組は聴いているからわかるのだが、左右どちらの論客も登場する。私はこのような分け隔てのない姿勢の番組を好みたいと思っているのである。


しかし、それよりも私がよく聴いているのはもっと他愛のない雑談をしている番組だ。文化放送の2番組も他愛のない話をかなりしている番組で、そのような雑談があるから聴いているという面がじつは大きいのだが、ラジオとは、私は雑談を聴くメディアだと思っている。私は気がついたらどういうわけだかおじさんおばさんの話ばかり聴いてるなと思ったことがあるのだが、私が若いころに聴いていたおじさんのラジオはもはやおじいさんになり(高田文夫先生とか)、おじさんおばさんばかりだと改めて気がついたのは私よりも少し上の世代のかたがたのことだ。

今、私がもっともこよなく愛するおじさんラジオは「中川家 ザ・ラジオショー」(ニッポン放送)なのだが、中川家の会話にはじつに生き生きとしたおじさんの実感がある。ただ中年男性になれば誰でもおじさんらしくなるわけではない。これがサンドウィッチマンの場合は兄貴のような感じがするし、ナイツにいたっては子どもっぽくすら感じる。だいたい、戦後生まれ以降はみんないつまでも若くあろうとしている。私なんかは自分ではおじさんのなりそこないのような気がしているから、そういう意味では、シンパシーを感じるのは爆笑問題だったりする。「爆笑問題カーボーイ」および「爆笑問題の日曜サンデー」(どちらもTBSラジオ)も私は長年聴いているが、爆笑問題は不思議とおじさんラジオという印象にはならないのだ。

いっぽう、おばさんラジオのほうでは、友近が担当する金曜の「シン・ラジオ」(BAYFM)を筆頭にあげたい。FMを代表するおばさんラジオだが、この番組では毎週、関西で活躍しているちゃらんぽらん冨好に電話をつなぐコーナーがあって、関西のおじさんおばさんの生きた会話が楽しい時間である。中川家にしろ、友近にしろ、関西弁のほうがおじさんおばさんの実感が乗りやすいという面はあるのかもしれない。

そのほか、関東を代表するおばさんでは阿佐ヶ谷姉妹が「大竹まこと ゴールデンラジオ!」の月曜のパートナーをふたりそろって務めている。同じく、「ゴールデンラジオ!」の水曜レギュラーのいとうあさこは土曜の朝に「ラジオのあさこ」(文化放送)も担当している。おじさんのほうでは、中川家の裏番組だが、「えんがわ」(TBSラジオ)を担当する玉袋筋太郎も忘れてはならない。玉袋は標準語とは似て非なる東京言葉におじさんの実感を乗せる。パートナーの外山惠理アナも優れたおばさんになってきたとつくづく思う次第である。